森﨑浩司
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名前 | ||||||
愛称 | コージ | |||||
カタカナ | モリサキ コウジ | |||||
ラテン文字 | MORISAKI Koji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年5月9日(43歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市安芸区 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
矢野FC(広島市立矢野小学校) | ||||||
1994-1996 | 広島市立矢野中学校 | |||||
1997-1999 |
サンフレッチェ広島ユース (吉田高校) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2016 | サンフレッチェ広島 | 335 | (65) | |||
通算 | 335 | (65) | ||||
代表歴 | ||||||
2001 | 日本U-20 | 2 | (0) | |||
2004 | 日本U-23 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
森﨑 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
現在はサンフレッチェ広島のアンバサダーを務める。
来歴
[編集]現役時代
[編集]地元矢野小学校で兄・和幸と共に小学2年からサッカーをはじめる[1]。山出久男から指導を受け、小学6年次に兄と共に全日本少年サッカー大会に出場している[2]。佐藤康之・皆本勝弘は矢野中学校の先輩[3]。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、兄・和幸、駒野友一、久保田学。木村孝洋から指導を受けた。攻撃的なMF・左アウトサイドとして活躍した。1999年高校3年次には2種登録選手となり、Jサテライトリーグでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、同年11月20日にガンバ大阪戦に初ベンチ入りした[注 1]。
2000年にサンフレッチェ広島に入団、同期入団は、和幸、駒野、八田康介、松下裕樹、山形恭平、中山元気[1][4]。骨折など怪我が多く、同年代の選手よりもなかなか出場機会が与えられなかった。翌2001年Jリーグ初得点試合で2ゴールを上げている[5]。2002年になりA契約選手に移行、主力として絡めるようになる[6]。
年代別代表では、2001年に和幸および駒野とともに、西村昭宏率いるワールドユースU-20日本代表に選出されて出場[5] したが、キャプテンも任される事がある和幸に対し、控えが中心であった。しかしその後山本昌邦率いる五輪代表に選出されると、和幸は阿部、今野、鈴木啓らに押し出され構想外となる中、左サイドは層が薄かった事もあり、2003年のアテネ五輪予選、2004年のアテネ五輪本戦では左アウトサイドのレギュラーとして出場した。[1][7][8]
一方広島では小野剛監督の下、2003年からJ2に降格すると移籍した藤本主税の代わりとして攻撃的なMFとして活躍[9]、同年末のJ1昇格に貢献した。以降も中心選手として活躍するも、2002年から続く年代別代表とJ2昇格争い、アテネ五輪と精神的に厳しい戦いが続いたため、2005年の春先にバーンアウト症候群にかかっている[10]。以降控えに回り[11]、怪我や守備面からなかなか信頼を得ることが出来なかったが小野が辞任した、2006年ミハイロ・ペトロヴィッチに監督が代わってからは才能を見出され[12]、中盤の中心選手として活躍[13]。
2008年末ごろからオーバートレーニング症候群の傾向が見られるようになり、2009年1月28日に公式発表、同年8月にチーム合流、同年11月に実戦復帰した[14]。
2012年、サンフレッチェ広島のJリーグ制覇に貢献。
2016年10月20日、今シーズン限りで現役引退を表明[15]。10月29日、現役最後のホーム最終戦・アビスパ福岡戦ではスタメンで出場し、1得点を決めて有終の美を飾った[16]。
引退後
[編集]2017年1月5日、サンフレッチェ広島の初代アンバサダーに就任したことが発表された[17]。
人物
[編集]- プレースタイル
- 精度の高い左足からのミドルシュートや前線への飛び出しが得意なゲームメーカー。五輪で務めた左ウイングバックだけでなく、トップ下、フォワード、兄と同じセンターハーフと多数のポジションでプレーできる。広島ではセットプレーも任される。[1][7][11][18]
- 2004年5月5日J1・1st第8節対セレッソ大阪戦(長居スタジアム)にて初アベックゴール(48分和幸、89分浩司)を達成。Jリーグにおいて同じチームに所属する兄弟が、同一試合でアベックゴールを達成した例は森﨑兄弟と山瀬功治/山瀬幸宏兄弟(2007年に達成)、高木俊幸/高木善朗兄弟(2010年に達成)の三組のみ。
- 2007年から公式用ユニフォーム背番号の下に「KOJI」と下の名前が入るようになった。兄の和幸のほうは「KAZU」。 世代別の代表の公式戦では、名前のイニシャルが和幸、浩司ともに「K」のため、仕方なくユニフォームには「MORISAKI」とだけ記されていた。
- 6億を呼ぶ男
- 2008年度のスポーツ振興くじで1等6億円4口が2回発生した。その2回の共通点として、森﨑浩が2節共に得点を挙げていることから、夕刊フジが同年9月9日付けの記事で「6億を呼ぶ男」として紹介した。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 矢野FC
- 1994年 - 1996年 広島市立矢野中学校
