コンテンツにスキップ

フューリアス (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フューリアス
大型軽巡洋艦期のフューリアス
基本情報
建造所 アームストロング・ホイットワース
ウォールズエンド英語版工場
ヴィッカーズ=アームストロング
エルジック造船所(改装時)
運用者  イギリス海軍
艦歴
起工 1915年6月8日
進水 1916年8月15日
就役 1917年6月26日
退役 1944年9月15日
除籍 1948年1月
その後 1948年3月15日 売却・解体
1954年 解体終了
要目(竣工時)
基準排水量 22,450トン
満載排水量 28,500トン
全長 786 ft (240 m)
水線長 750 ft (230 m)
最大幅 88 ft (27 m)
吃水 25 ft (7.6 m)
機関 蒸気タービン
ボイラー ヤーロウ式重油専焼小型水管缶18基
主機 ブラウン・カーチス式ギアードタービン4基
推進 4軸
出力 90,000 SHP
最大速力 32.5ノット
航続距離 6,000海里(20ノット時)
乗員 880〜1,218名
兵装 Mark I 18インチ=45.7cm(40口径)単装砲2基(後に後部に1基のみ)
Mark I 14cm(50口径)単装速射砲11基11門
7.6cm(40口径)単装高角砲5基5門
53.3cm水中魚雷発射管単装2基2門
装甲 舷側:51〜76mm(水線部)
25mm(水雷隔壁)
甲板:76mm(最厚部)
砲塔:279mm(前盾)
主砲バーベット部:103〜178mm
司令塔:254mm(最厚部)
搭載機 固定脚機5〜6機、水上機3機
テンプレートを表示
航空母艦時代のフューリアス
基本情報
前級 英海軍の飛行甲板付水上機母艦
次級 ヴィンディクティヴ
艦歴
要目(第二次改装時)
基準排水量 22,000トン
満載排水量 27,500トン
全長 786 ft (239.7 m)
水線長 750 ft (230 m)
最大幅 88 ft (27.4 m)
飛行甲板 175.6m×27.9m(上段)
61m×27.9m(下段)
吃水 25 ft (7.6 m)
出力 91,195 SHP
最大速力 31ノット (57 km/h)
燃料 重油:4,310トン
航空燃料:95トン
航続距離 4,310海里(16ノット時)
乗員 (1932年)
1,108名、うち航空要員360名
(1943年)
1,230名、うち航空要員370名
兵装 Mark XVI 4インチ=10.2cm(45口径)連装高角砲6基12門
ヴィッカーズ QF 2ポンド=4cm(39口径)ポンポン八連装砲6基48門
20mm連装機銃8基16門+同単装6基計22門
装甲 舷側:76mm
甲板:51mm
搭載機 22-40機
テンプレートを表示

フューリアス (英語: HMS Furious, 47) は[1]イギリス海軍が建造した世界初の本格的航空母艦である[2][3]

元はバルト海における上陸侵攻作戦 (Baltic Project) のために建造されたカレイジャス級巡洋戦艦英語版 (Courageous-class battlecruiser) である[4][注釈 1]。試行錯誤の末に[6]、数度の改装を受け[7][8]、艦容が幾度も変遷した[9]。 最終的に全通式飛行甲板を持つ多段式空母になった[10][注釈 2]

なお、“Furious”とは「強烈な」[12]、あるいは「怒り狂った」「猛烈な」という意味である[13][注釈 3]

概要

[編集]

カレイジャス級巡洋戦艦は、第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャーの発案による「ハッシュ・ハッシュ・クルーザー」である[15][注釈 4][注釈 5]。 設計はサー・ユースタス・テニスン・ダインコートが担当した[18]。 先行艦2隻が15インチ砲4門(連装砲塔2基)だったのに対し[19][20]、当初は15インチ砲塔を搭載予定だったフューリアスも設計を変更し[21]、主砲を40口径457mm(18インチ)砲Mk.I 単装2基とした[22][23][注釈 6]。他にも水中防御に若干の改善を見た[25]。しかし建造中にバルト海作戦の必要性が薄れたことから本格的航空機運用能力を付与することとなり、前部主砲塔を撤去して発艦甲板を設け、艦後部に18インチ単装砲を装備した姿で就役した[26][27]

カレイジャス級巡洋戦艦に対するイギリス軍の評価は、あまり良くなかった[注釈 7]。 フューリアスも、前部飛行甲板から発艦は出来たが、着艦は事実上不可能だった[注釈 8]。 就役後、運用実績により1年を経ずして第1次大改装を行い、後部主砲塔も撤去して着艦甲板を設ける[30]。ただし艦中央部の上構(艦橋、煙突)はそのまま残されたままだった[31][32][注釈 9]。このように第一次世界大戦当時の本艦は艦上機を運用する上でいくつもの問題があり、世界最初の実用的空母としてイギリス海軍の「アーガス」を挙げる事例がある[36]

1922年(大正11年)から1925年(大正14年)にかけて第2次大改装が行われ、本格的な航空母艦として生まれ変わる[37]ワシントン会議ワシントン海軍軍縮条約により保有艦艇に制限が加えられ、本艦は引き続き空母として存続を許された[注釈 10]。 また軍縮条約の規定により制限枠内で戦艦(巡洋戦艦)の空母改造が認められたので[39]、イギリス海軍は本艦を参考にカレイジャス級巡洋戦艦をグローリアス級航空母艦に改造した[40][注釈 11]姉妹艦2隻とフューリアスを併せた三空母は[注釈 12]、アメリカ海軍のレキシントン級航空母艦[43]、日本海軍の赤城加賀に次ぐ有力な大型空母として、海軍休日時代の英空母陣の主力を構成した[44][注釈 13]

第二次世界大戦でもイギリス海軍の主力空母として地中海攻防戦大西洋戦線で運用された。1944年にはドイツ戦艦ティルピッツへの攻撃に参加した[46]。この作戦では大型化した艦上雷撃機を発進させるため、飛行甲板にスキージャンプ台を仮設している。第二次世界大戦後、解体された。

改装の履歴

[編集]

改装前

[編集]

本艦の艦種は、軽巡洋艦[47]、特別軽巡洋艦[48]、大型快速巡洋艦[49]、大型軽巡洋艦と表記する事例もある[37][13]。敵の巡洋艦を駆逐するための「巡洋艦駆逐艦/巡洋駆逐艦 Cruiser Destroyer」という艦種表記もある[50][注釈 14]。 本級の排水量17,500トン(計画常備状態)は、レナウン級巡洋戦艦の27,650トンや巡洋戦艦タイガーの28,500トンより少ないが、インヴィンシブル級巡洋戦艦の17,250トンやインディファティガブル級巡洋戦艦の18,750トンと同級である[52]。すなわち軽巡洋戦艦とも言える[14][53][注釈 15]。 船体もそれに応じた細長いものとなっている[注釈 16]

水線長238.4m(全長239.7m)に対して竣工時の艦幅は26.8mで[56]、LB比(水線長/幅)8.9となる。吃水はバルト海作戦用に浅吃水を求められた名残で6.9mという低い値で[56]、1万トン級の中型艦程度しかない[注釈 17]。この当時の排水量は常備19,513トン、満載22,405トン、乗員は合計880名であった[56]。しかし概要にあるようにバルト海作戦の必要性が薄れ、戦力的に浮いた存在となった[1]。折しもイギリス海軍では、当時発達著しい航空機、それも水上機ではなく固定脚をつけた陸上機を多数海上で運用する能力を持った艦の必要性が言われるようになり、本艦が航空母艦に改装された[57]

兵装

初期の計画では、カレイジャス級巡洋戦艦の3番艦として15インチ連装砲塔2基(計4門)を搭載予定だった[24]。しかしフィッシャーの意見が通り、本艦に457mm(18インチ)砲という当時世界最大の艦載砲2門(艦の前後)に搭載する設計となった。ただし18インチ砲が失敗作だった場合に備えて、従来の15インチ連装砲塔を搭載できるように設計されていた[58]。実際のフューリアスは艦前部が飛行甲板となり、艦後部に18インチ主砲1門を搭載した状態で竣工した[26]。フューリアス用の15インチ連装砲塔は、エレバス級モニターエレバス (HMS Erebus, I02) 」に装備された[59]。もう一つの15インチ連装砲塔は、第二次世界大戦時に建造されたロバーツ級モニターアバクロンビー (HMS Abercrombie, F109) 」に流用された[60]

副砲には50口径14cm単装砲Mk.I 11門を上構に沿って均等に並べた[56]。この内上構後端・中心線上に置かれた1門は改装に伴って撤去されたが、残る10門はそのまま維持された。他に7.6cm単装高角砲2基、3ポンド単装砲4基を積む他、533mm水中発射管を単装2基(片舷斉射数1発)装備していた。尚、魚雷発射管は建造時の予定では水中発射管だけではなく水上発射管を搭載する予定であり、設計図にも搭載位置が指定されていたが、竣工時には水上発射管は搭載されていない。

防御
竣工時点では本格的水上戦闘が考慮されたこともあり、大型軽巡洋艦としての防御がそのまま維持された。舷側76-51mm、水平76mm、バーベット178-103mm、主砲塔229mm、司令塔254mm、水中隔壁25mm等である。
機関
機関構成は生涯を通してヤーロー式水管缶18基(蒸気性状は235PSI、摂氏200度超)とブラウン・カーチス式オール・ギヤードタービン4基4軸・9万馬力である。主缶は6基ずつ、前・中・後部の缶室に収めた。最大速度は31.5ノット、航続距離は重油3400トン、20ノットで6000浬である。

航空機運用のための改装・就役(1917年3月 - 6月)

[編集]
艦首飛行甲板のソッピース キャメル
着艦しようとするソッピース パップ(ダニング機)

イギリス海軍は第一次世界大戦時点で水上機母艦を運用していたが、その中には飛行甲板を設置し、車輪付航空機を発進させることが可能な艦もあった[注釈 18]。 これらの経験にならい、大型巡洋艦にも飛行甲板が設置された。本艦の艦首甲板上の前部18インチ砲を単装砲塔ごと撤去し、格納庫とした[57]。砲塔の穴は塞がれ、その上に長さ70メートル・幅15メートルの飛行甲板を設けた。飛行甲板は、艦首にむけて緩い傾斜がつけられている。上から見ると、艦体の形状に沿っているため艦首部分は狭くなっている[57]。艦の前部だけを見れば空母といえるが、艦橋を基部に組み込んだ前部マストと煙突、後部主砲塔等、発艦甲板以後は水上艦そのものの艦姿であった[26]

こうして固定脚を装備した航空機を運用可能な艦となったフューリアスは運用実験を行うこととなった。発艦は容易であったが、短い飛行甲板と艦の中央を占領している構造物に衝突する危険性から、着艦は不可能であった[57]。本艦から飛び立った機体のうち、水上機は近くに着水すれば良いが陸上機は陸上基地で着陸するしか無く、寄港後に再度運び入れる必要があった。このような運用上の不便さから、搭載機乗員は自主的な「着艦」訓練を実施することとなる。

着艦と言っても現在のそれとは異なり、艦の側面を失速ぎりぎりで飛行し、艦橋を追い越したときに機を横滑りさせ甲板上に持ってきて着艦、乗組員が機体を押さえるというアクロバット的かつ強引な方法で行われた。言うまでもなくパイロットに高度な技術を必要とし、甲板要員・パイロット共に危険を伴う着艦法であり、同年8月には着艦直後の機体がそのまま甲板から海に転落し、操縦していたエドウィン・ハリス・ダニング英語版飛行隊長が溺死するという事故が起こった。この結果から着艦訓練は危険と判断され、全面的に禁止されることとなる。

1917年の改装で特筆すべきは水雷兵装の強化で、533mm水上発射管が3連装4基+連装2基追加装備され、これに加えて新造時からの533mm水中発射管単装2基と合わせ、魚雷発射管を計18門(片舷斉射数最大9発)装備した[62]

18インチ砲は、フューリアスの前後に搭載予定の2門と、予備砲身が製造されていた[34]。 本艦から撤去された18インチ砲は[63]、予備砲身を含めて廃棄されずに再利用された[64][65]。A砲塔の砲身はロード・クライヴ級モニター艦ジェネラル・ウルフ英語版 (HMS General Wolfe) 」に、また予備の砲身が「ロード・クライヴ英語版 (HMS Lord Clive) 」に搭載された[66]

第一次改装(1917年11月 - 1918年3月)

[編集]
ダズル迷彩を施されたフューリアス(1918年時)

このような艦では作戦遂行にも支障をきたすため、後部18インチ砲塔を撤去して後部甲板上にも縦85メートル×横20メートルの着艦用甲板を設置することとなった。しかし、艦橋構造物と煙突は依然として残されており、機関から出る排煙の問題を解決できていなかった[67]。これを飛行場でたとえれば、滑走路の真ん中に管制塔が立っているようなものであり、飛行機にとって邪魔以外の何物でもなかった。後部に着艦した飛行機を前部へ運ぶために、艦橋構造物の脇を通る通路も設けられたほか、飛行機が艦橋構造物に激突することを防止するため、着艦用甲板前部にネットを張って煙突を防御する策を施された[68](1918年当時の写真にある、煙突後部から延びる斜めのバーがそれである)[32]

撤去されたY砲塔の砲身はモニター艦「プリンス・ユージーン英語版 (HMS Prince Eugene) 」に搭載予定であったが[69]、戦争終結により未搭載に終わった[70][注釈 19][注釈 20]

こうした対策を施されたが、着艦実験は失敗に終わっている。艦中央にそびえる構造物と、煙突から噴出する熱と排煙により、後方飛行甲板の気流が乱れてしまうのである[注釈 21]。また艦橋と煙突という「壁」にむかって着艦する心理的負担も大きかったと思われる[67]。運良く乱れが少ない状態でも、今度は甲板上が無風に近い状態となっており、後部甲板では長さが足りずネットに頼った着艦になったという。結局、本艦は空母として着艦不可能と判断され、大戦終結まで後部は格納庫兼整備場として使用され、フューリアスは発艦専用として運用されることとなる。

しかしこの失敗が、この後建造されるアーガス及びイーグルに活用されることとなった。 なおフューリアスの他に重巡洋艦キャベンディッシュが建造中に改造され[76]、空母ヴィンディクティヴとして1918年(大正7年)10月1日に就役した[77]航空巡洋艦的な性格をもち[78]、フューリアスと似た構造である[79]。本艦と共に作戦行動をとったこともあるが、こちらは1924年に重巡洋艦へ再改造された[80][注釈 22]

第二次改装(1922年6月 - 1925年8月)

[編集]
全通飛行甲板を持つに至ったフューリアス。飛行甲板上の箱型のものは操舵艦橋でエレベーター式で戦闘時には甲板内に引き込む。

「航空機の離着艦には、甲板から構造物を無くすことが必要」との教訓から、アーガス以降に建造(もしくは改装)される全ての航空母艦の飛行甲板には、離着艦に適した全通甲板が採用されるようになった[注釈 23]。 なお初期の航空母艦は、艦橋を飛行甲板の下に設けて飛行甲板上には障害物が何もないフラッシュデッキ型 (Flush Deck Type) と[82]、艦橋と煙突を片舷にまとめたアイランド型 (Isand Type) に大別できる[83][84][85]

イギリス海軍において1918年(大正7年)9月に竣工した商船改造空母アーガス[86]、飛行甲板に構造物を持たないフラッシュデッキ型(平甲板式)であった[87][88]

戦艦改造空母のイーグル[89]、右舷に艦橋と煙突が一体化した構造物を持つアイランド型(島型)空母であった[90][91][92]起工時から空母として建造されたハーミーズ[93][注釈 24]、先行したイーグルに倣って右舷に艦橋構造物をまとめたアイランド型空母となった[94][95]

これら先行艦の運用実績からフューリアスは再度改装されることとなり、飛行甲板はフラッシュデッキ型の全通甲板となり[96]、格納庫も大型化した[注釈 25]

この改装により吃水も7.9mに増え、その分の浮力を賄うためバルジを追加して艦幅は27.4mとなり、LB比も8.7に下がる。排水量は基準22,450トン、満載2,8500トンに搭載燃料は重油4,010トン、16ノットで4,300浬の航続性能を確保した[98]。速力は29.5ノットに低下した。

この改装で、フューリアスは新機軸を取り入れて多段式空母(雛段式)になった[96]。飛行甲板を上下二段持ち、上段は着艦及び攻撃機用、下段は戦闘機用と発着艦もしくは複数機同時発艦が可能となるようになった。下段の飛行甲板はかなり短いが、当時は複葉機が主力でありこれでも運用は可能と判断されていた。このアイデアは日本海軍に取り入れられ、天城型巡洋戦艦から改造された赤城[99]加賀型戦艦から改造された加賀[100]、三段式飛行甲板の空母として竣工した[101]

1941年に上空から撮影されたフューリアス。艦首飛行甲板は廃止されて高角砲が配置されている。

しかし、この甲板は戦闘機用とはいえやはり短く、実際には対空火器の設置場所に変わり、本来の運用はされなかった[102]

また、煙突は、アーガス同様に格納庫を囲むように艦後部まで延びる誘導煙突となっているが、アーガス及び加賀のように艦脇から排煙するのではなく、左右の煙路を艦尾で統合し飛行甲板最後部から一括排煙する形式となっている。この方式は失敗であり、上部格納庫は煙路でスペースが狭められる上に、煤煙の熱で格納庫や居住区は熱され、搭乗員や艦載機に悪影響を与え続けた[注釈 26]

10門の50口径14cm砲はスポンソン配置となってそのまま維持された。対空兵装以下については、1931年時点で3基であった45口径10.2cm単装高角砲Mk.Vが4基へ一新され、雷装は全廃された[注釈 27]。この砲兵装も1939年の改修工事で全廃され、45口径10.2cm連装高角砲Mk.XVI 6基12門を艦首(元発艦甲板)1基、飛行甲板両舷各2基、艦尾1基に配置した。さらに近接防空火器としてアイランド直後に2ポンドポムポム砲8連装1基を追加した。戦時中の改装でさらにアイランド前方に1基と1番高角砲直後両舷に1基ずつ追加され計4基32丁となった。他に20mm機銃連装8基、単装7基計23丁が飛行甲板両舷にズラリと並べられた。レーダーは戦時中にSW271、AW286各一基と、AR285二基が装備された。乗組員は、艦の運用が748名、航空関連要員が325名の計1073名である。戦時増員については不明。

巡洋戦艦として運用されていたカレイジャスとグローリアスも、本艦に倣って本格的航空母艦となった[29]。ただし姉妹艦2隻はフューリアスと仕様が異なり[注釈 15]、煙突と一体化した大型のアイランドと二段式飛行甲板を持つ空母に改装されている[51][41]。また、フューリアスも第二次世界大戦直前に小型の指揮所を上部飛行甲板の右舷前方へ設置した[注釈 28]

