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尾崎勇気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
隆乃若 勇紀
基礎情報
四股名 尾崎 勇紀 → 隆尾崎 勇紀 → 隆乃若 勇紀
本名 尾崎 勇記
生年月日 (1976-04-02) 1976年4月2日(48歳)
出身 長崎県平戸市
身長 190cm
体重 152kg
所属部屋 鳴戸部屋
得意技 右四つ・上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位関脇
生涯戦歴 505勝470敗69休(94場所)
幕内戦歴 229勝242敗39休(34場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝1回
敢闘賞3回
データ
初土俵 1992年3月場所[1]
入幕 1999年11月場所[1]
引退 2007年9月場所[1]
備考
金星1個(武蔵丸1個)
2021年8月30日現在

隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき、1976年4月2日 - )は、長崎県北松浦郡生月町(現在の平戸市)出身で、鳴戸部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾崎 勇記(おざき ゆうき)。最高位は東関脇(2003年1月場所、2003年3月場所)。身長190cm、体重152kg、血液型はA型。得意手は右四つ・上手投げ。父は元プロ野球選手の尾崎亀重[1]

経歴

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小学校、中学校と父には野球を強要されたが、反発していた尾崎は頑なに野球をやらなかった[1]。運動神経が良く中学時代はバスケットボール部で活躍した。1992年(平成4年)3月場所初土俵。関脇若の里、元幕内隆の鶴は同部屋で同期生である。若い頃から有望株として注目され、隆尾崎を名乗っていた幕下時代には若の里(当時・古川)と2人で当時の大相撲放送にあったコラム「目指せ関取」に取り上げられ、互いに先を越されないように精進するとコメントしていた。1999年(平成11年)5月場所新十両、同年11月場所新入幕。

2000年1月場所では10勝を挙げて敢闘賞[1]。2000年11月場所で11勝し、2001年1月場所は新三役。2001年5月場所、武蔵丸に勝ち初金星。2001年7月場所、千秋楽時津海に勝てば三賞受賞だったが負けて受賞ならず。2002年3月場所、11勝し2度目の敢闘賞。2002年(平成14年)11月場所では攻めが速くなり小結で3大関に勝ち11勝4敗の好成績を収め「大器開眼」と称賛された[1]。翌場所新関脇で9勝を挙げたが、千秋楽琴光喜との一番で張り手を受け倒れた際に膝などを痛め、ケガの回復が遅れて3月場所は全休(当初全治10日の軽傷と診断されたため、公傷が適用されなかった)。さらには次の夏場所も2敗13休で十両に陥落した。この頃から故障禍に見舞われ始める。2度再入幕を果たすも前頭9枚目までしか番付を戻せなかった。

特に、2005年(平成17年)11月場所では、西前頭10枚目の地位で初日から7連敗し、中日に豊ノ島との水入りの相撲で何とか初勝利を挙げたものの、思うように成績が伸びずに9日目に負け越しが決定、しかも12日目からは右膝を痛め休場して、三度十両に陥落してしまった。その後ずるずると負け越しを続け、2006年(平成18年)7月場所の番付は東十両14枚目と、幕下陥落の危機に立たされたが、中日まで8連勝で早々と勝ち越しを決めた。その後6連敗したが、千秋楽で勝利し、9勝6敗と久しぶりに勝ち越した。2006年9月場所では序盤から好調を維持し、千秋楽まで3敗を維持し、千秋楽で2場所前の5月場所十両優勝している豊桜との取り組みで敗れたが、優勝決定戦で勝利し、自身初の十両優勝を果たした。この場所の番付は東十両8枚目だったことから再入幕も有力視されたが、西3枚目で8勝7敗の片山が優先され入幕を逃した。次の11月場所、さらには2007年(平成19年)3月場所と十両2枚目まで番付を戻しながら大敗を喫した。5月場所では東十両9枚目で4勝11敗と大きく負け越し、7月場所は幕下へ陥落してしまった。9月場所は4連敗後に休場し、14日目の22日に引退届を提出。年寄名跡(親方株)の空きが無かったため、相撲協会には残らなかった。

引退後は「尾崎勇気」名義で草野仁事務所所属のタレントとして活動していたが、2017年1月までに退社、以降のメディア出演は本名もしくは「隆乃若」名義となっている。

2011年11月30日宅地建物取引士の資格を取得した他、フィナンシャルプランナー管理業務主任住宅ローンアドバイザーの資格も取得している[2]。中卒で角界入りした[2]が、2015年時点で、通信制の大学に籍を置いている[2]

2019年1月14日に文化放送岩本勉のまいどスポーツ」に出演し、不動産業界に身を置いていることを話している[3]

