戸沢正親
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦7年3月3日(1757年4月20日) |
死没 | 寛政8年9月21日(1796年10月21日) |
改名 | 亀松(幼名)→正親 |
戒名 | 賢涼院寛翁道清 |
墓所 | 東京都港区三田の常林寺瑞雲院 |
官位 | 従五位下、上総介 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 出羽国新庄藩主 |
氏族 | 戸沢氏 |
父母 |
父:戸沢正備、母:真了院 養父:戸沢正良 |
妻 |
正室:浅野長喬の娘 継室:井伊直幸の養女(井伊直朗の娘) |
子 | 正胤(長男)、娘(柳沢光被正室) |
生涯
[編集]宝暦7年(1757年)3月3日(異説として宝暦12年(1762年))、3代藩主・正庸の七男・正備の長男に生まれる。天明6年(1786年)、先代藩主で従兄弟の正良が死去したため、その養嗣子となって跡を継ぐ。寛政元年(1789年)、藩内の70歳以上の老人を長寿として賞するなど、福祉政策を行い、さらに藩財政再建のために倹約や経費節減に努めた。寛政8年(1796年)9月21日(または9月18日)に死去し、跡を長男の正胤が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
側室
- 美直院
子女