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聖求経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

聖求経[1](しょうぐきょう、: Pāsarāsi-sutta, パーサラーシ・スッタ、あるいは、: Ariyapariyesana Sutta, アリヤパリイェーサナ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第26経。

類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第204経「羅摩経」や、『本事経』(大正蔵765)がある。

釈迦が、比丘たちに向かって、聖なる道(仏道)の探求について、自身の修行時代や2人の師(アーラーラ・カーラーマウッダカ・ラーマプッタ)に言及しつつ、説いていく。後半は梵天勧請のエピソードが記されている。

内容

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二つの探求

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聖なる探求(ariyā pariyesanā)と、聖ならぬ探求の違いを説く。

Dvemā bhikkhave pariyesanā: ariyā ca pariyesanā anariyā ca pariyesanā.

比丘たちよ、これら二つの探求がある。聖なる探求、そして聖ならぬ探求である。

Katamā ca bhikkhave anariyā pariyesanā? Idha bhikkhave ekacco attanā jātidhammo samāno jātidhammaññeva pariyesati, attanā jarādhammo samāno jarādhammaññeva pariyesati, attanā byādhidhammo samāno byādhidhammaññeva pariyesati, attanā maraṇadhammo samāno maraṇadhammaññeva pariyesati, attanā sokadhammo samāno sekādhammaññeva pariyesati, attanā saṅkilesadhammo samāno saṅkilesadhammaññeva pariyesati.

比丘たちよ、聖ならぬ探求とは何か?
比丘たちよ、一部の者はみずからの法を有する者でありながら生まれる法を求め、
みずから老の法を有する者でありながら老いる法を求め、
みずから病の法を有する者でありながら病める法を求め、
みずから死の法を有する者でありながら死の法を求め、
みずから憂の法を有する者でありながら憂いの法を求め、
みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩の法を求める。

Katamā ca bhikkhave ariyā pariyesanā? Idha bhikkhave ekacco attanā jātidhammo sāmāno jātidhamme ādīnavaṃ viditvā ajātaṃ anuttaraṃ yogakkhemaṃ nibbānaṃ pariyesati, attanā jarādhammo samāno jarādhamme ādīnavaṃ viditvā ajaraṃ anuttaraṃ yogakkhemaṃ nibbānaṃ pariyesati, attanā byādhidhammo samāno byādhidhamme ādīnavaṃ viditvā abyādhiṃ anuttaraṃ yogakkhemaṃ nibbānaṃ pariyesati, attanā maraṇadhammo samāno maraṇadhamme ādīnavaṃ viditvā amataṃ anuttaraṃ yogakkhemaṃ nibbānaṃ pariyesati, attanā sokadhammo samāno sokadhamme ādīnavaṃ viditvā asokaṃ anuttaraṃ yogakkhemaṃ nibbānaṃ pariyesati. Attanā saṅkilesadhammo samāno saṅkilesadhamme ādīnavaṃ viditvā asaṅkiliṭṭhaṃ anuttaraṃ yogakkhemaṃ nibbānaṃ pariyesati.

では比丘たちよ、聖なる探求とは何か?
比丘たちよ、一部の者はみずから生の法を有する者でありながら、生の法における不幸(ādīnavaṃ)を知って、生なき無上の瑜伽安らぎ(khemaṃ)である涅槃を探し求め、
みずから老の法を有する者でありながら、老の法における不幸を知って、老なき無上の瑜伽安らぎである涅槃を探し求め、
みずから死の法を有する者でありながら、死の法における不幸を知って、死なき無上の瑜伽安らぎである涅槃を探し求め、
みずから憂の法を有する者でありながら、憂の法における不幸を知って、憂なき無上の瑜伽安らぎである涅槃を探し求め、
みずから煩悩の法を有する者でありながら、煩悩の法における不幸を知って、煩悩なき無上の瑜伽安らぎである涅槃を探し求める。

出家に至る経緯

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釈迦が、己がいまだ悟りを得ていない時代を回想している。初期の聖ならぬ遍求の日々を告白する。

Ahampi sudaṃ bhikkhave pubbeva sambodhā anabhisambuddho bodhisattova samāno attanā jātidhammo samāno jātidhammaññeva pariyesāmi, attanā jarādhammo samāno jarādhammaññeva pariyesāmi, attanā byādhidhammo samāno byādhidhammaññeva pariyesāmi, attanā maraṇadhammo samāno maraṇadhammaññeva pariyesāmi, attanā sokadhammo samāno sokadhammaññeva pariyesāmi, attanā saṅkilesadhammo samāno saṅkilesadhammaññeva pariyesāmi.

比丘たちよ、私もまた正覚以前のころ、未だ正覚を得ていない菩薩であったとき、
みずから生の法を有する者でありながら生の法を求め、...(中略)...
みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩の法を求めていた。

これらの追求に対して、釈迦は疑問を懐いたのであった[2]

比丘たちよ、そのとき私に、このような思いが起こったのだ。
「なぜ私は、みずから生の法を有する者でありながら生の法を求め、...(中略)...みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩の法を求めているのだろうか。
 みずから生の法を有する者でありながら、生の法における不幸を知って、生なき無上の瑜伽安らぎである涅槃を探し求め、...(中略)...みずから煩悩の法を有する者でありながら、煩悩の法における不幸を知って、煩悩なき無上の瑜伽安らぎである涅槃を探し求めてはどうか」と。[2]

二人の師に師事

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アーラーラ・カーラーマおよびウッダカ・ラーマプッタを師としたことが語られる。

その法を成熟したアーラーラ・カーラーマからは、共に教団を運営するよう提案されたが、釈迦は以下の思いが起こり、満足できずに去っている。

nāyaṃ dhammo nibbidāya na virāgāya na nirodhāya na upasamāya na abhiññāya na sambodhāya na nibbānāya saṃvattati, yāvadeva ākiñcaññāyatanūpapattiyā"ti.

