笠利町
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かさりちょう 笠利町 | |
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廃止日 | 2006年3月20日 |
廃止理由 |
新設 名瀬市、住用村、笠利町 → 奄美市 |
現在の自治体 | 奄美市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 鹿児島県 |
郡 | 大島郡 |
市町村コード | 46528-3 |
面積 | 60.23 km2 |
総人口 |
6,804人 (2006年1月1日) |
隣接自治体 | 龍郷町 |
町の木 | シャリンバイ |
町の花 | シャリンバイ |
笠利町役場 | |
所在地 |
〒894-0595 鹿児島県大島郡笠利町大字中金久141番地 |
座標 | 北緯28度27分12秒 東経129度40分31秒 / 北緯28.45344度 東経129.67539度座標: 北緯28度27分12秒 東経129度40分31秒 / 北緯28.45344度 東経129.67539度 |
ウィキプロジェクト |
笠利町(かさりちょう)は、鹿児島県の奄美大島北東部にあった町。大島郡に属した。
2006年3月20日、名瀬市および住用村と合併して奄美市となり、奄美市の地域自治区となった[1]。
地理
[編集]奄美大島の最北東端に位置する。
歴史
[編集]- 1908年4月1日 - 島嶼町村制により、笠利間切笠利方の区域を以て大島郡笠利村が発足。
- 1946年2月28日 - アメリカ合衆国(琉球列島米国民政府)の統治下におかれる。
- 1953年12月25日 - 奄美大島の日本返還により再び日本国に属する。
- 1961年1月1日 - 笠利村が町制施行。笠利町となる。
- 1974年1月3日 - 大笠利地区で大火。42世帯が焼け出される[2]。
- 2006年3月20日 - 名瀬市、住用村と合併し奄美市となり、奄美市の地域自治区「笠利町」となった(設置期間は2016年3月31日まで[1])。
笠利間切 笠利方
[編集]笠利村、屋仁村、佐仁村、用村、手花部村、嘉瀬村、湯湾村
行政
[編集]- 町長:朝山毅
地域
[編集]教育
[編集]高等学校
[編集]中学校
[編集]- 笠利町立笠利中学校
- 笠利町立赤木名中学校
小学校
[編集]- 笠利町立笠利小学校
- 笠利町立赤木名小学校
- 笠利町立節田小学校
- 笠利町立緑が丘小学校
- 笠利町立宇宿小学校
- 笠利町立手花部小学校
- 笠利町立屋仁小学校
- 笠利町立佐仁小学校
交通
[編集]港
[編集]空港
[編集]バス路線
[編集]道路
[編集]主要道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット
[編集]- 奄美パーク
- 田中一村記念美術館
- 土盛海岸(ともりかいがん)
- あやまる岬
- 笠利町歴史民俗資料館 - 現奄美市歴史民俗資料館
- 笠利岬
- 蒲生崎観光公園
- 宇宿貝塚史跡公園
- 喜子川遺跡
- ばしゃ山村
- 太陽ケ丘総合運動公園
祭事・催事
[編集]- あやまる祭
著名な出身者
[編集]- 栄和人 - 元アマチュアレスリング選手、アマチュアレスリング指導者、至学館大学教授。
- カサリンチュ - 音楽ユニット(ユニット名は町名と人を意味する奄美方言の名詞「チュ」からつけられた)。屋仁および赤木名集落出身。
- 里国隆 - 喜瀬集落崎原出身の盲目の唄者。シマ唄としては最初にレコーディングが行なわれた。
- 南政五郎 - 佐仁集落出身の唄者。
- 上村藤枝(かんむらふじえ) - 須野集落出身の唄者。
- 松山美枝子 - 須野集落出身の唄者。
- 里アンナ - 唄者、歌手、ミュージカル俳優。
- 吉原まりか - 唄者、歌手。マリカミズキのメンバー。
- 中村瑞希 - 唄者、歌手。マリカミズキのメンバー。シンガーソングライターのハシケンともユニットを組んでいる。
脚注
[編集]- ^ a b ○名瀬市、大島郡住用村及び同郡笠利町の廃置分合に伴う地域自治区を設置する協議書 - 奄美市例規集 2011年12月25日閲覧。
- ^ 悲しきつむぎの町 被災者 着の身着のまま 正月料理煮たきで出火『朝日新聞』1974年(昭和49年)1月4日夕刊、3版、7面