延応
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改元
[編集]出典
[編集]『文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』の「廓廟惟清、俊乂是延、摺応嘉挙」から。
延応期におきた出来事
[編集]- 元年
西暦との対照表
[編集]※は小の月を示す。
延応元年(己亥) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 | |
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ユリウス暦 | 1239/2/6 | 3/7 | 4/6 | 5/5 | 6/4 | 7/3 | 8/1 | 8/31 | 9/29 | 10/29 | 11/27 | 12/27 | |
延応二年(庚子) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 閏十月 | 十一月 | 十二月 |
ユリウス暦 | 1240/1/26 | 2/25 | 3/25 | 4/24 | 5/23 | 6/22 | 7/21 | 8/19 | 9/17 | 10/17 | 11/15 | 12/15 | 1241/1/14 |
関連項目
[編集]
注1:前の数字は番号。南北朝時代の「南」は南朝、「北」は北朝の元号を指す。慣例に従い南朝を正統とする。 注2:後の数字は元年と末年。源氏政権の「寿永」は元年でなく使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年、「観応」は復活の年、「明徳」は統一の年も記す。 注3:明治以前は、改元が布告された年の元日に遡って新元号を適用されたと見なす立年改元が慣例とされていた。赤背景では布告日を西暦に換算すると年が明けているが、元日に遡るのであればそのままである。例えば、安政への改元が布告された嘉永7年11月27日は1855年1月15日であるが、元日は1854年1月29日である。 | |||||||||||||
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