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やちまた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『やちまた』
作者 足立巻一
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 評伝
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出 『天秤』
1968年1月 - 1973年10月
初出時の題名 やちまた
刊本情報
出版元 河出書房新社
出版年月日 1974年10月
受賞
第25回芸術選奨文部大臣賞
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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やちまた』は、足立巻一の著書。盲目国学者である本居春庭の生涯と、著者の半生を重ね合わせて、小説の形態で描いた評伝であり、春庭の伝記考証として極めて貴重とされる[1]。題名は春庭の著作『詞八衢』に由来する[2][3][注 1]

概要

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足立は神宮皇學館(現・皇學館大学)に在籍していたころ、「本居春庭の伝記を記したい」と思っていたが、資料不足などを理由に、何度か試みては放棄していた[5]。やがて1955年昭和30年)6月、足立は総28頁の観光パンフレット「鈴屋」を執筆したのを契機に、春庭研究を再開した[6][注 2]。ようやく初稿の執筆を思い立ったのは、1967年(昭和42年)のことで、本居宣長記念館の設立の決定に伴って本居家文書の精査が開始されたことにより[注 3]、春庭関連の思いもしなかった大量の資料が出現したことによるという[7]。とりわけ『詞八衢』の稿本が、屏風の下貼りから発見された時の感動について、足立は「今日まで生命を与えられた至福が思われた」と回想している[5]

本書は1968年(昭和43年)1月から1973年(昭和48年)10月まで同人誌『天秤』で連載され[9][注 4]、足立は新資料の出現などを受けて初稿を補正しながら、結果的に全編を改稿したものを1974年(昭和49年)10月に河出書房新社より刊行した[5][11]。上下2巻、全20章。

1975年(昭和50年)、第25回芸術選奨文部大臣賞を受賞した[5][11][12][13][14]

内容

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本居春庭『詞八衢』
本書の稿本ならびにカードの発見は圧巻とされ[1][15]、物語後半最大の山場とも評される[7]。この発見の蔭には、非常な努力の払われていたことが如実に現われている[16]

本書の主人公は、著者である足立その人と思わせる“わたし”で、第一人称語り手として話を進めていく私小説としての形態を作品の基軸とする[17]

第1章では主人公が春庭に傾斜していく過程を述べ、第2章では本居宣長の人物像について追究し、第3章から第6章では「春庭が失明していく経緯」や「失明後の動向」が語られる[18]。第7章から第11章にかけては、春庭に関連のある人物(あるいは関連のありそうな人物)[注 5]について、その著書、学説、伝記などを網羅しながら列伝の様相を呈している[19][20]。第12章から第15章までは、皇學館を卒業後、二度の従軍復員などの紆余曲折を経て新聞社に勤め、テレビ番組の制作に携わるようになっていく主人公の軌跡と、友人たちや恩師たちのその後の物語が展開していく[7]。そして、第16章における『詞の小車』稿本探訪と同書検証の史的意義の提言を経て、第17章と第18章は主人公による春庭の稿本や資料の調査・解析が中核となる[7]。第19章では、針術修行のために上京する春庭を中心とする歌日記の記載を元に、彼らが中途で立ち寄った場所の足取りを辿り、春庭が治療を受けた医師に思いを馳せる[21]。最終章である第20章では、未見の春庭書簡(とりわけ失明後の寛政7年のもの)ならびに『詞八衢』の活用の例語を種別して抜き出した横本2種が出現したことを受け、「『詞八衢』は父追慕の書であり、その一方で自立のための著作でもあった」と結論づけるが、結局は決定的な論証を得られず、仮説の域を出ないまま物語は幕を閉じる[22]