搭載機変遷[105]
1939年9月 計27機 801 Sqn(スクア 9), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 818 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1940年5月 計24機 804 Sqn(シーグラディエーター 6), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 818 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1940年6月 計24機 801 Sqn(スクア 6), 807 Sqn(フルマー 9), 825 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1940年7月 計27機 801 Sqn(スクア 9), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 825 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1941年4月 計12機 800 Sqn(スクア 12)
1941年5月 計12機 800 'X' Flight(フルマーII 3)
1941年6月 計40機 800 Sqn(フルマー 9), 812 Sqn(ソードフィッシュ 9), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 817 Sqn(アルバコア 9), 880 'A' Flight(シーハリケーン 4)
1942年11月 計12+??機 801 Sqn(シーファイア ?), 807 Sqn(シーファイアL.IIC 12), 822 Sqn(アルバコア ?)
1943年2月 計60機 801 Sqn(シーファイア 9), 822 Sqn(アルバコア 9), 825 Sqn(ソードフィッシュ 9+シーハリケーン 6), 827 Sqn(バラクーダ 12), 830 Sqn(バラクーダ 9), 881 Sqn(マートレットIV 6)
1944年4月 計23機 801 Sqn(シーファイアI.B 6), 831 Sqn(バラクーダII 9), 880 Sqn(シーファイアL.IIC 8)
1944年7月 計26機 842 Flight(ソードフィッシュ 3), 880 Sqn(シーファイアL.IIC 3), 1840 Sqn(ヘルキャットII 20)
1944年8月 計33機 801 Sqn(シーファイアF.III 12), 827 Sqn(バラクーダII 9), 880 Sqn(シーファイアL.IIC 12)

艦歴

[編集]

第一次世界大戦

[編集]

1917年(大正6年)9月27日[106]日本海軍金子養之少佐がロサイスで「フューリアス」に乗艦、見学した[107]。この時点では前部飛行甲板しか設置しておらず、後部には18インチ主砲があった[108]。 12月、イギリス海軍は「フューリアス」の後部主砲を撤去し、飛行甲板を増設する工事を開始する[注釈 29]。 1918年(大正7年)3月15日、「フューリアス」は後部に着艦用甲板を備えて再就役した。同年7月にはF.7作戦として7機のソッピース・キャメルを発艦させ、ドイツ帝国海軍のトンデルン飛行船基地への爆撃を行う。この攻撃では格納庫および飛行船2隻を撃破する戦果を挙げ、名実ともに「世界初の空母の実戦参加」となった。

またイギリス海軍は飛行機母艦をまとめて運用する方針を固め、その旗艦に「フューリアス」が選ばれた[110]。ドイツ帝国海軍の大海艦隊 (Hochseeflotte) がスカパー・フローで投降したときイギリス大艦隊 (Grand Fleet) は飛行機母艦5隻で航空戦隊を編成しており、本艦はその旗艦であった[注釈 30]

大戦終結直後の1919年にはロシア革命への警戒と牽制のため、僚艦の空母「ヴィンディクティヴ」と共にバルト海での偵察任務に派遣されている。

海軍休日時代、イギリス海軍の主力艦の一隻として扱われた[注釈 31]。定期的におこなれる海軍大演習に参加した[11]。 演習に参加しない時は、本国艦隊に配属された[注釈 32]

第二次世界大戦

[編集]

フューリアスは1939年(昭和14年)10月2日までは訓練やスコットランド東岸沖での対潜哨戒に従事した[114]。それからフューリアスはUボートによって沈んだ空母カレイジャスの代わりとして本国艦隊に配属され、第816飛行隊のソードフィッシュ9機と第818飛行隊からのソードフィッシュ3機を載せた[115] [116]。フューリアスは10月8日に艦隊とともに出撃し、ノルウェー南部の沖で発見されたドイツ海軍 (Kriegsmarine) の巡洋戦艦グナイゼナウとその護衛を探索したが、失敗に終わった[114]。10月13日にもドイツ艦船の捜索に襲撃したが、無駄に終わった。それからフューリアスはハリファックスに移り、巡洋戦艦レパルスとともにドイツ通商破壊艦捜索グループを編成して「ポケット戦艦」の襲撃に備えた[117]。1939年12月中旬、フューリアスは第1カナダ歩兵師団の大半をイギリスへ運ぶ船団の旗艦を務めた。12月17日、暗闇の中で西航する客船サマリア (Samaria) が発見されることなく船団を横切った。サマリアは倒されていたフューリアスの右舷側の通信マストを剥ぎ取り、アキタニア (Aquitania) 左舷側のライフボート5隻を奪い去り、3隻目と4隻目の船とは衝突寸前になった[118]

1940年(昭和15年)4月初旬、ドイツ軍がヴェーザー演習作戦を発動し、ノルウェーの戦いが始まった[119][注釈 33]ナルヴィクの戦いにおいて、フューリアスは艦上機でナルヴィク周辺のドイツ艦隊を攻撃したが、顕著な戦果はなかった[注釈 34][注釈 35]。 連合軍はナムソスの戦いで敗れ、西部戦線でも大敗したため、6月初旬にアルファベット作戦を発動してノルウェーから撤退する[124]。この方面にいたイギリス空母3隻(アーク・ロイヤル、フューリアス、グローリアス)は、航空機の輸送任務に従事した[注釈 36]

12月末、ドイツ海軍の重巡アドミラル・ヒッパーが大西洋で通商破壊作戦を開始した[127]ノルトゼートゥーア作戦[128]。12月24日、ヒッパーは中東向け重要船団WS5A船団を発見、攻撃を開始した[129]。連合軍側の巡洋艦部隊がドイツ重巡に反撃し、ヒッパーは離脱していった[127]。航空機輸送任務に従事中のフューリアスもWS5A船団に加わっていたが、被害を受けなかった[129]

地中海にて作戦行動中のフューリアス、1941年。

1941年(昭和16年)5月19日から22日、H部隊(司令官ジェームズ・サマヴィル中将)[130]は空母アーク・ロイヤルと共に地中海英領マルタ英語版ハリケーン戦闘機を輸送(スプライス作戦)、23日ジブラルタルに戻った[131]。サマヴィル中将はタルボット大佐(フューリアス艦長)を誘い、ピクニックに出かけた[132]。 このときドイツ海軍ライン演習作戦を発動し[133]リュッチェンス提督が率いるドイツ戦艦ビスマルクと重巡プリンツ・オイゲン大西洋に進出しようとしていた[134][135]