略歴

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  • 1992年3月場所 - 鳴戸部屋入門、初土俵
  • 1999年5月場所 - 新十両
  • 1999年11月場所 - 新入幕
  • 2000年1月場所 - 10勝5敗で初の敢闘賞受賞
  • 2001年1月場所 - 新小結
  • 2001年5月場所 - 横綱武蔵丸を破って初金星を獲得
  • 2002年3月場所 - 11勝4敗で2度目の敢闘賞受賞
  • 2002年11月場所 - 2度目の小結で11勝4敗、3度目の敢闘賞受賞
  • 2003年1月場所 - 新関脇
  • 2007年9月場所 - 引退届を提出

人物・エピソード

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  • 「隆乃若」という四股名は自分で考え命名したという。四股名は師匠の四股名「隆の里」と大師匠にあたる「若乃花」から取ったようにも見え、鳴戸がこの四股名を名乗ることを許した辺り、それだけの大器を認められたことがうかがえる。
  • 趣味は音楽鑑賞、スポーツ観戦(野球、格闘技など)。
  • 会田有志(元プロ野球選手。父のヤクルト時代のチームメイトだった会田照夫の三男)は従兄弟(母親同士が姉妹)。
  • 2011年大相撲八百長問題が発覚した際には、関連で民放のワイドショー番組や『NHKスペシャル』緊急放送(2月9日)の取材を受けている。本人は八百長とは関係はなかったが、自身の力士経験を踏まえ八百長問題の背景を語った。
  • 2015年の取材では、日本人力士がモンゴル人力士に敵わない理由として、モンゴル人力士の方が民族的に反応の速さに優れること、身体能力に優れた弟子が日本人から集まらないことを挙げている[1]
  • 2000年7月場所、千代大海戦は立ち合い不成立かと両者とも思ったが、待ったはかからなかったので、一気に寄り切った。
  • 2001年7月場所、雅山戦は土俵際で微妙な勝負を制した。
  • 千代大海には千代大海の大関時代に対戦して3勝4敗と負け越しているが、栃東には4勝3敗と勝ち越している。栃東の大関昇進前は1勝3敗だったが、大関時代は3戦全勝している。
  • 雅山には6勝5敗と勝ち越しているが、雅山の大関時代は3勝4敗である。
  • 栃乃洋には2勝12敗、武双山には1勝12敗と大きく負け越している。

主な成績

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  • 通算成績:505勝470敗69休 勝率.518
  • 幕内成績:229勝242敗39休 勝率.486
  • 現役在位:94場所
  • 幕内在位:34場所
  • 三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(2006年9月場所)
    • 幕下優勝:1回(1996年11月場所)
  • 三賞:3回
    • 敢闘賞:3回(2000年1月場所、2002年3月場所、2002年11月場所)
  • 金星:1個(武蔵丸1個)

