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紹定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紹定(しょうてい)は、中国南宋理宗の治世に使用された元号。1228年 - 1233年。

西暦等との対照表

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紹定 元年 2年 3年 4年 5年 6年
西暦 1228年 1229年 1230年 1231年 1232年 1233年
干支 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳
正大5 正大6 正大7 正大8 正大9
開興
天興
天興2
西夏 宝義3 - - - - -

出来事

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  • 宝慶3年
  • 紹定元年
    • 8月:李全がモンゴルを裏切って楚州に還る。
    • 11月27日:皇城出入りをさらに厳しく扱う詔勅が出る。
  • 紹定2年
    • 4月23日:郡県官の欠位に芸術人・豪民・元役人が補任されることを禁ずる詔勅が出る。
  • 紹定3年
  • 紹定4年
  • 紹定5年
  • 紹定6年
    • 7月:孟珙鄧州の馬蹬山に駐屯した金軍を迎撃して大破する。
    • 8月:南宋とモンゴルが金を挟撃することに約する。
    • 9月:金がモンゴルに対抗する同盟を求めたが、南宋はこれを拒否する。
    • 10月:孟珙の率いる宋軍が河南へ北上。モンゴル軍と合流した後、金の蔡州を包囲する。
    • 10月24日宰相史弥遠が死去。
    • 11月6日:翌年より「端平」へ踰年改元の詔が下る。

他の王朝

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関連項目

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前の元号
宝慶
中国の元号
南宋
次の元号
端平