イギリス海軍本部は重要船団WS8Bの護衛が手薄なことを憂慮し、H部隊に大西洋に出撃してWS8B船団に合流するよう命じる[136]。同23日夜の内に、H部隊はジブラルタルを出撃した[136]。サマヴィル提督は巡洋戦艦レナウンに将旗を掲げ、空母アーク・ロイヤル、軽巡シェフィールド、駆逐艦数隻を引き連れてジブラルタルを出発した[136][137][注釈 37]。H部隊はビスマルク撃沈で殊勲を立てたあと[141]、ジブラルタルに戻ってきた[142]。ジブラルタル在泊艦艇のうち動けるものは、港外に出てアーク・ロイヤルを出迎えた[142]

6月5日から7日(ロケット作戦)と6月29日から7月1日(レイルウェイ作戦)にも、空母2隻(アーク・ロイヤル、フューリアス)はクラブランに従事する。7月30日、フューリアスを発進した攻撃隊が北欧フィンランドラッピ州(現在はロシアムルマンスク州)のペツァモフィンランド語版英語版を攻撃(EF作戦)。9月13日、アーク・ロイヤルと共にマルタにハリケーン戦闘機45機を送る。

1941年後半には大西洋を横断してアメリカ合衆国に移動し、東海岸フィラデルフィア海軍造船所で修理をおこなう。10月17日、竣工したばかりのノースカロライナ級戦艦が同海軍工廠に到着した[143]。フューリアスとイギリス軽巡マンチェスター[注釈 38]の乗組員が戦艦「ワシントン」を表敬訪問し、ワシントン乗組員は幾度も実戦を潜り抜けたイギリス艦の汚れ具合に驚いている[143]

1942年(昭和17年)4月、修理を終えてアメリカ大陸からヨーロッパに戻る。8月、ペデスタル作戦の際にマルタ向けの戦闘機を運び、船団主力部隊より一足はやく14日にジブラルタルへ戻った[144]ベローズ作戦)。1942年8月16日から18日、マルタにスピットファイア戦闘機の輸送をおこなう(バリトン作戦)。10月28日から3日にもスピットファイアを輸送。その後は北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)に参加した。

1943年(昭和18年)1月初旬、フューリアスはジブラルタルにいた[注釈 39]。 2月までH部隊に所属した後本国艦隊に移り、戦争の残りの期間はそこに所属していた。 4月以降、イギリス海軍はイタリア本土侵攻を見据えて主力艦地中海戦域に振り向け、北大西洋北極海で運航するソ連向け輸送船団の警護に不安が生じていた。ノルウェーフィヨルドにはドイツ海軍戦艦2隻(ティルピッツシャルンホルスト)が居座っており、脅威を与えていたのである。イギリスの支援要請に応じて、アメリカ海軍サウスダコタ級戦艦2隻を派遣した。 5月中旬、オラフ・M・ハストヴェット提督が率いる超弩級戦艦2隻(サウスダコタアラバマ)と駆逐艦部隊がスカパ・フローに到着し、本国艦隊の指揮下に入った。サウスダコタ級戦艦、キング・ジョージ5世級戦艦デューク・オブ・ヨークアンソン)などと演習をおこなう。

7月、シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)から枢軸国の注意をそらすため、イギリス戦艦とアメリカ戦艦を含む本国艦隊はノルウェー沖に展開した。フューリアスの役目は、ドイツ軍の偵察機が艦隊を発見しそのことを打電した後でそのドイツ機を撃墜することであった[146]。サウスダコタ級戦艦がアメリカに戻ったあと、今度は大西洋艦隊所属の空母「レンジャー」や重巡2隻(タスカルーサオーガスタ)などが引き続きイギリス本国艦隊と行動を共にした。フューリアスは8月に修理を行い、それ以降は年の終わりまで訓練に費やした[147]

バラクーダ運用のためスキージャンプ台を仮設したフューリアス。
タングステン作戦前夜の実施部隊。左から2艦目がフューリアス。

1944年(昭和19年)2月にJW57船団がイギリスからソ連へ向かう間、2月24日に戦艦アンソン自由フランス海軍戦艦リシュリューに護衛されたフューリアスは、ノルウェー沿岸のドイツ船舶攻撃を実施した(ベイリーフ作戦、Operation Bayleaf) [148]。フューリアスはシーファイアの第801飛行隊と、バラクーダの第827飛行隊および第830飛行隊を搭載していた。攻撃で失われた機はなく、座礁した貨物船1隻を破壊した[149]ノルウェーアルタフィヨルドにひそむドイツ戦艦ティルピッツは、あいかわらずソ連向け援助船団の脅威であった[150][151]。イギリス海軍は特殊潜航艇によるコマンド作戦実施していたが[152][153]、今度は航空機によってティルピッツ撃沈を試みた[154]ティルピッツに対する一連の攻撃英語版)。艦上機による最初の攻撃はタングステン作戦と命名された[155]。攻撃準備で、フューリアスと空母ヴィクトリアスはバラクーダの飛行隊、第827飛行隊と第831飛行隊を交換した。これは、共に訓練を行った飛行隊同士が同時に出撃できるようにするためであった。また、第830飛行隊のシーファイア6機に加え、フューリアスは第880飛行隊のシーファイア8機をのせた。

4月3日朝、空母2隻と護衛空母4隻から攻撃隊が発進し、アルタフィヨルドにむかった[156][157]

ティルピッツは、ちょうど試験のため出航しようとしていた[158]。最初に第827飛行隊と第830飛行隊のバラクーダ21機が攻撃を敢行する。完全な奇襲となり、ティルピッツの煙幕発生装置は作動し始めたばかりであった。イギリス軍機は目標をはっきりと捕らえることが出来、6発の命中弾を与えた。1時間後、第829飛行隊と第831飛行隊のバラクーダ19機が攻撃をおこない、さらに8発を命中させた。撃墜されたバラクーダは1機のみであり、他に1機が発艦時に墜落した[159]。一連の攻撃で爆弾14発(1600ポンド爆弾4発、500ポンド爆弾10発)と至近弾1発があり[160][注釈 40]、艦上戦闘機による機銃掃射もあった[46]。ティルピッツの戦死者は122名、負傷者はマイヤー艦長を含め316名にのぼった[161]。修理に3ヶ月を要した[162]。本国艦隊司令長官ブルース・フレーザー大将はイギリス国王から賞賛されたが、ティルピッツは依然として浮いていた[163]