- 1997年 - 1999年 サンフレッチェ広島ユース (広島県立吉田高等学校)
- プロ経歴
- 2000年 - 2016年 サンフレッチェ広島
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 広島 | 22 | J1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
2001 | 15 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | ||
2002 | 7 | 22 | 6 | 5 | 0 | 4 | 1 | 31 | 7 | ||
2003 | J2 | 37 | 10 | - | 4 | 3 | 41 | 13 | |||
2004 | J1 | 25 | 7 | 3 | 0 | 1 | 0 | 29 | 7 | ||
2005 | 14 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 19 | 1 | |||
2006 | 30 | 4 | 5 | 3 | 2 | 1 | 37 | 8 | |||
2007 | 32 | 2 | 6 | 0 | 5 | 3 | 43 | 5 | |||
2008 | J2 | 40 | 14 | - | 4 | 1 | 44 | 15 | |||
2009 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
2010 | 27 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 30 | 4 | |||
2011 | 30 | 5 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 5 | |||
2012 | 28 | 7 | 5 | 2 | 1 | 0 | 34 | 9 | |||
2013 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | |||
2014 | 21 | 1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 27 | 1 | |||
2015 | 9 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | |||
2016 | 5 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 8 | 2 | |||
通算 | 日本 | J1 | 258 | 41 | 45 | 7 | 17 | 5 | 321 | 53 | |
日本 | J2 | 77 | 24 | - | 8 | 4 | 85 | 28 | |||
総通算 | 335 | 65 | 45 | 7 | 25 | 9 | 406 | 81 |
その他の公式戦
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2008年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2013年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 広島 | 7 | 4 | 1 | - | |
2012 | - | 3 | 0 | |||
2013 | 1 | 0 | - | |||
2014 | 2 | 0 | - | |||
2015 | - | 0 | 0 | |||
2016 | 1 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 8 | 1 | 3 | 0 |
出場歴
[編集]- アンダーカテゴリー
- 全日本少年サッカー大会(1993年)
- 全国中学校サッカー大会 ベスト16
- Jユースカップ 準優勝(1997年)
- 国民体育大会広島県代表(1998年、1999年)
- クラブチーム
- 公式戦初ベンチ入り 1999年11月20日 J1・2nd第13節対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- プロ初ベンチ入り 2000年5月20日 J1・1st第14節対鹿島アントラーズ戦(広島ビッグアーチ)
- 公式戦初出場 2000年6月28日 ナビスコカップ2回戦第1戦対横浜F・マリノス戦(三ツ沢公園球技場)
- 先発出場、61分藤本主税と途中交代
- リーグ戦初出場 2000年7月15日 J1・2nd第4節対横浜F・マリノス戦(三ツ沢公園球技場)
- 59分森崎和幸に代わり途中出場
- 初得点 2001年9月29日 J1・2nd第7節対アビスパ福岡戦(博多の森球技場)
- 62分藤本主税に代わり途中出場、63分、88分2ゴール
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- サンフレッチェ広島
- Jリーグ ディビジョン1:3回(2012年、2013年、2015年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2008年)
- ゼロックススーパーカップ:2回(2008年、2013年)
アンダー代表歴
[編集]- U-18日本代表(1999年)
- U-19日本代表(2000年)
- U-20日本代表
- イランアジアユース(2000年)
- アルゼンチンワールドユース(2001年)
- U-23日本代表
出演
[編集]CM
[編集]- 洋服の青山(2004年、森崎和幸と共演)
テレビ
[編集]- 情熱サンフレッチェ(RCCテレビ) ナビゲーター 毎週金曜22:54~23:00
