村上一行
村上一行 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県 |
生年月日 | 1945年6月21日(79歳) |
選手情報 | |
所属 | 岡山支部 |
登録番号 | 2073 |
登録期 | 22期 |
特徴 | 自在 |
選手実績 | |
選手引退日 | 2003年1月26日 |
記念優勝 | 9 回 |
SG優勝 | 2 回 |
GI/PGI優勝 | 9 回 |
通算優勝 | 80 回 |
通算勝率 | 6.42 |
通算勝利 | 2108勝 |
主要獲得タイトル | |
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村上 一行(むらかみ かずゆき、1945年6月21日 - )は、岡山県出身の元競艇選手。
息子の純は現役のボートレーサー[1]。
来歴
[編集]22期生としてデビューし、同期には黒明良光・中道善博・安部邦男・永松栄がいる。村上の同期は「花の22期生」[2]と称され、記念(SG・GI)覇者を9名も輩出し、内4名がSGタイトルに輝いている。22期ではまず安部が1969年の下関15周年[3]で記念優勝に到達し、次いで村上も1971年に鳴門18周年[4]優勝、その後に永松が続いた。当時は村上と永松の方が中道より評価が高く、中道は1975年の四国地区選(鳴門)[5]で記念覇者の仲間入りをしている。
村上ら22期生は競艇場を渡り歩きながら訓練をした最後の期であり、本栖研修所を知らない最後の世代ということになる[6]。訓練合格者はまず下関に集結し、その後は福岡以外の中国・四国と九州の全ての競艇場を回り、最後は下関に戻る[6]。開催の無い日に競艇場を借りて訓練をするが、日曜日は訓練も休みで、土曜日にモーターやボートなどの備品を積み込んで一斉に移動し、選手宿舎に宿泊、現在の1年分の訓練を5ヶ月でこなした[6]。
彦坂郁雄の弟も同期であったが、22期は喧嘩をした記憶は全く無いなど非常に仲も良かった[2]。
若手の頃には同期の黒明や大森健二・林通と一緒に「岡山ヤング会」を作って、櫃石島で泊まり込みのキャンプなどをやっていた[7]。
1973年の第19回モーターボート記念競走(下関)で瀬戸康孝の3着[8]、1975年の第2回笹川賞競走(常滑)では準優勝で北原友次と岡山勢ワンツーなど実績を積み上げていき[9]、1978年の第24回モーターボート記念競走(唐津)で遂に同期のトップを切って四大特別競走・SG級レース初優勝を記録。中道も自身2度目のSG優出を果たしており、村上の3着に入っている[10]。
1981年3月24日には地元児島で行われた第16回鳳凰賞競走[11]で北原・小川宣昭・黒明と共に優出し、優勝戦では地元同士が1マーク大競り、2マークも大競り[12]を演じる。村上はイン取りに失敗しながら、回り直して3コースに入り、先まくりを決めた北原の空いた懐をすかさず差したが、北原が強引に村上を締め込む[13]。そこに2マークがあり、村上は北原は共に握り合って大きく飛んだ[13]。平尾修二(香川)[12]-小川が恵まれて、2連単9480円という当時のSG優勝戦最高配当が出た[13]。村上3着、北原4着で、共に不本意、特に村上には悔しい結果となった[13]。第28回全日本選手権競走(浜名湖)では北原が独特のレース勘を発揮して2コースからまくりを打ち、加藤峻二の差しは一瞬遅れたものの、2マークを回って北原を視界に捕えると、ホームでみるみる差を詰めて、2周1マーク手前で舳先が入った[13]。皮肉にも引くに引けない形になり、幸運にも3番手を走っていたのが村上であった[13]。進入は酒井忠義が回り直したため5コースに決まり、加藤と北原の競り合いをチャンスとばかりに村上は差し、鳳凰賞とは逆の展開で優勝[13]。圧勝と思われた加藤・北原の「KKコンビ」が大死闘を演じる中、村上が漁夫の利を得て[14]四大特別競走・SG級2勝目を挙げた[15]。村上は2回の優勝がダービーと若松周年で、獲得賞金は2位であったが、勝率、1着本数は彦坂に遠く及ばなかった[16]。それでもSGの成績やダービー制覇の価値が高く評価され、同年のMVPに選出された[16]。
軽量で加藤と並ぶアウトの名手と知られ、レース展開ひとつで突き抜けてくる俊敏さが際立っていた[17]。
1999年1月13日のびわこ「一般競走」で1号艇4コースからまくりを決め、寺田祥・福永達夫を抑えて最後の優勝[18]を飾り、2002年7月23日の住之江一般戦「第36回日刊スポーツ盾争奪 しぶき杯競走」が最後の優出(6号艇6コース進入で6着)[19]となった。2003年1月6日の丸亀一般戦「市長杯争奪まるがめ競艇大賞」最終日2Rで1号艇4コースからまくりを決め、最後の勝利となる通算2108勝目[20]を挙げる。同26日の平和島一般戦「第6回神奈川新聞社賞レース」最終日1Rが最後の出走となり、3号艇3コース進入で結果は5着[21]であった。
2007年、ボートレース殿堂マイスター入りを果たす[17]。
獲得タイトル
[編集]※太字は四大特別競走を含むSG級レース
- 1971年 - 鳴門開設18周年記念競走
- 1974年 - 児島開設22周年記念競走、津開設22周年記念競走
- 1975年 - 丸亀開設23周年記念競走
- 1976年 - 児島開設24周年記念競走、三国開設23周年記念競走
- 1978年 - 第24回モーターボート記念競走(唐津)
- 1980年 - 三国開設27周年記念競走
- 1981年 - 第28回全日本選手権競走(浜名湖)
- 1992年 - モーターボート大賞競走(宮島)
脚注
[編集]- ^ 村上 純 - 出場予定|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ a b 中道善博『競艇選手心理の読み方 - 名人・善さんの競艇人生と歴戦の体験から読み解く舟券戦術』東邦出版、2006年2月1日、ISBN 4809405214、p156。
- ^ 競帝王決定戦|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 大渦大賞|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 四国地区選手権|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ a b c 『競艇選手心理の読み方 - 名人・善さんの競艇人生と歴戦の体験から読み解く舟券戦術』、p152。
- ^ ワシのSGクラシック|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト - ボートレース
- ^ 第19回モーターボート記念|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 第2回笹川賞|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 第24回モーターボート記念|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ 第16回総理大臣杯|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ a b クラシックの見どころ|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ a b c d e f g マクール2024年3月号、三栄書房、2024年2月9日、p102「伝説の航跡─百物語─」
- ^ 艇界を動かした20人~その2
- ^ 第28回全日本選手権|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
- ^ a b 「伝説の航跡─百物語─」、p103。
- ^ a b 2073 村上 一行 (岡山) - ボートレース大村 > ボートレース殿堂・殿堂マイスター
- ^ 1999年1月13日 びわこ12R | 艇国データバンク
- ^ 2002年7月23日 住之江12R | 艇国データバンク
- ^ 2003年1月6日 丸亀2R | 艇国データバンク
- ^ 2003年1月26日 平和島1R | 艇国データバンク