祭原伊太郎
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祭原 伊太郎(さいはら いたろう、旧姓・大和谷、1853年6月16日(嘉永6年5月10日)[1][2] - 没年不明)は、大阪の商人(洋酒缶詰食料品商)[3][4]、資産家[5]。祭原商店代表[3]。大阪洋酒缶詰同業組合長[1]。族籍は大阪府平民[2][3][4]。
人物
[編集]奈良県磯城郡今里村(のち川東村、現田原本町)出身[1]。大和谷熊吉の長男[1][3]。1874年9月、祭原元助の養子となり1878年10月、分家して一家を創立する[2][4]。南久太郎町の加賀屋文助のもとで頭角を現し、後に独立して心斎橋筋に店を開いた。洋酒缶詰食料品問屋[4]。住所は大坂東区安土町四丁目[2][5]。独立後も文助のところへ毎月一日と十五日の二度挨拶に訪れ、その死後も変わらず未亡人きぬのもとを訪れ続けた[6]。
家族・親族
[編集]- 養父・元助[2][4]
- 妻・さく(1862年 - ?、大阪、原田又兵衛の長女)[2][4]
- 長男・邦太郎(1892年 - ?、祭原商店社長、洋酒食料品商)[7][8]
- 長女・ちよ(1882年 - ?、夫は源治郎)[7]
- 養子・源治郎(1874年 - ?、祭原商店取締役)[7] - 山口県・徳賀榮蔵の二男[7]。1904年、分家する[7]。趣味は園芸[7]。宗教は真宗[7]。住所は兵庫県武庫郡住吉村千歳通[7]。
- 庶子女[4]
- 三女・かめ(祭原商店取締役・祭原彌三郎の妻)[7]
- 四女・ツヤ[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『大正人名辞典』1003頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』さ33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』さ40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第5版』さ43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月12日閲覧。
- ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月12日閲覧。
- ^ 『岩井百年史』岩井産業、1964年、88頁。NDLJP:3032579/64。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第12版 上』サ69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月12日閲覧。
- ^ a b c 『帝国人事大鑑 昭和11年版』サ68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 帝国日々通信社編『帝国人事大鑑 昭和11年版』帝国日々通信社、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。