秋月種政
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 明暦4年5月15日(1658年6月15日) |
死没 | 正徳6年閏2月26日(1716年4月18日) |
別名 | 万作(幼名)、兵部(通称) |
戒名 | 天祐院殿 慶嶽宗善大居士 |
墓所 | 宮崎県児湯郡高鍋町の竜雲寺 |
官位 | 従五位下、長門守、山城守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉、家宣 |
藩 | 日向高鍋藩主 |
氏族 | 秋月氏 |
父母 | 父:秋月種信、母:長徳院(松浦隆信の娘) |
兄弟 | イヌ、チヨ(本堂玄親室)、ナベ(花房正矩室)、種恒、トリ(大森頼隆室)、種政、マツ(安部信峯室)、クニ、種封、種利、マル(織田信明室)、佐久間勝親、女、女、ノブ(北条氏朝継々室)、サン、ヒサ、シホ、ヒサ(隈江信方室) |
妻 |
正室:松浦棟の娘 側室:多数 |
子 | 種弘、カメ(脇坂安清室)、ギン(早世)、ミチ(早世)、シケ(内田好閭室)、山田重国、タメ(大坪景一室)、小田知光、城平内重良、男(早世)、マサ(間野重国室)、泥谷義直 |
秋月 種政(あきづき たねまさ)は、日向高鍋藩の第4代藩主。第3代藩主・秋月種信の次男。母は松浦隆信の娘。
生涯
[編集]寛文11年(1671年)に長兄の種恒が早世したため、次男の種政が世子となる。寛文12年2月8日、将軍徳川家綱に御目見する。延宝5年(1678年)閏12月26日、従五位下・山城守に叙任する。元禄2年(1689年)2月晦日の父の隠居で跡を継いだ。このとき、弟の種封に木脇(現・国富町)などの諸県郡、宮崎郡のうち3,000石を分知したため、高鍋藩の石高は3万石から2万7,000石となった。
藩政においては郡代や代官制度などの統治体制の整備、さらに長宝寺堤の建設などの治水工事や農地拡大、有能な人材の登用などに努めた。宝永7年(1710年)8月2日、長男の種弘に家督を譲って隠居し、宗善と号した。正徳6年(1716年)閏2月26日に高鍋上江にて死去した。享年59。
系譜
[編集]父母
正室
- 松浦棟の娘
側室
- あり
子女
- 秋月種弘(長男)生母は正室
- カメ ー 脇坂安清室
- ギン ー 早世
- ミチ ー 早世
- シケ ー 内田好閭室
- 山田重国
- タメ ー 大坪景一室
- 小田知光
- 城平内重良
- 男 ー 早世
- マサ ー 間野重国室
- 泥谷義直