雄武駅
雄武駅 | |
---|---|
駅跡に開業した道の駅おうむ | |
おむ Omu | |
◄雄武共栄仮乗降場 (3.7 km) | |
所在地 | 北海道紋別郡雄武町字雄武 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 興浜南線 |
キロ程 | 19.9 km(興部起点) |
電報略号 | オム←ヲム |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1935年(昭和10年)9月15日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)7月15日[1] |
備考 | 興浜南線廃線に伴い廃駅 |
雄武駅(おむえき)は、北海道紋別郡雄武町(おうむちょう)字雄武にあった日本国有鉄道興浜南線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122203[2]。
歴史
[編集]興浜南線が興浜線(興部駅 - 浜頓別駅)の先行開業区間として開業した経緯で、当駅は終端駅となった。枝幸郡枝幸町の興浜北線北見枝幸駅との間の未成区間は、路盤や施設などは一部が建設されていたものの、社会情勢の変化に伴い、この未成区間は開通することなく、興浜南線とともに雄武駅は廃止された。
- 1935年(昭和10年)9月15日 - 鉄道省興浜南線興部駅 - 当駅間開通に伴い開業[1]。一般駅[1]。
- 1944年(昭和19年)11月1日 - 興浜南線の不要不急線指定にともない休止[1]。
- 1945年(昭和20年)12月5日 - 営業再開[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1959年(昭和34年)9月 - 駅舎改築[3][4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止[1]。
- 1985年(昭和60年)7月15日 - 興浜南線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。駅名は「おむ」と読むが、所在する雄武町は「おうむ」と読み、駅名と地名では読み方に相違があった。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、終端駅であった[5]。ホームは線路の北東側(雄武方面に向かって右手側)に存在した。このほか貨物線、留置線、給水線など[3]、旅客用の1番線の外側に4番線までと、興部方から駅舎側に分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた[5][6]。1番線の先には1975年(昭和50年)3月時点で専用線[6]が続いており、3番線の先には蒸気機関車時代の転車台が残っていた[5]。
職員配置駅で、駅舎は線路の東側に位置しホーム中央部分に接していた[5]。
貨物列車は1980年(昭和55年)時点で隔日運転で、発送荷物はパルプ用丸太、到着貨物は石油、肥料、飼料が主であった[3]。
線路の延長上に興浜北線北見枝幸駅までの未成線の路盤が10km以上先まで続き、北見音標駅予定地付近まで完成していた[7]。駅の北側には雄武トンネル(延長325m)も完成していた[5][7]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 182 | [4] |
駅周辺
[編集]- 国道238号・北海道道410号雄武港線
- 道の駅おうむ - 当駅廃駅後、駅跡に開業した。
- 雄武町役場
- 雄武町立雄武小学校
- 雄武町立雄武中学校
- 北海道雄武高等学校
- 雄武町国保病院
- 北紋バス、宗谷バス「雄武」停留所
駅跡
[編集]駅舎は取り壊され、跡地には2000年(平成12年)時点で地域交流センターが新築され[8]、バスターミナル、「道の駅おうむ」となった。また、地域交流センター横に「歴闘五十年 興浜南線終着駅 おむ」という記念碑が設置されている[6]。
未成区間については、2010年(平成22年)時点で「雄武トンネル」が残存しており[9]、2018年時点では、雄武トンネルの雄武方は鉄柵、北見枝幸方はコンクリートで遮られている状態であった[10]。その先の元稲府川橋梁、音稲府川橋梁も残っていた[10][11]。
隣の駅
[編集]簡易軌道雄武線
[編集]かつて当駅から幌内川中流域の上幌内地区へ向け、簡易軌道雄武線が運行されていた[12]。計画は雄武駅 - 上幌内地区27km、開業区間は雄武駅 - 上雄武駅間12.0km。動力は内燃。栽培されていた甜菜及び森林資源の搬出が目的であった[13]。しかしモータリゼーションにより未完成区間の工事は1953年度(昭和28年度)限りで中止となり[13][14]、開業区間も撤去された。機関車は歌登町営軌道に転用された[15]。
歴史
[編集]詳細不明とする資料もある[16]。
- 1950年(昭和25年) - 雄武駅 - 上幌内駅間工事着工[13]。
- 1953年(昭和28年)時点 - 完成済み区間である雄武駅 - 上雄武駅間が運行中[13]。
- 1954年(昭和29年)3月頃 - 未完成区間の工事中止[13]。
- 1956年(昭和31年) - 廃止[17]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、913-914頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、243頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ a b c 『終着駅 国鉄全132』雄鶏社、1980年10月、12-13頁。ASIN B000J83NES。
- ^ a b 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、908頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、214頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ a b c 三宅俊彦『廃線終着駅を訪ねる 国鉄・JR編』JTBパブリッシング、2010年3月、42頁。ISBN 978-4533078637。
- ^ a b 『雄武町百年史』雄武町、2006年3月、1086頁。
- ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年12月、32頁。ISBN 978-4533033766。
- ^ a b 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、24-25頁。ISBN 978-4533078583。
- ^ a b 草町義和 (2018). “幻の鉄路をたどる(20)興浜線”. 鉄道ジャーナル2018年1月号: 146-151頁.
- ^ 『鉄道未成線を歩く 国鉄編』JTB、2002年6月1日、30-36頁。
- ^ 運行実績に関する文献資料は見当たらない(『雄武町百年史』2006年、1087-1089頁)
- ^ a b c d e 田中和夫『北海道の鉄道』北海道新聞社、2001年1月、274-275頁。ISBN 978-4894531369。
- ^ 『混合列車』第19号、北海道大学鉄道研究会、1990年。
- ^ 湯口徹『簡易軌道見聞録』プレスアイゼンバーン、1979年、22頁
- ^ 今尾恵介 編『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、22-23頁。ISBN 978-4107900197。
- ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、368頁。ISBN 978-4894536128。