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曺植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曺植
各種表記
ハングル 조식
漢字 曺植
発音 チョ=シク
日本語読み: そう しょく
ローマ字 Jo Sik
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曺 植(そう しょく、ユリウス暦1501年6月26日大統暦弘治十四年五月二十七日) - ユリウス暦1572年2月8日(大統暦隆慶六年一月初八日))は李氏朝鮮儒学者、政治家、詩人。字は楗仲(건중、コンジュン)。[1] 号は南冥、昌寧人。本貫は昌寧曺氏。李滉(退渓)、李珥(栗谷)と並んで、朝鮮朱子学における三大儒と称される。

経歴

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慶尚道に生まれ。経伝子史を遍く勉学し、天文地誌、医方学にも意を注いだ。1519年の己卯士禍を契機に旧学の是ならざることを悟り、六経四書、程朱学の書籍に学び、自らの「南冥学」を完成させ、次第に名声を慕って従学する者が増えた。1545年の乙巳士禍を契機に、仕官の徴命を固辞して隠棲し、後進の育成に専念した。

著書

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脚注

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  1. ^ アナバコリア / 山清郡 南冥曺植遺跡 남명조식유적

参考文献

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  • 「アジア人物史 第7巻」集英社 2022年

関連項目

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外部リンク

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