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浜 三嶺(はま さんれい、寛政5年3月20日(1793年4月30日) - 明治11年(1878年)1月14日)は江戸時代後期の儒学者、教育者。名は貞彜(さだつね)[1]。通称は太郎右衛門、新兵衛、新五兵衛、後に兵太夫と改める。別号に新泉[2]。福岡藩藩儒[3]。
福岡藩藩士として[1]筑前国薬院田中に生まれる[2]。藩校修猷館に学び、後に備後国福山の菅茶山に学ぶ[1]。
帰藩後、修猷館の指南加勢役、侍講を経て[1]、天保7年(1836年)2月学問所総裁となる[2]。
その後、奥頭取、陸士頭格頭取、町奉行を歴任する[2]。
- ^ a b c d 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)1518頁
- ^ a b c d 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)53頁
- ^ 笠井助治『近世藩校に於ける学統学派の研究 下』(吉川弘文館、1970年)1564頁