麻布狸穴町
麻布狸穴町 | |
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狸穴坂(2013年8月) | |
北緯35度39分29.68秒 東経139度44分20.38秒 / 北緯35.6582444度 東経139.7389944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 港区 |
地区 | 麻布地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.02 km2 |
人口 | |
• 合計 | 710人 |
• 密度 | 36,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
106-0042[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 品川 |
※座標は狸穴公園付近[5] |
麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)は、東京都港区の町名。麻布地区総合支所管内に当たり、住居表示未実施区域[6]。郵便番号は106-0042(芝局管区)[3]。
地理
[編集]外苑東通りより古川(渋谷川)の谷へ向かう斜面に位置する町であり、傾斜部の大部分はマンションや住宅などが並ぶ住宅地となっている。北から東に掛けて麻布台、南で東麻布、西で麻布永坂町と隣接する。かつては町域内にソ連大使館(現在のロシア大使館)があったが、現在では住居表示の実施に伴う町名変更によって、ロシア大使館と東京アメリカンクラブなどがある後方区域は、麻布狸穴町から麻布台二丁目へ変更されている。
麻布台二丁目との境界、外苑東通りからロシア大使館脇を南に下る坂には狸穴坂の名が付いている。麻布永坂町とともに港区内に2か所だけ残る住居表示未実施区域である[6]。
歴史
[編集]かつては豊島郡 (武蔵国)麻布領の飯倉村(のち飯倉町)の一部だったが、江戸時代以降、少しずつ町並みとなり飯倉狸穴町というようになった[7]。谷あいの土地で古くより木立も繁り、魔魅(アナグマ)も住んでいそうな場所であった[7]。この一帯の高台には江戸時代には武家屋敷が並び、低地には庶民の町屋があった[8]。屋敷街は明治時代末期までは瀟洒な住宅街として静けさが保たれていた[6]。
また、かつての麻布狸穴町は現在より町域が広く[9]、当時の狸穴町には1874年(明治7年)に海軍により観象台が設置され、その跡地は現在日本経緯度原点(現:麻布台2丁目)が置かれている[10]。また、満鉄(南満州鉄道)の東京支社は狸穴(現在の麻布台二丁目1番2号)にあった。
狸穴の坂下にはかつて、「狸蕎麦(一名作兵衛蕎麦)」という名代の蕎麦屋があり、色は黒いが味は確かであると評判であった[11]。起こりは、徳川の大奥を荒らしまわったという狸穴の古狸を内田正九郎という侍が討ち取ったが、その狸の霊を蕎麦屋の作兵衛が屋敷内に祀ったことから「狸蕎麦」の名がついたものだったという[11]。昭和時代、狸穴の坂上通り(外苑東通り)に面して南側には「狸蕎麦」の暖簾で営業している蕎麦屋があったが、作兵衛蕎麦との関係は不明であった[12]。坂上通り(外苑東通り)に面して南側には金沢の「芝寿し」の東京売店、みずほ銀行店舗などがあったが現在はない。
冷戦時代以前、「狸穴」は「ソ連大使館」(現:麻布台2丁目)の異名としても通用していた[13]。
地名の由来
[編集]狸穴の地名の由来については諸説あるが、この地に生息していた猯(まみ=アナグマ)に因んで『まみあな』という地名がついたのだが、後に狸の字と混同されてしまい、狸穴(まみあな)と書かれるようになったとする説が有力である。
長い坂下に雌狸の棲む大きな洞穴があったのが地名の起こりとされる[6]。1644年(寛永21年)には、将軍・徳川家光がこの穴の視察を命じたという話も残っている[6]。
残された旧町名
[編集]住居表示に関する法律が成立した1962年(昭和37年)以降、港区においても新たな街画が設定され、それまでの歴史ある町名が次々と消滅した。1978年(昭和53年)には、町名変更の実施率が97.4%に達していた[6]。この際に最後まで残ったのが麻布狸穴町と麻布永坂町であり、これら2町の名称は現在まで存続することとなった[6]。
これは、この町の住民であった世界経済調査会理事長・木内信胤が「歴史的にも古く、価値のある町名はきちんと後世まで残すべき」と、住居表示の施行を強行する行政に対して異を唱え、麻布永坂町に居を構える脚本家・松山善三が中心となって反対運動を行い、同じく同町のブリヂストン創業者・石橋正二郎らも改称に対して強固に異を唱えた結果である[6]。
沿革
[編集]- 江戸時代初期、狸穴坂沿いの町屋が飯倉狸穴町となる。
- 1868年(明治元年) - 東京府成立に伴い、東京府に所属する。
- 1878年(明治11年) - 麻布区成立に伴い、東京府麻布区飯倉狸穴町となる。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 東京市成立に伴い、東京市麻布区飯倉狸穴町となる。
- 1911年(明治44年)5月1日 - 町名より「飯倉」の冠称が省かれ、麻布区狸穴町となる。
- 1930年(昭和5年) - ソ連大使館が麹町より狸穴町に移転してくる。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 麻布区が芝区・赤坂区と合併し、新たに港区が成立。それに伴い、町名に「麻布」の冠称がつき、港区麻布狸穴町となる。
- 1962年(昭和37年)9月30日 - 麻布狸穴町の南の一部(東京法務局出張所周辺)を東麻布二丁目・東麻布三丁目に編入。同時に、麻布永坂町の一部(狸穴公園周辺)を編入。
- 1974年(昭和49年)1月1日 - 麻布狸穴町の東側(ソ連大使館敷地)が、麻布台二丁目(街区符号は1番)として住居表示が実施される。
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
麻布狸穴町 | 353世帯 | 710人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 港区立麻布小学校 | 港区立六本木中学校 |
施設
[編集]- 港区防災器材収納庫
舞台となっている映画
[編集]舞台となっている楽曲
[編集]- 当地を舞台に展開される大人のアヴァンチュールの歌[15]。
脚注
[編集]- ^ “平成27年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年10月1日). 2019年9月9日閲覧。
- ^ a b “各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~平成31年・令和元年)”. 港区 (2019年9月5日). 2019年9月9日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月7日閲覧。
- ^ Google Earthより
- ^ a b c d e f g h 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社) 第20巻第5号 平成17年5月3日発行
- ^ a b 麻布地区の旧町名由来一覧 港区公式サイト
- ^ 『古地図で巡る百年越えの老舗 東京』JTBパプリッシング、2013, p.116
- ^ 麻布狸穴町麻布細見
- ^ 日本経緯度原点(麻布台2丁目)港区
- ^ a b 佐藤隆三 『江戸の口碑と伝説』
- ^ 「狸穴坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 2003(平成15)年9月20日発行
- ^ 今尾恵介 「失われた地名を手がかりに東京町歩き」 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社)第20巻第5号 2005(平成17)年5月3日発行
- ^ “港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). 2019年9月9日閲覧。
- ^ 「沢たまき&プレイガール ミュージックコレクション」2004年4月21日発売 CD:規格品番VICL-61369〜70より。文章:藍渕邪子
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)
- 『麻布警察署管内各派出所部内略図』 伊藤峯三郎 1890年(明治23年)
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