このように足立は、「春庭は盲目でありながら、日本語用言に備わる規則性をいかに発見し、整然と組織したか」という疑問を出発点に、『詞八衢』の成立をめぐる定説を洗い直して、春庭の思考法における独創性を見出そうとした[23]。こうして春庭による研究の過程が次第に明らかとなり、同時に春庭の生涯の全容が明らかになった[5]。しかし、足立の関心は国語学に留まらず、例えば宣長の葬儀がどうであったかということも推理しているほか、松阪市歴史などに至るまで、多くの資料を駆使して調べ尽くしてある[24]。また、旧跡を訪ねて歩く中で出会った様々な人々の生き様も活写されている[25]

評価

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本書の刊行以後、春庭研究が盛んになった[11]。刊行から間もなくして得た「国語学史上の重い文献となるに違いない[26]」や「日本国語学史は本書を抜きには考えられなくなった[27]」などの評価が示すように、近世期における日本語学の歴史について、専門的な資料から関連資料に至るまで入念に調査しており、しばしば参考文献に利用される[28]。また、本書を切っ掛けにして国語学史研究に着手した研究者も少なくない[29]

一方で「異色作であるが、いま少し著者の春庭観が欲しかった[30]」という評価のほか、学問的な疑念として「『詞八衢』の版種について、4回も重版しているというが、それは誤りで、もっと重版しているし、小型版も出ている」や「『詞通路』についての研究史がいささかお粗末である」などの評価も[31]、少なからず存在する。

書誌

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  • 初版 - 河出書房新社、1974年10月
    • 上巻
    • 下巻
  • 新装版 - 河出書房新社、1990年11月
    • 上巻 ISBN 4-309-00653-1
    • 下巻 ISBN 4-309-00654-X
  • 朝日文芸文庫 - 朝日新聞社1995年4月
  • 中公文庫 - 中央公論新社2015年3月
初出との関連[注 6]
初出 対応する単行本の章 備考
掲載号 発行年月 標題
『天秤』第23号 1968年1月 やちまた1 第1章 本文または写真が一部カットされている[注 7]
『天秤』第24号 1968年4月 やちまた2 第2章
『天秤』第25号 1968年7月 やちまた3 第3章
『天秤』第26号 1968年10月 やちまた4 第4章
『天秤』第27号 1969年1月 やちまた5 第5章
『天秤』第28号 1969年6月 やちまた6 第6章
第7章
『天秤』第29号 1969年8月 やちまた7 第8章
『天秤』第30号 1969年10月 やちまた8 第16章
『天秤』第31号 1970年3月 やちまた9 第9章
『天秤』第32号 1970年6月 やちまた10 第10章
『天秤』第33号 1971年2月 やちまた11 第11章
『天秤』第34号 1972年7月 やちまた12 第12章
『天秤』第35号 1972年10月 やちまた13 第13章
第14章
第15章[注 8]
『天秤』第36号 1972年12月 やちまた14 第15章
『天秤』第37号 1973年14月 やちまた15 第17章
『天秤』第38号 1973年10月 やちまた16 第18章
第19章
第20章

脚注

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注釈

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  1. ^ 他にも『失明前後』や『盲学者伝』などの候補があった[4]
  2. ^ この間の事情については『やちまた』の「第15章」に詳しい[7]
  3. ^ 調査は8月末まで続行した[8]。9月には東京本居家の資料調査が行われている[9]
  4. ^ 『天秤』は神戸の詩人グループによって1950年(昭和25年)に創刊されたが、発行は不定期で、年2回や年3回というのが多く、発行されなかった年も何度かあり、1978年(昭和53年)に自然終刊となった[10]
  5. ^ 例えば足代弘訓富士谷成章御杖鈴木朖鹿持雅澄義門平田篤胤富樫広蔭など[19]。他の章でも荒木田久老柴田常昭芝原春房田中道麿谷川士清などを取り上げている[20]
  6. ^ 西尾明澄 (2000)の「天秤やちまた」による。
  7. ^ 文庫本では写真が全て割愛されている。
  8. ^ 取材で戦後初の松阪を訪れてから、新聞社を退社するまで[32]