4月16日にボードー空襲が試みられたが、ドイツの船団が発見されたためそれを攻撃し3隻を沈めた。

4月23日、本国艦隊(空母ヴィクトリアス、フューリアス、護衛空母4隻)は再びティルピッツ攻撃にむかった[164]。24日と25日は天候が悪くそれ以上の攻撃は行えなかった。5月6日、フューリアスと護衛空母サーチャーKristiansund周辺で船舶攻撃を実行し、鉱石運搬船AlmoraとタンカーSaarburgを沈めたが2機を失った。

5月15日、空母2隻(ヴィクトリアス、フューリアス)でティルピッツ攻撃を試みたが、低い雲のため攻撃中止になった[165]

5月28日、空母2隻(ヴィクトリアス、フューリアス)でティルピッツ攻撃を試みたが、悪天候で出撃中止になった[166]。6月1日にはドイツ船団攻撃に成功した。弾薬運搬船1隻が沈み、2隻が炎上した[167]

7月17日、空母3隻(フューリアス、フォーミダブルインディファティガブル)は再びティルピッツ撃沈に挑んだ(マスコット作戦[168]。この作戦のためフューリアスは第880飛行隊のシーファイア3機と第1840飛行隊のヘルキャット20機および第842飛行隊のソードフィッシュ3機を搭載した。ドイツ軍が事前に攻撃を察知し煙幕がティルピッツを完全に覆っていたため、攻撃は不成功に終わった。

フューリアス艦上の第827飛行隊所属フェアリーバラクーダ

8月にはさらに4度のティルピッツ攻撃が実行された。このグッドウッド作戦英語版に空母3隻(フューリアス、フォーミダブル、インディファティガブル)と護衛空母2隻(ネイボブトランペッター)が参加した[169]。フューリアスは第801飛行隊のシーファイア12機、第880飛行隊のシーファイア12機と第827飛行隊のバラクーダ9機を搭載した[170]8月20日の1度目の攻撃では悪天候のため攻撃隊は引き返した。22日の攻撃ではドイツ軍に発見され11機を失う結果となった[171]。しかもU-354英語版の雷撃でネイボブが大破、一時航行不能になった。

8月24日の空母3隻(インディファディガブル、フューリアス、フォーミダブル)の攻撃では、ティルピッツに徹甲爆弾(1600ポンド爆弾)1発と500ポンド爆弾1発が命中した[172]。艦首に命中した1600ポンド爆弾は不発で、500ポンド爆弾は砲塔天蓋に命中して損害軽微だった[173]

29日に4度目の攻撃がなされたが、戦果はなかった[174][175]。イギリス海軍は、ついに艦上機でティルピッツを撃沈することができなかった[46][注釈 41]

老朽化のため、フューリアスは同年9月15日に予備役となった。1945年(昭和20年)4月に退役し、航空機の爆薬が艦の構造に与える影響の調査に使用された。1948年にスクラップとして売却され、解体はトルーンで1954年までに完了した[147]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 〔英國〕航空母艦フューリアス[5] 全長786呎 幅90呎 吃水22呎 排水量19,100噸 速力31節 備砲(5.5吋-10門 4吋高角-6門) 搭載飛行機28臺 竣工1917年7月 本艦は舊大型巡洋艦として起工せられたるものを途中航空母艦に改造したものである。
  2. ^ 航空母艦“フューリアス Furious[11] 全要目{排水量22,450噸 速力31節 備砲 13糎高角砲10門 10糎高角砲4門 搭載機數33機  起工 1915年6月 竣工 1917年 1918年改装 建造所 アームストロング會社} 英國海軍の誇る三大航空母艦の一つで、その全長239.63米、幅27.13米、平均吃水6.40米。飛行甲板の長さ213.36米でその幅24.34米に達す。速力31節の軸馬力は90,000馬力で巡洋戰艦を改造したものである。
     外に機銃其他小砲實に54門を有す。搭載機は戰闘機1個中隊(ニムロツド、フライキャッチャー9機) 哨戒偵察機1個中隊(フェアリーIII F12機) 雷撃機1個中隊(リツボン12機)と發表されてゐるが、今日では更に新鋭機を搭載してゐることだらう。ほゞ同排水量の二段甲板の母艦に“カレヂアス Courageous” “グロリアス Glorious”の大型航母がある。
  3. ^ イギリス海軍の非公式な愛称は“まやかしもの”[14]
  4. ^ 「ハッシュ・ハッシュ」とは口に人差し指を当てて「しぃーっ」と言うジェスチャーに類する俗な表現で、本艦が秘密兵器であったことを示す[16]
  5. ^ (三)重なる海軍國航空母艦の比較[17](中略)此等二艦に較ぶれば、フューリアスは二〇,〇〇〇噸以下の排水量と三一節の速力を有し、五吋半砲十門、四吋の航空機射撃砲六門、魚雷發射管十二門を以て武装され、報告に據れば同艦は舊により三吋の装甲帶を保有してゐるといふことで、亓は此の艦は誰人も記憶する如く、元來フィッシヤーの計畫に係る「ハッシ・ハッシ」巡洋艦の一で、速力は最良の防護であるといふ氏の高唱を貫徹せしめたものであるからである。(以下略)
  6. ^ フューリアスに搭載予定だった15インチ連装砲塔は新造のモニター艦エレバス (HMS Erebus, I02) 」に転用された[24]
  7. ^ 大正七年十月 英國駐在海軍造船大技士 藤本喜久雄  英國巡洋艦驅逐艦「グロリアス」ニ就テ[28]
     本艦ハ前述ノ通リ開戰後ニ計画サレ特ニ“Cruiser Destroyer”ト稱セラルヽ新艦型ニシテ(海軍省ノ発表デハ戰闘巡洋艦中ニ編入)“Courageous”及ビ“Furious”ノ二姉妹艦ヲ有ス。
    其ノ特点ハ高速力(約31浬)ト大口径主砲(「グロリアス」及「カレジアス」ハ15吋砲4門マタ「フュリアス」ハ18吋砲1門)トニアリ。然レドモ其ノ防禦弱キト(3"HF)大口径砲数ノ少ナキトノ為メカ兎角失敗ノ評スラ一部ニアリ。特ニ「フュリアス」ノ18吋砲ノハ結果面白カラザリシ為メカ此レヲ取外シ飛行機母艦ニ改造セリ。本年三月「グロリアス」及「カレジアス」ヲ改造シテ水上21吋水雷発射管(固定)12門ヲ据付ケタレバ更ニ“Torpedo Cruiser”トモ稱シ得ル様ニ変形セリ。(改造前ニハ水中発射管二門ヲ有セリ)。
    本艦型ノ實戰上ノ價値ハ別問題トシテモ近時各艦型ヲ通ジテ著シク速力ヲ増加スルニ至リシ結果本艦ノ如キ速力ノ大ナル大型艦ハ研究ノ價値アルモノト信ズ。
  8. ^ 八、列國の航空母艦(中略)(ロ)英國の航空母艦[29] 英國海軍では一九一一年と二年には、戰艦上に臨時の飛行プラットホームを作り、飛行機を飛出させた簡単なる實驗がありました。又一九一二年中に舊式輕巡洋艦ハーミーズ」(先代)を改装し、前甲板に飛行甲板を作り、英國海軍最初の航空母艦としましたが、一九一四年十月大戰中ドーヴァー海峡で、獨逸潜水艦のために撃沈されたました。
     其後引續いての實驗の結果として、一九一六年末に、航空母艦は水上飛行機よりも陸上飛行機を多く搭載し、大型にして巡洋艦と行動を共にし得る速力を有することが必要と認められました。これらの條件を含んで造られたのが「フューリアス」であります。「フューリアス」は元輕巡洋艦ですが、初めその前部砲塔を撤去して、其處に長さ二二八呎(フィート)幅50呎の飛行甲板を造りました。これにより飛行機の出發には成功したが、歸着實驗では不幸犠牲者を出しました。そこで後部の砲塔をも撤去して、煙突より後方に長さ二八四呎幅七〇呎の飛行甲板を造り、歸着實驗に成功することが出來ました。そのとき煙突よりの排氣が、氣流を惡くして困難したから、煙突をも取拂つて現在のフラッシュ型とされました。(以下略)
  9. ^ 撤去された18インチ砲は陸揚げされた[33]。後日、新造のモニター艦に転用された[34][35]
  10. ^ 第三節 航空母艦(一)總説[38](中略)英國の既成艦フユーリヤス(一九,一〇〇噸)、アーガス(一四,四五〇噸)、イーグル(二二,七九〇噸)と新成艦ハーミス(一〇,九五〇噸)の四隻全部は亦試驗的のものとして代艦の建造を許すから、之を其の儘として置くも尚六七,七一〇噸の餘裕がある。佛國は建造中止中の弩級艦ベアルンを改造して、差當り航空母艦に充つることにしてゐる。伊國に就ては不明である。
  11. ^ しばしばカレイジャス級航空母艦と表記する[41]
  12. ^ 〔英國〕航空母艦カレヱジアス[42] 全長786呎 幅81呎 吃水22呎 排水量18,600噸 備砲(4.7吋-16門 外に小口徑砲-18門) 速力31節 本艦は姉妹艦グローリアスと共に1927年竣工の巡洋艦を1924年に至り航空母艦に改装さるゝことゝなつたものである。竣工1928年4月 グローリアスの改装工事は1930年1月完成せり。
  13. ^ 竣工を急ぐ二大航空母艦 廢棄さるべき赤城 加賀の二艦を改造[45](電通東京六日發)我海軍では華府會議の協定に基き廢棄さるべき赤城、加賀の二艦を航空母艦に轉用すべく兩艦の排水量を各二萬七千噸に低下し赤城は本年七月加賀は來年二月までに竣工せしめんとその工事を督励してゐる而してこの上の兩艦が竣工の曉は米國のレキシングトン英國のヒュツヤスと相並んで世界における四大航空母艦である(記事おわり)
  14. ^ ロ、航空母艦[51] 航空母艦は歐洲大戰中英國で發達した艦型であつて、初めは「フイツシヤー」卿の所謂高速巡洋驅逐艦として有名であつた「フユーリアス」の後部十八吋砲を取外し、之に歸着甲板と格納庫とを設けたが、煙突や艦橋が前の方に在つて思ふやうに着艦が出來なかつた爲「アーガス」を建造の途中から母艦に改造して煙突を後方につけて、飛行甲板上には全然突出物を置かない艦型を案出し、次いで「チリ―」の戰艦として建造中であつた「イーグル」を改造して母艦にしたが、「イーグル」は馬力が大きくて「アーガス」の様に煙突を後方に導くことが困難であつたから、煙突や艦橋を右舷の舷側に立て所謂「アイランド」型を考案した。(以下略)
