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甲斐谷忍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
甲斐谷 忍
本名 貝谷 忍
生誕 (1967-09-24) 1967年9月24日(57歳)
日本の旗 日本 鹿児島県
職業 漫画家
活動期間 1994年 -
ジャンル 青年漫画
代表作ソムリエ
ONE OUTS
LIAR GAME
受賞 第42回手塚賞準入選(『もうひとりの僕』)
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甲斐谷 忍(かいたに しのぶ、1967年9月24日 - )は、日本漫画家。男性。代表作に『ソムリエ』・『ONE OUTS』・『LIAR GAME』がある。

略歴

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鹿児島県鹿児島市出身で鹿児島県立甲南高等学校鹿児島大学工学部電子工学科を卒業[1]。学生時代は音楽バンド活動に熱中し、大学では情報処理工学を専攻してコンピュータ・プログラムを学ぶ[1]。大学卒業後、中越パルプ工業株式会社入社[1]富山県高岡市に配属されていた時期にヤングマガジン月例賞に投稿し、初投稿作が佳作受賞。1991年に第42回手塚賞(ストーリー部門)準入選の後、会社を退職し、1993年に漫画家デビュー[1]1994年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)で開始した『翠山ポリスギャング』で連載デビュー。

人物

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  • 大の競馬好きであり、『LIAR GAME』の登場人物の名前は実在の競馬関係者に由来するものが多い。
    • 元々は「漫画の登場人物の名前を覚えていくのが大変で、『ONE OUTS』のときはしばしば混乱してしまった」ことから、「顔とイメージが一致するジョッキーの名前を使う」ことでその問題をクリアしようと考えたことが契機だという[2]
    • 当初はJRA騎手の名前を使っていたが、最近は「いよいよ名前が足りなくなってきた」ため地方競馬の騎手や引退した騎手の名前を使うことが多いとのこと[2]
    • ちなみに2007年オークスでは、ちょうど『LIAR GAME』で秋山深一と福永ユウジが戦った直後で、1着に福永祐一騎乗のローブデコルテ、2着に秋山真一郎騎乗のベッラレイアが入った。甲斐谷の元にもファンから「おかげで当たりました」との声が届いた[2]
  • 子供の頃に特に影響を受けた作品は鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』である。
  • 絵柄は能條純一上條淳士望月玲子の影響を大きく受けている[3]
  • 『ONE OUTS』や『LIAR GAME』など集中連載を行うことが少なくない。
  • 2000年頃から匿名で「漫画家Pの心象風景」というサイトを運営していたが、2001年頃に一旦閉鎖、2003年頃からは「太平天国演義マニアックス」という公式ページを開設したが、1年余りで更新が滞りがちになり、2005年末頃に完全に閉鎖された。
  • 大学の専門は電子工学であり、大学時代はパソコンゲームのプログラム作りにはまっていたため『LIAR GAME』のゲームを作るのは得意[4]
  • 千葉ロッテマリーンズのファンである。

作品

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単行本未掲載作品

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  • 赤の他人(1999年4月発行『COMIC CUE』VOLUME SIX(イースト・プレス)掲載)
  • サンソウ〜禁断の占術〜3(『週刊ヤングジャンプ増刊 漫革』31掲載)
  • ハムラビコート(『イブニング』2017年6号・7号掲載)

アシスタント

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ a b c d 鹿大ジャーナル 第180号” (PDF). 鹿児島大学広報委員会. pp. 16-17 (March 2009). 2021年9月18日閲覧。
  2. ^ a b c 私の競馬、俺の競馬 / 甲斐谷忍・第1回 - JRA・2010年4月14日
  3. ^ 「誰に影響を受けましたか?という質問をよく受けるのですが、絵的には能條純一先生、上條淳士先生、望月玲子先生です。あちこちで憶測で語られてるようですが、これが公式です。ストーリー的には数えきれないくらいいっぱいです」と、自身のTwitter(@mangakap)で2010年5月7日に発言している
  4. ^ 『週刊ヤングジャンプ』2007年21・22合併号のインタビュー記事より
  5. ^ グランドジャンプNo.17 大好評発売中!!「テラフォーマーズ」の橘 賢一新連載「GIGANTIS―ジャイガンティス―」表紙&巻頭カラー!甲斐谷忍 特別読切「カモのネギには毒がある」巻中カラー!”. グランドジャンプ公式サイト. 集英社. 2021年8月4日閲覧。