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稲葉大和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲葉 大和
いなば やまと
生年月日 (1943-11-12) 1943年11月12日(81歳)
出生地 日本の旗 東京都神田区(現・東京都千代田区
出身校 中央大学
前職 稲葉修衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党旧渡辺派山崎派
称号 法学士
親族 父・稲葉修(元衆議院議員、元法務大臣
伯父・稲葉圭亮(元衆議院議員)

選挙区旧新潟2区→)
新潟3区
当選回数 5回
在任期間 1993年 - 2009年
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稲葉 大和(いなば やまと、1943年11月12日 - )は、日本政治家。元衆議院議員(5期)。

概要

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東京都神田区(現在の千代田区)生まれ。駒場東邦高校を経て、1966年中央大学法学部を卒業し、父・稲葉修衆院議員秘書となる。その後、木部佳昭建設大臣秘書を経て、1990年に旧新潟2区から父の地盤を継いで第39回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。

渡辺美智雄の秘書を務めた後、1993年に再び第40回衆議院議員総選挙に立候補して初当選(当選同期に安倍晋三野田佳彦高市早苗岸田文雄塩崎恭久石井啓一茂木敏充田中眞紀子熊代昭彦横内正明野田聖子浜田靖一山岡賢次など)。渡辺派に属す。以後、連続5期当選。科学技術政務次官文部科学副大臣などを歴任。

1997年佐藤孝行の入閣問題で、佐藤の入閣を強く後押しした派閥オーナーの中曽根康弘らを批判し、所属する旧渡辺派を脱会した。ちなみに、父・修はロッキード事件で佐藤逮捕時に三木内閣法務大臣を務めていた。1998年、旧渡辺派の流れを汲む山崎派結成に参加。2000年加藤の乱で、森内閣不信任決議に対して山崎派が欠席する方針を示した際、現職閣僚で身動きの取れなかった保岡興治を除き、山崎派で唯一本会議に出席して森内閣に信任票を投じた。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙新潟3区で5選を果たした。

2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙民主党黒岩宇洋に敗れ、比例復活もならず落選した。

2014年4月、旭日重光章を受章。

所属していた主な団体・議員連盟

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選挙歴

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当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第39回衆議院議員総選挙 1990年02月18日 46 旧新潟2区 自由民主党 5万151票 14.6% 3 4/7 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 49 旧新潟2区 自由民主党 6万5281票 19.8% 3 3/6 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 52 新潟3区 自由民主党 7万9635票 36.03% 1 1/4 /
第42回衆議院議員総選挙 2000年06月25日 56 新潟3区 自由民主党 11万1819票 51.15% 1 1/4 /
第43回衆議院議員総選挙 2003年11月09日 59 新潟3区 自由民主党 10万8627票 55.91% 1 1/3 /
第44回衆議院議員総選挙 2005年09月11日 61 新潟3区 自由民主党 11万1695票 50.14% 1 1/4 /
第45回衆議院議員総選挙 2009年08月30日 65 新潟3区 自由民主党 7万7058票 32.83% 1 2/3 /

関連項目

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脚注

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外部リンク

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議会
先代
山岡賢次
日本の旗 衆議院農林水産委員長
2005年 - 2006年
次代
西川公也
公職
先代
原田義昭
宮本一三
日本の旗 文部科学副大臣
原田義昭
小野晋也と共同

2003年 - 2004年
次代
小島敏男
塩谷立