- 広島市広報番組『ひろしま日常劇場 ご老公様 出番ですよ』(2018年2月4日#44 - 2019年3月24日#100終幕、RCCテレビ) もり助 毎週日曜21:54~22:00
ラジオ
[編集]生配信
[編集]- サンフレ応援!森崎浩司の“Foot style”(2018年09月22日 - 、ぽるぽるLIVE)紙屋町シャレオぽるぽるSTUDIOから不定期配信
注釈
[編集]- ^ この試合には兄の和幸がチーム史上初高校生Jリーガーとして、リーグ戦初出場している
- ^ 似ているためよく勘違いされるが、二卵性双生児である。簡単な見分け方として、左利きで鼻の下にホクロがない方が弟の浩司、右利きでホクロがある方が兄の和幸。
出典
[編集]- ^ a b c d “スペシャルインタビュー Vol.14】サンフレッチェ広島:森﨑浩司選手”. J's GOAL (2005年9月12日). 2010年12月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Jリーグで活躍する主な決勝大会卒業生”. 読売新聞. 2010年12月19日閲覧。
- ^ “地元の誇り サンフレ写真展”. 中国新聞 (2013年2月14日). 2013年2月15日閲覧。
- ^ “ゴールデンルーキー サンフレ7人衆”. 中国新聞 (2000年2月12日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ a b “下積みのつらさ一掃 プロ初ゴール”. 中国新聞 (2001年9月29日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ “2ゴールブレイク予感 森崎浩”. 中国新聞 (2002年3月3日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ a b “キリンチャレンジカップ2004”. キリン. 2010年12月21日閲覧。
- ^ “持ち味発揮 高松・田中達・森崎浩が奮闘”. 中国新聞 (2004年8月14日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ “トップ下 森崎浩が起点”. 中国新聞 (2003年3月12日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ “【ヤマザキナビスコカップ:第3節 広島 vs 川崎F プレビュー】”. J's GOAL (2005年5月20日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ a b “サンフレッチェ広島・戦力分析レポート”. J's GOAL (2005年2月25日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ “ピンポイント 貫いた攻撃サッカー”. 中国新聞 (2006年7月22日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ “サンフレ戦力分析<中>中盤 若手成長で層に厚み”. 中国新聞 (2008年3月6日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ “森崎浩、11カ月ぶり勇姿 21日名古屋戦”. 中国新聞 (2009年11月20日). 2009年11月20日閲覧。
- ^ “森崎浩司選手、現役引退のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2016年10月20日). 2019年11月19日閲覧。
- ^ ホーム最終戦で有終弾! 引退表明の森崎浩司「夢は広島にサッカー専用スタジアムを」 サッカーキング 2016年10月29日
- ^ “森崎浩司氏「サンフレッチェ広島 アンバサダー」就任のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2017年1月5日). 2019年11月19日閲覧。
- ^ “森崎浩輝き再び セットプレーで鋭さ増す左足”. 中国新聞 (2010年4月2日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ あの選手も実は双子!? 世界で活躍する仲良しツインズプレーヤーたち【編集部フォーカス】 フットボールチャンネル 2018年1月19日
関連項目
[編集]- 広島県出身の人物一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの育成組織
- リスト・オブ・ワン・クラブ・マン
- U-20ワールドカップ日本代表選手
- オリンピックのサッカー競技・日本代表選手
- フットメディア : マネージメント
外部リンク
[編集]- 森﨑浩司 - Olympedia
- 森﨑浩司 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 森﨑浩司 - Soccerway.com
- 森﨑浩司 - FootballDatabase.eu
- 森﨑浩司 - WorldFootball.net
- 森﨑浩司 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 森﨑浩司 - FIFA主催大会成績
- 森﨑浩司 - J.League Data Siteによる選手データ
- サンフレッチェ広島F.Cによる公式プロフィール
- 森崎和幸/浩司オフィシャルウェブサイト
- 森崎浩司オフィシャルブログ
- 森﨑浩司【サンフレッチェ広島】 (@KojiMorisaki77) - X(旧Twitter)
- 情熱サンフレッチェ (@jounetsusanf) - X(旧Twitter)