東伏見宮
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東伏見宮家 | |
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家祖 |
東伏見宮依仁親王 (伏見宮邦家親王の第17王子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 京都(山城国) |
主な根拠地 |
東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区東) 神奈川県横浜市磯子区磯子町 (現:磯子区磯子) |
著名な人物 | 依仁親王 |
支流、分家 | 東伏見家 (伯爵家) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
東伏見宮(ひがしふしみのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。
概要
[編集]明治36年(1903年)1月31日、伏見宮邦家親王の第17王子である依仁親王を初代として創設された。依仁親王は、当初は兄の小松宮彰仁親王の創設した小松宮を継承する予定であったが、折り合いが悪く離縁。その際、新たな宮号を名乗ることとなり、小松宮の旧称である東伏見宮を称することとなった[1]。
大正11年(1922年)6月27日、依仁親王が嗣子を残さず薨去したことにより宮家としては断絶。依仁親王は生前。大甥にあたる邦英王を実子同然に養育していたことから[1]、昭和6年4月4日、臣籍降下に際して東伏見宮伯爵家を創設、宮家の祭祀を継承した[2]。ただし、それとは別に東伏見宮家自体は依仁親王妃周子が1947年(昭和22年)10月14日、GHQの指令により皇籍離脱するまで存続している。
系図
[編集]北朝3代天皇 崇光天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 栄仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 貞成親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
102代天皇 後花園天皇 | 伏見宮 貞常親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔現皇室〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 邦家親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久邇宮 朝彦親王 | 小松宮 彰仁親王 | 〔伏見宮家〕 | 初代東伏見宮 依仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久邇宮 邦彦王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔久邇宮家〕 | 2代 邦英/慈洽 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代 韶俶[注釈 1] | 邦子 | 慈晃 | 容俶 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
幸子[注釈 2] | 百百子[注釈 3] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 鈴木博之 & 和田久士 2006, p. 56.
- ^ 鈴木博之 & 和田久士 2006, p. 65.
- ^ a b c 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 390.
参考文献
[編集]- 鈴木博之、和田久士『皇室の邸宅 御用邸・離宮・宮家の本邸・別邸・庭園…全国25カ所』JTBパブリッシング、2006年。ISBN 978-4533062483。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、東伏見宮に関するカテゴリがあります。