松本文作
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松本 文作(まつもと ぶんさく、旧姓・山口、1868年(明治元年) - 没年不明)は、日本の政治家(埼玉県児玉郡本庄町長[1]、埼玉県会議員[2])、実業家。族籍は埼玉県平民[3]。
人物
[編集]群馬県人・山口清平の二男[4]。先代紋三郎の養子となり、1891年、家督を相続する[4]。1890年、東京専門学校(現・早稲田大学)邦語政治科卒業[1]。
本庄電気軌道取締役社長[2]、松本商店代表取締役[4]、上信電気鉄道専務取締役[4]、本庄商業銀行、高崎水力電気各取締役[3]、本庄運輸倉庫監査役などをつとめた[3]。住所は埼玉県児玉郡本庄町[4]。
家族・親族
[編集]- 松本家
- 養父・紋三郎[4]
- 養妹・さと(1884年 - ?、埼玉、内田辰五郎の長女)[4]
- 妻・しう(1877年 - ?、群馬、山口與市郎の長女)[4]
- 長女・梅(1895年 - ?、埼玉、森田半三郎の養子徳右衛門の妻)[4]
- 長男・元(1897年 - ?)[4]
- 二女・富(1899年 - ?、埼玉、森田統一郎の妻)[4]
- 三女・政(1901年 - ?、埼玉、根岸博の妻)[4]
- 四女・晴(1902年 - ?、群馬、高井稜威雄の妻)[4]
- 五女・文子(1904年 - ?、群馬、江坂吉平長男英一郎の妻)[4]
- 六女・節子(1906年 - ?、長野、鬼束武雄の妻)[4]
- 二男・文隆(1909年 - ?)[4]
- 七女・文代(1911年 - ?、埼玉、松本純次の養子)[4]
- 三男(1913年 - ?)[4]
- 八女(1914年 - ?)[4]
- 九女(1917年 - ?)[4]
- 十女(1920年 - ?)[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』早稲田大学校友会、1915-1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。