山本修一
人物情報 | |
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生誕 |
1957年10月5日(67歳)[1] 日本・東京都渋谷区[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 |
開成中学校・高等学校[2][3] 千葉大学医学部[1] 千葉大学大学院医学研究科博士課程[1] |
学問 | |
研究分野 | 眼科学[4] |
研究機関 |
富山医科薬科大学(1994年度 - 1995年度)[4] 東邦大学(1996年度 - 2000年度・2002年度)[4] 千葉大学(2003年度・2005年度 - 2006年度・2012年度 - 2016年度)[4] |
学位 | 医学博士[1] |
山本 修一(やまもと しゅういち、1957年〈昭和32年〉10月5日[1] - )は、日本の医師、医学者。
来歴
[編集]東京都出身[1]。開成中学校・高等学校を経て[2][3]、1983年(昭和58年)3月、千葉大学医学部を卒業し[1]、同年5月に千葉大学医学部附属病院の研修医となる[1]。その後、1989年(平成元年)3月に千葉大学大学院医学研究科博士課程を修了し[1]、同年4月、鹿島労災病院眼科副部長に就任[1]。
その後、富山医科薬科大学講師、コロンビア大学ハークネス眼研究所研究員、東邦大学助教授、同教授を経て、2003年(平成15年)に安達惠美子教授の後任として、千葉大学教授に就任[1][5]。教授就任後、眼科医局での経験を活かし、眼科学教室の方針を臨床・手術重視に転換し、年間の手術件数が1300件に増加[5]。診療面でも網膜硝子体疾患の診療を細分化させ、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、網膜静脈閉塞、網膜変性の専門外来を立ち上げた他、緑内障、ぶどう膜炎、角膜疾患、斜視弱視の専門外来も立ち上げた[5]。2007年(平成19年)4月には千葉大学医学部附属病院副病院長を併任し[1]、副病院長として7年間、病院運営に携わった[6]。
2014年(平成26年)4月1日、千葉大学医学部附属病院病院長に就任[1]。同年、千葉大学副学長を併任[7]。病院長は2020年(令和2年)まで務めた[8]。この他、国立大学附属病院長会議会長、日本病院団体協議会代表者会議議長などを歴任した[9]。
2021年(令和3年)4月、地域医療機能推進機構理事に就任[9]。
2022年(令和4年)4月1日、尾身茂の後任として、地域医療機能推進機構理事長に就任[10]。
2024年(令和6年)4月1日、地域医療機能推進機構理事長に再任[11]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n "2014年4月1日、千葉大学医学部附属病院の新病院長に山本修一(眼科・教授)が就任します" (PDF) (Press release). 千葉大学医学部附属病院. 24 March 2014. 2023年6月28日閲覧。
- ^ a b “千葉大学病院見学”. 開成学園 (2019年1月7日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ a b “第1回眼科開成会開催報告”. 開成会 (2019年11月22日). 2023年6月28日閲覧。
- ^ a b c d “山本修一”. KAKEN. 国立情報学研究所. 2023年6月28日閲覧。
- ^ a b c “教室沿革 千葉大学大学院医学研究院 眼科学”. 千葉大学大学院医学研究院・医学部. 2023年7月7日閲覧。
- ^ “独立行政法人地域医療機能推進機構 理事 山本 修一(やまもと しゅういち)先生”. Medical Note. メディカルノート. 2023年7月7日閲覧。
- ^ “健全経営を担う人材不足という課題に 「ちば医経塾」がもたらすものとは(前編)”. Nursing-plaza.com. Playce (2019年7月). 2023年7月7日閲覧。
- ^ “【千葉県政の課題 専門家に聞く】(1)新型コロナウイルス対策 山本修一千葉大副学長「司令塔の所在 明確に」”. 産経ニュース (産経デジタル). (2021年3月16日) 2023年7月7日閲覧。
- ^ a b “JCHOのセカンドステージ構築目指す - 山本修一・JCHO理事長に聞く◆Vol.1”. 医療維新 (エムスリー). (2023年5月23日) 2023年7月7日閲覧。
- ^ “「後進にバトンタッチ」 尾身氏がJCHO理事長交代”. 産経ニュース (産経デジタル). (2022年3月25日) 2023年7月7日閲覧。
- ^ 『厚生労働省関係独立行政法人の長の任命について』(プレスリリース)厚生労働省、2024年3月26日 。2024年5月3日閲覧。
公職 | ||
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先代 尾身茂 |
地域医療機能推進機構理事長 第2代:2022年 - |
次代 現職 |