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谷沢竜蔵

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谷沢竜蔵

谷沢 竜蔵(たにざわ りゅうぞう、嘉永5年6月10日[1]1852年7月26日) - 大正7年(1918年4月1日[2])は、衆議院議員立憲革新党→山下倶楽部→帝国党大同倶楽部)、弁護士

経歴

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若狭国遠敷郡西津村(現在の福井県小浜市)に小浜藩士渡辺瀬平の二男として生まれ、谷沢氏の養子となった。小浜藩校で学んでいたが、1868年明治元年)に貢進生に選ばれ、東京に遊学して法学経済学を学んだ。1871年(明治4年)、廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀県が設置されると郷里に帰った。1876年(明治9年)に代言人規則が制定されると、免許を受けて事務所を開いた。同年、敦賀県が廃止され滋賀県に編入されると大津に事務所を移し、1880年(明治13年)より大津代言人組合会長を務めた[3]

1888年(明治21年)、滋賀県会議員に当選。翌年、大津町会議員にも選ばれた。1891年(明治24年)の大津事件では津田三蔵の弁護を担当した。1892年(明治25年)、県会議員に再選された[3]

1894年(明治27年)の第4回衆議院議員総選挙で当選し、第5回衆議院議員総選挙でも再選された。1899年(明治32年)、再び県議となり、議長に選出された[1]。その後も第7回衆議院議員総選挙第9回衆議院議員総選挙で再選された。

脚注

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  1. ^ a b 『新選代議士列伝』P.152
  2. ^ 衆議院事務局『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』、1940年
  3. ^ a b 『滋賀県会議員正伝』P.3-7

参考文献

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  • 北村正武『滋賀県会議員正伝』天怒閣、1892年。 
  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。