柳沢保承
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柳沢 保承 やなぎさわ やすつぐ | |
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生年月日 | 1888年12月20日 |
没年月日 | 1960年10月25日(71歳没) |
出身校 |
京都帝国大学法科大学卒業 (現・京都大学法学部) |
前職 |
太平洋海上火災保険取締役 (現・損害保険ジャパン) |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
イギリス帝国金製記章 金製黄綬褒章 |
配偶者 | 柳沢尚子 |
親族 |
養父・柳沢保恵(貴族院議員) 義父・鍋島直大(貴族院議員) 義兄・前田利嗣(貴族院議員) 義兄・松平恆雄(参議院議長) |
選挙区 | (伯爵議員) |
在任期間 | 1939年7月10日 - 1947年5月2日 |
柳沢 保承(やなぎさわ やすつぐ、旧字体:柳澤 保承、1888年〈明治21年〉12月20日[1] - 1960年〈昭和35年〉10月25日[1][2])は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。
経歴
[編集]伯爵・柳沢保申の長男として生まれ、義兄柳沢保恵の養子となる[1][3]。養父・保恵の死去に伴い1936年(昭和11年)6月15日、伯爵を襲爵した[1][4]。
1914年(大正3年)京都帝国大学法科大学を卒業[2][3]。1921年(大正10年)私立大阪信愛高等女学校講師となる[2]。以後、柳沢統計研究所総裁、日本錫工業取締役会長、太平洋海上火災保険取締役などを務めた[2][3][注釈 1]。
1939年(昭和14年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。その他、大礼使典儀官、商工省委員、軍需省委員などを歴任した[2]。
親族
[編集]- 妻 柳沢尚子(ひさこ、鍋島直大六女)[1]
- 養子 柳沢斉徳(島津忠重四男、離縁)[1]
- 長女 京極昭子(京極高光夫人)[1]
- 三女 伏見豊子(伏見博英夫人)[1]
- 四女 柳沢佐久子(柳沢斉徳夫人)[1]
- 孫 柳沢保徳(柳沢斉徳・佐久子長男)[1]
- 義妹・姪 岡本露子(岡本季正夫人)[1]
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 注釈
- 出典
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 柳沢保恵 |
伯爵 (郡山)柳沢家第3代 1936年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |