泉美之松
表示
泉美之松(いずみ みのまつ、1917年1月2日 - 1990年5月15日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長、国税庁次長、主税局長、国税庁長官、日本銀行理事、日本専売公社副総裁、同総裁などを歴任。旧姓は石井[1]。
来歴
[編集]岡山県出身。東京帝国大学法学部法律学科卒業。東京帝大法学部在学中に高等試験行政科と司法科に合格[2]。1939年4月 大蔵省入省。大臣官房財政経済調査課属[2]。1940年8月 宇都宮税務署長。1943年10月 在中華民国大使館三等書記官。1946年3月 北税務署長。1953年9月1日 大臣官房秘書課長。1957年7月20日 国税庁間税部長。1960年6月24日 大臣官房財務調査官(主税局担当)。1961年6月16日 東京国税局長。1962年5月16日 国税庁次長。1963年4月22日 主税局長。1965年11月16日 国税庁長官。1968年6月7日 退官。同年11月 日本銀行理事。1971年9月13日 日本専売公社副総裁。1975年7月18日 日本専売公社総裁(〜1982年6月29日)。1989年 勲一等瑞宝章受章。1990年5月15日 脳梗塞で死去。
古橋源六郎は泉を「非常に温厚で、たいへんな勉強家だった」と述べている。また、執筆もしていたことから「税の神様」と呼ばれていた[3]。
略歴
[編集]- 1939年4月:大蔵省入省。大臣官房財政経済調査課属[2]。
- 1940年8月:宇都宮税務署長。
- 1941年7月:理財局。
- 1941年7月:公社部。
- 1942年10月:企画院企画第1部企画第2課。
- 1943年10月:大臣官房秘書課。
- 1943年10月:在中華民国大使館三等書記官。
- 1946年2月:理財局。
- 1946年3月:北税務署長。
- 1947年5月:名古屋財務局直税部長。
- 1948年11月:経済安定本部物価局物価政策課。
- 1948年12月:経済安定本部物価局価格政策課。
- 1949年4月:主税局臨時税制調査室長。
- 1951年5月:主税局調査課長。
- 1951年9月:主税局税制課長。
- 1952年8月16日:主税局税制第一課長。
- 1953年9月1日:大臣官房秘書課長。
- 1955年9月1日:大臣官房秘書課長 兼 大臣官房地方課長。
- 1955年11月1日:大臣官房秘書課長。
- 1956年5月15日:大臣官房秘書課長 兼 大臣官房財務局監督官。
- 1956年7月20日:大臣官房秘書課長。
- 1957年7月:大臣官房秘書課長 兼 大蔵大臣秘書官(事務担当)。
- 1957年7月20日:国税庁間税部長。
- 1960年6月24日:大臣官房財務調査官(主税局担当)。
- 1961年6月16日:東京国税局長。
- 1962年5月16日:国税庁次長。
- 1963年4月22日:主税局長。
- 1965年11月16日:国税庁長官。
- 1965年11月16日:国税庁長官 兼 国税庁次長事務取扱。
- 1966年2月1日:国税庁長官。
- 1967年2月1日:国税庁長官 兼 国税庁次長事務取扱。
- 1967年8月4日:国税庁長官。
- 1968年6月7日:退官。