場所別成績

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隆乃若 勇紀
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1992年
(平成4年)
x (前相撲) 西序ノ口16枚目
5–2 
東序二段102枚目
4–3 
東序二段75枚目
5–2 
東序二段34枚目
1–6 
1993年
(平成5年)
西序二段80枚目
1–0–6 
東序二段128枚目
1–0–6 
西序二段164枚目
5–2 
東序二段109枚目
5–2 
東序二段66枚目
4–3 
西序二段40枚目
4–3 
1994年
(平成6年)
西序二段22枚目
6–1 
西三段目64枚目
3–4 
東三段目83枚目
6–1 
東三段目30枚目
2–5 
東三段目59枚目
4–3 
東三段目43枚目
5–2 
1995年
(平成7年)
東三段目15枚目
3–4 
西三段目27枚目
4–3 
東三段目15枚目
5–2 
西幕下50枚目
2–5 
東三段目13枚目
6–1 
東幕下41枚目
4–3 
1996年
(平成8年)
東幕下32枚目
4–3 
西幕下23枚目
2–5 
西幕下45枚目
3–4 
東幕下60枚目
6–1 
東幕下31枚目
1–6 
東幕下59枚目
優勝
7–0
1997年
(平成9年)
西幕下7枚目
3–4 
西幕下14枚目
4–3 
西幕下7枚目
3–4 
東幕下14枚目
4–3 
西幕下8枚目
4–3 
西幕下5枚目
2–6 
1998年
(平成10年)
西幕下18枚目
4–3 
西幕下11枚目
6–1 
東幕下3枚目
3–4 
東幕下7枚目
2–5 
東幕下21枚目
4–3 
西幕下15枚目
5–2 
1999年
(平成11年)
東幕下6枚目
6–1 
東幕下筆頭
5–2 
西十両11枚目
9–6 
西十両7枚目
8–7 
東十両5枚目
11–4 
西前頭14枚目
9–6 
2000年
(平成12年)
東前頭12枚目
10–5
西前頭4枚目
5–10 
東前頭7枚目
8–7 
西前頭2枚目
6–9 
西前頭5枚目
5–10 
西前頭8枚目
11–4 
2001年
(平成13年)
東小結
4–11 
西前頭4枚目
8–7 
西前頭筆頭
5–10
西前頭5枚目
9–6 
西前頭2枚目
8–7 
東前頭2枚目
6–9 
2002年
(平成14年)
東前頭5枚目
3–4–8[成績 1] 
西前頭11枚目
11–4
西前頭3枚目
7–8 
東前頭4枚目
7–8 
西前頭4枚目
8–7 
西小結
11–4
2003年
(平成15年)
東関脇
9–6 
東関脇
休場[成績 2]
0–0–15
西前頭6枚目
0–2–13[成績 3] 
東十両3枚目
休場
0–0–15
東十両3枚目
12–3 
西前頭12枚目
7–8 
2004年
(平成16年)
西前頭13枚目
4–11 
東十両5枚目
10–5 
西前頭16枚目
8–7 
西前頭13枚目
8–7 
西前頭12枚目
8–7 
東前頭12枚目
8–7 
2005年
(平成17年)
東前頭9枚目
6–9 
東前頭12枚目
7–8 
東前頭13枚目
5–10 
西前頭17枚目
8–7 
東前頭15枚目
9–6 
西前頭10枚目
1–11–3[成績 4] 
2006年
(平成18年)
東十両5枚目
6–9 
西十両7枚目
7–8 
東十両8枚目
5–10 
東十両14枚目
9–6 
東十両8枚目
優勝
11–4
東十両2枚目
5–10 
2007年
(平成19年)
東十両6枚目
8–7 
西十両2枚目
4–11 
東十両9枚目
4–11 
西幕下3枚目
4–3 
西幕下2枚目
引退
0–4–3
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  1. ^ 左第11・12肋骨骨折により4日目から途中休場、13日目から再出場
  2. ^ 左下眼亀裂骨折・左膝関節捻挫により全休
  3. ^ 右第11肋骨骨折・左膝骨挫傷により2日目から途中休場
  4. ^ 右変形性膝関節症に伴う半月板損傷により12日目から途中休場

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
蒼樹山 0 1 安芸乃島 4 4 朝青龍 1 10 朝赤龍 3 3
朝乃翔 2 0 朝乃若 4 2 安馬 2 3 安美錦 8 5
岩木山 1 1(1) 潮丸 0 1 皇司 7 3 大碇 0 1
大日ノ出 0 1 小城錦 2 1 魁皇 1 8 海鵬 9 8
垣添 0 1 春日錦 1 0 片山 0 3 巌雄 1 0
北桜 0 2 旭鷲山 7 3 旭天鵬 6 5 金開山 3 1
光法 1 0 五城楼 1 0 黒海 0 2 琴欧洲 1 1
琴奨菊 0 2 琴ノ若 5 4 琴光喜 3 6 琴龍 3 6
敷島 3 1 霜鳥 1 3 十文字 4 4 駿傑 1 3
大善 1 1 貴闘力 1 1 貴ノ浪 4 4 貴乃花 0 6
高見盛 5 5 豪風 0 1 玉飛鳥 0 1 玉春日 11 7
玉乃島 6 3(1) 玉力道 1 0 千代大海 3(1) 4 千代天山 4 2
出島 6 6 寺尾 1 0 闘牙 8 6 時津海 11 6
時天空 3 1 土佐ノ海 6 9 栃東 4 3 栃栄 8 2
栃乃洋 2 12(1) 栃乃花 1 3 豊桜 5 1 豊ノ島 1 4
白鵬 0 1 白露山 1 1 濵錦 1 0 濱ノ嶋 2 1
追風海 4 5 春ノ山 1 0 肥後ノ海 1 1 普天王 1 2
武雄山 5 2 北勝力 3 3 湊富士 2 1 雅山 6 5
武蔵丸 2(1) 9 武双山 1 12 燁司 0 1 露鵬 1 2
若兎馬 3 2 和歌乃山 5 4
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

[編集]
  • 尾崎 勇記(おざき ゆうき)1992年3月場所
  • 隆尾崎 勇記(たかおざき - )1992年5月場所 - 1999年3月場所
  • 隆乃若 勇紀(たかのわか - )1999年5月場所 - 2007年9月場所

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p26
  2. ^ a b c 難関資格を次々取得…元関脇・隆乃若は現在“大学3年生” 日刊ゲンダイ 2015年12月13日(2017年11月1日閲覧)
  3. ^ 岩本勉のまいどスポーツ: 角界から不動産業界へ 元関脇・隆乃若さんの 第2の人生”. www.joqr.net(2019年1月14日). 2021年2月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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