この法は無所有処への再生ためだけの法であって、厭離、離貪、滅尽、寂静、証知、等覚、涅槃には続かないものだ。

ウダカ・ラーマプッタからも教団の後継者になるよう提案されたが、釈迦は以下の思いが起こり立ち去っている。

nāyaṃ dhammo nibbidāya na virāgāya na nirodhāya na nibbānāya saṃvattati, yāvadeva nevasaññānāsaññāyatanūpapattiyāti.

この法は非想非非想処への再生ためだけの法であって、厭離、離貪、滅尽、寂静、証知、等覚、涅槃には続かないものだ。

成道

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釈迦はウルウェーラーのセーナー町を訪れ、そこで解脱を得、輪廻からの解放を達成した。

akuppā me vimutti. Ayamantimā jāti. Natthidāni punabbhavo’ti.

わが解脱は達成された。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれ変わることはない。

しかし悟りを経た直後の釈迦は、当初は教えを説くことに消極的であった[3]。釈迦は、自らが得た法(ダルマ)のことを「流れに逆らうもの(Paṭisotagāmiṃ)」と表現していた[4]

Ālayarāmā kho panāyaṃ pajā ālayaratā ālayasammuditā.
Ālayarāmāya kho pana pajāya ālayaratāya ālayasammuditāya duddasaṃ idaṃ ṭhānaṃ yadidaṃ idappaccayatā paṭiccasamuppādo

(世間の)人々は、執着に歓喜し、執着を愛し、執着を好ましく思っている。 そのような執着に歓喜し、執着を愛し、執着を好ましく思っている人にとって、此縁性、縁起の法という理論は受け入れがたいものである。

Kiccena me adhigataṃ halandāni pakāsituṃ,
Rāgadosaparetehi nāyaṃ dhammo susambudho.
Paṭisotagāmiṃ nipuṇaṃ gambhīraṃ duddasaṃ aṇuṃ
Rāgarattā na dakkhinti1 tamokkhandhena āvaṭāti.

困苦して我證得せる所も
今また何ぞ説くべけん
に悩まされたる人々は
此法を悟ること易からず
これ世流に逆らひ至微にして
甚深・難見・微細なれば
欲に著し黒闇に覆はれし者は見るを得ず

梵天勧請

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その心を梵天サハンパティ(sahampatissa)は知り、以下の思いが起こった。

nassati vata bho loko, vinassati vata bho loko,
yatra hi nāma tathāgatassa arahato sammāsambuddhassa appossukkatāya cittaṃ namati, no dhammadesanāyāti.

ああ、これでは世間(loka)は滅んでしまう。まさに世界が滅亡してしまう。
如来であり阿羅漢であって等覚に達した尊い方は、無関心で、彼の心が向かわなけければ、法を説くことがない。

そこで梵天は釈迦の前に現れ、一部の人たちは悟ることができるであろうから、教えを説くよう釈迦へ懇願したのであった(梵天勧請)[3][4]

Desetu bhante bhagavā dhammaṃ. Desetu sugato dhammaṃ.
Santi[注 1] sattā apparajakkhajātikā, assavaṇatā dhammassa parihāyanti.Bhavissanti dhammassa aññātāro"

尊き方よ、世尊は法をお説きください、善逝は法をお説きください。
有情にして塵垢少き類のものたちがおりますが、法を聞かなければ衰退してしまいます。〔しかし聞けば〕法を理解する者となるでしょう。

釈迦はそれに応え、その教えを説くことを決意したのであった。

Apārutā tesaṃ amatassa dvārā
Ye sotavanto pamuñcantu saddhaṃ
Vihiṃsasaññi paguṇaṃ nabhāsiṃ,
Dhammaṃ paṇītaṃ manujesu brahme ti.

不死の門は開かれた
耳ある者は、信を発せよ
梵天よ、〔この法が人々を〕悩ませることを熟知して
私は、微妙なる法を人々に説かなかったのだ 

日本語訳

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  • 『南伝大蔵経・経蔵・中部経典1』(第9巻) 大蔵出版
  • 『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇II』 片山一良訳 大蔵出版
  • 『原始仏典 中部経典1』(第4巻) 中村元監修 春秋社

脚注

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注釈

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  1. ^ VRI版によって訂正。原文のSLTP版は「Sanni」。

出典

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  1. ^ 『南伝大蔵経』、『原始仏典』中村、『パーリ仏典』片山
  2. ^ a b 馬場紀寿『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉2018年、23頁。ISBN 978-4004317357 
  3. ^ a b ひろさちや『完全図解 仏教早わかり百科』1999年12月1日、Chapt.1。ISBN 978-4391123951 
  4. ^ a b 魚川祐司『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』新潮社、2015年4月25日、30-31頁。ISBN 978-4103391715 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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