出典

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  1. ^ a b 山口明穂 (1995), p. 283.
  2. ^ 大久保正 (1975), p. 29.
  3. ^ 福島邦道 (1976), p. 121.
  4. ^ 「〈ひと〉評伝文学「やちまた」で芸術選奨の文部大臣賞を受けた/足立巻一」『朝日新聞』1975年3月26日、朝刊、3面。
  5. ^ a b c d e 本居宣長記念館 (2022), p. 117.
  6. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 40.
  7. ^ a b c d e 杉田昌彦 (2015), p. 74.
  8. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 42.
  9. ^ a b 本居宣長記念館 (2018), p. 43.
  10. ^ 西尾明澄 (2000), p. 112.
  11. ^ a b c 本居宣長記念館 (2018), p. 45.
  12. ^ 「芸術選奨きまる 田中絹代さんら11人 新人賞9人 新分野へ、異色の顔」『読売新聞』1975年3月15日、朝刊、18面。
  13. ^ 「女優の田中さんら 芸術選奨 20氏決まる」『朝日新聞』1975年3月15日、朝刊、22面。
  14. ^ 「芸術選奨」『週刊読書人』1975年3月31日、8面。
  15. ^ 福島邦道 (1976), p. 122.
  16. ^ 山口明穂 (1976), p. 9.
  17. ^ 杉田昌彦 (2015), p. 70.
  18. ^ 杉田昌彦 (2015), p. 71.
  19. ^ a b 杉田昌彦 (2015), p. 73.
  20. ^ a b 田辺正男 (1975), p. 91.
  21. ^ 杉田昌彦 (2015), p. 75.
  22. ^ 杉田昌彦 (2015), pp. 75–76.
  23. ^ 野口武彦 (1975), p. 197.
  24. ^ 杉田昌彦 (2015), pp. 71–72.
  25. ^ 杉田昌彦 (2015), p. 72.
  26. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』学問と人生の重さ 語学者「本居春庭」の評伝」『読売新聞』1974年11月18日、朝刊、9面。
  27. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』人生の陰影も活写」『朝日新聞』1974年12月16日、朝刊、10面。
  28. ^ 竹田純太郎 (1993)中村朱美 (2023)など。
  29. ^ 服部隆 (2017)など
  30. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』」『毎日新聞』1974年12月2日、朝刊、7面。
  31. ^ 福島邦道 (1976), p. 123.
  32. ^ 西尾明澄 (2000), p. 123.

参考文献

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図書
論文
  • 山口明穂〈昭和49・50年における国語学界の展望〉国語学史」『国語学』第105号、国語学会、1976年6月、7-13頁。 
  • 山口明穂 著「国語学史」、国語学会 編『国語学の五十年』武蔵野書院、1995年5月、275-284頁。ISBN 4-8386-0154-9 
  • 杉田昌彦「〈書評〉足立巻一『やちまた』(中公文庫版)の読後に」『鈴屋学会報』第32号、鈴屋学会、2015年12月、70-77頁。 
  • 大久保正「〈書評〉足立巻一著「やちまた」上・下」『國文學』第20巻第3号、学燈社、1975年3月、29頁。 
  • 竹田純太郎「『活用言の冊子』について」『国語学』第173号、国語学会、1993年6月、15-27頁。 
  • 中村朱美「『語法手扣』と『てにをは扣』:春庭による『あゆひ抄』の抄出本」『鈴屋学会報』第40号、鈴屋学会、2023年12月、17-33頁。 
  • 田辺正男「〈わたしの読んだ本〉足立巻一著「やちまた」上・下」『言語生活』第284号、筑摩書房、1975年5月、91-92頁。 
  • 福島邦道「〈紹介〉足立巻一著「やちまた」」『国語学』第104号、国語学会、1976年3月、121-123頁。 
  • 野口武彦「言霊のありか:足立巻一「やちまた」をめぐって」『すばる』第20号、集英社、1975年6月、196-203頁。