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ノート:鉄道ジャーナル

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経営状況について

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>近年の経営状態は思わしくなく
これの具体的なソースは?RJ誌を読む限り「経営状態が悪い」という直接的な表現はないと思いますが。瓦斯太 2006年7月2日 (日) 14:26 (UTC)[返信]

すみません。書いたものです。再度調べましたが、部数減少とはありましたが、経営状態まではありませんでした。表現に行き過ぎがありました。訂正しておわびします。--Jnr bus 2006年8月16日 (水) 11:11 (UTC)[返信]

近年の発行部数減少については、何もこの雑誌(あるいは雑誌社)に限られたものではなく、出版業界全体に起きている事象です。(wikipediaにも出版不況活字離れという記事が存在します。)
ですので、「発行部数の減少に歯止めがかからない」などの表現を用いるには、「他誌と比べて減少している(割合が多い)」ことを明記する必要がありますし、そのことを示す具体的な資料の明示も必要です。 発行部数の減少という事実のみを捉え、記事を構成している傾向が見られますので、そのことが解消されない限り、この記事の中立性について疑義が解消されることはないかと思います。--Tokacyan 2006年8月19日 (土) 19:19 (UTC)[返信]

少し変えてみました。問題があるなら訂正します。ただ、この記事を書くには部数減少は避けられないと思ったもので。--Jnr bus 2006年8月20日 (日) 03:26 (UTC)[返信]
出版不況による部数の減少については、それ以前から編集後記などで指摘されていたと思いますよ。 件の種村氏のコラムを私も拝見したことがありますが、それについても、「出版不況」という予備知識を入れた上で読んだ上では出版に携わっている人物がその今後の情勢について憂慮するという、至極当たり前な見識を述べたのに過ぎず、特にここに書かれているような、批判的であったり、告発的なメッセージ性などは一切感じませんでしたが。 
「発行部数の減少」については特にこの雑誌に限られたことではなく、現時点で公に「廃刊」や「休刊」がとり立たされているわけでもありませんから、特段ここで述べる必要はない事柄かと思うのですが。--Tokacyan 2006年8月20日 (日) 04:02 (UTC)[返信]
冒頭を削ってみました。部数減云々は評する立場にないことを自覚した上ですが、竹島氏に言われたことについてはありのままのこととして、掲載しても構わないと思います。--Jnr bus 2006年8月20日 (日) 05:20 (UTC)[返信]

「批判」について

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鉄道とは無縁という理由で削除されましたが、はっきりいって私が指摘したものはまったく鉄道の問題です。鉄道におけるジャーナリズムというものについて機能しているかどうかの問題です。

分割民営化の際のスタンスについては公平ではありませんでした。竹島編集長が右派に属することも影響したのかはわかりませんが、政治的中立が保たれるべきジャーナリズムを一方的主張のみに仕立て上げたことは事実といえます。反対派や慎重派の意見がないがしろにされ(寄稿があったことは予想できます)議論が全くありませんでした。分割民営化の負の遺産とされる尼崎列車脱線事故に触れないという方針の伏線はここにあるのでしょう。当時はインターネットがないことで情報がないこと、情報操作が簡単にできることも影響したと思います。

「東京と比べて・・・」は、分割民営化とは直接関係ありませんでしたが、かなり昔から各都市圏の電車に対して評論するときの常套句です。特に新潟や名古屋のシティ電車のレポートで多用されています。テレビ離れの項目でマスコミが東京一極集中の問題を持つことと根本が同じと判断し、十分問題と考えます。たぬき 2006年8月4日 (金) 14:39 (UTC)[返信]

・鉄道雑誌の説明において「テレビ離れ」や「東京一極集中」を持ち出すのかがわからない。それこそ『地方の人から見た偏った視点』にしか見えないこともあります。百科事典の持つべき「中立性」に欠ける点があるんじゃないかと。 ここにおける批判の項目は『批判の詳細を説明する』場ではないです。あくまでも『鉄道ジャーナルについてどんな批判が出てるの?』をさらっと、簡潔にまとめるだけで十分。それでこそ百科事典のあるべき姿。

それ以上やりたいなら、自分のブログで主張することをお勧めします。Mumeig.USO以上のコメントは、Mumeig.USO会話投稿記録)さんが[2006年8月5日 (土) 12:47-12:57 (UTC)]に投稿したものです。

たぬきさん。こんばんは。公式の方針として示されているWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点をよく読まれた方が良いかと思います。

Wikipedia:検証可能性としては以下の方針が示されています。

  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している題材だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい題材を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。

これは簡単に言えば「出典を明らかにして下さい。その義務は削除する側にはありません。あなた以外の他人が確認できない記事は載せないで下さい。」ということだろうかと思います。

また、Wikipedia:中立的な観点には「この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」ともあります。

たぬきさんの記述は具体的な出典が明らかでなく、それを基に意見を書いてしまっています。また、ノートに書かれていることも殆どが記事内容に対する意見ではなく、鉄道ジャーナルという雑誌および竹島氏に対しての個人的な意見となっています。ここはそういう場ではないということもご理解戴きたいです。--↑PON 2006年8月5日 (土) 17:18 (UTC)[返信]