  15. ^ a b 第四節 航空母艦/英國(中略)[54] フユーリアスは固とフィツシャー卿の計畫により、戰時中輕巡洋戰艦として建造されたものであるけれども、母艦に改造されて就役したのであるが、戰後更に三箇年の長日月を費して非常なる改造工事を施し、改造後の本艦は殆ど原形と留めず、型式としては乙式を採用してゐる。/カレージアス及グローリアスはデボンポートに於て、航空母艦として改造中であるが、昨年中その工事の進捗を見た。而かも使用し得べき經費が限られてゐるのに職由し、進歩は遅々たるものであつて、一九二八年以前に海上に出動し得る準備の整ふことは期待することが能きぬ。此の二隻はフユーリアスに倣うて、乙式を採用することゝなつてゐたが、後に又々甲式に變更し、各その右舷側極端に單一の煙突を立つることゝなつたやうである。/既成航空母艦の飛行機搭載力に就て言へば、概數に於てアルガスが八臺、イーグルが二四臺、ハーメスが一六臺、フユーリアスが四〇臺であるといふ。(註、甲式はHERMESのようなアイランド型、乙式はARGUSのようなフラッシュデッキ型)
  16. ^ "航空母艦“フューリアス Furious[55] 全要目{排水量22,450噸 速力31節 備砲 13糎高角砲10門 10糎高角砲4門(元巡洋戰艦より改造したるもの)搭載機數33機  起工 1915年6月 竣工 1917年 1918年改装 建造所 アームストロング會社} 英國海軍の誇る三大航空母艦の一つで、その全長239.63米、幅27.13米、平均吃水6.40米。飛行甲板の長さ213.36米でその幅24.34米に達す。速力31節の軸馬力は90,000馬力。
     上記備砲の外に小砲實に54門を有す。搭載機の内譯は戰闘機1個中隊(ニムロツド、フライキャッチャー9機) 哨戒偵察機(觀測機隊を含む)1個中隊(フェアリーIIIF12機) 雷撃機1個中隊(リツボン12機)但しこれは英國海軍の發表に依るもので豫備搭載機數を合計すれば恐らく50機内外の搭載は優に可能事と云はれてゐる。そして毎度の英國海軍大演習に参加してはその度に好成績を収めてゐる。
  17. ^ カウンティ級重巡洋艦が満載約14,000トン時に6.6m。
  18. ^ 1915年11月、水上機母艦ヴィンデックスの飛行甲板から陸上機が発進に成功した。ほかに水上母艦カンパニアなどが飛行甲板を装備した[61]
  19. ^ 18インチ砲の基部の1つはドーバー海峡沿岸砲台に流用された。一部にフューリアス用の18インチ砲が、シンガポール海軍基地を防衛する要塞に転用されたという説がある[71]シンガポール戦略)。これは誤りで、転用の事実はない[72]シンガポールに派遣されたのは、15インチ連装砲塔を搭載したエレバス級モニター艦「テラー (HMS Terror, I03) 」である[73]
  20. ^ 最大砲三門を星坡に据付? かく防備強化さると獨逸情報機關傳ふ[74](二十六日倫敦發)デリー・テレグラフ紙は獨逸政府情報機關よりの報であるとて新嘉坡チャンギには十八吋砲といふ世界最大の大砲三門がすえられたと報じ左の如き記事を掲げている、 此大砲は最初今日の航空母艦フユリアス號を巡洋戰闘艦として建造計畫をなせる際主砲にせんと制作されたものである、大戰當時此砲は海防艦ロード・クライブ號、ゼネラル・ウオルフ號及プリンス・ユーヂエン號に夫々搭載され白耳義沿岸の獨逸塹壕線砲撃に使用されたもので其後一九二八年に至り新嘉坡へ回漕されたのである、此砲は長さ六〇呎、重量一五〇噸ありこれから撃ち出す砲彈の目方は三千三百封度に上る巨彈である、(以下略)(記事おわり)
  21. ^ 第十四、飛行機母艦「フューリアス」ノ後部[75] 「フューリアス」ノ著艦滑走台ハ前方ニ大烟突アリ為ニ其ノ後方ニ接シテ空気ノ渦巻ヲ生シ且ツ烟突ヨリ噴出スル熱瓦斯ノ為飛行機ノ著艦ヲシテ著シク困難ナラシムト謂フ/著艦滑走台ノ安全ナルモノヲ得ンカ為種々工夫ヲ凝ラシ居ルガ如キヲ以テ遠カラズ成効スルナラムト思ハル/ 左舷ニ着方向ニ無関係ノ如何ニ係ラス任意旋回シ得ベキ大滑走台ヲ設クレハ発著両用ニ安全ナルベキカ。
  22. ^ 英吉利 巡洋艦ヴェンディクテーヴ(一九一八年十月竣工)[81] 排水量九九九六噸、時速三〇節。建艦は非常戰時計畫案に基き、一九一六年六月イムプローヴドバッミンガム級の一としてカーヴェンデイッシュの名で工事を始められたるも改名の後航空母艦として完成、二三年より五年へかけて巡洋艦に改造さる。寫眞に格納庫及び起重機を見るも目下飛行機を搭載せず。
  23. ^ (中略)[51] 其の後各國で建造した母艦は何れも此の二艦の型の一つを撰定してゐる。即ち米國の「ラングレー」は「アーガス」に近く「サラトガ」や「レキシントン」は「アイランド」型に佛國の「ベアルン」は「アイランド」型を更に極端にしたものである。又帝國海軍の赤城、加賀は共に「アーガス」型であつて鳳翔は「アイランド」型に建造され後に之を「フラツシ・デツキ」型に改造された。英國でも其の後「フユーリアス」を再度改造して「フラツシ・デツキ」型となし、其の姉妹艦の「グローリアス」及び「カレジアス」を「アイランド」型の母艦に改造したが、日・英・米三國航空母艦の要目を比較すれば次表の通りである。(以下略)
  24. ^ 航空母艦ハーミス(一九二三年竣工)[89] 正規排水量一〇八五〇噸、時速二五節。非常戰時計畫案の下に造られ、海軍本部が特に航空母艦として企劃せる最初のもの。水上機又は飛行機二十臺を船載。水雷防禦船腹をなせる外他の武装に關しては不詳。輕巡洋艦程の武備あるものと觀測されてゐる。
  25. ^ 〔英國〕航空母艦フューリアス[97] 全長786呎 幅90呎 吃水22呎 排水量19,100噸 速力31節 備砲(5.5吋-10門 4吋高角-6門) 本艦は舊カレヂアスおよびグローリアスと大型巡洋艦として起工せられたるものを途中航空母艦に改造したものである。
  26. ^ イギリス海軍はアーガスでの誘導煙突失敗経験からハーミースでアイランド型を採用したが[103]、大改装フューリアスでは誘導煙突になってしまった。
  27. ^ 「8インチ砲を装備した日米の大型空母と比較すると魚雷兵装が充実している」と言及されたこともあるが[17]、実際は装備していなかった。
  28. ^ 多段式空母だった日本海軍の赤城と加賀も、小型の指揮所を上部飛行甲板右舷前方に増設している[104]
  29. ^ (グローリアス魚雷発射管詳細略)[109] 飛行機大母艦「フューリアス」ハ昨六年九月金子中佐乗船当時已ニ前部滑走台及格納庫ヲ有セシガ十二月ニ入リ更ラニ後檣及後部十八吋砲ヲ除キ後部滑走台及格納庫ヲ設ケル工事ニ箸手セルト同時ニ十六門ノ廿一吋水上固定発射管増備ヲ実施シ七年三月末頃完成セリ 発射管ニ関スル詳細ハ不明ナルモ其ノ工事関係者ノ言ト自己ノ遠方ヨリ目撃セル處トヲ綜合スルニ左ノ如シ(フューリアス魚雷説明略)
  30. ^ 第十三、飛行機母艦「フューリアス」ノ全景[111] 獨國大海艦隊投降当時英國大艦隊ハ「フューリアス」「ヴィンディクティヴ」「アーガス」「ペガサス」及「ナイラナ」ノ五飛行機母艦ヲ有シ此ノ五隻ヲ以テ一航空戰隊ヲ編成シアリタリ本写真ハ其ノ旗艦「フューリアス」ナリ
    「フューリアス」ハ前部ニ発艦、後部ニ著艦滑走台ヲ有シ大小合セテ十八隻ノ飛行機ヲ格納スト称セラルル一万九千頓三十二節ノ巡洋艦ナリ 仝艦以上ノ攻撃力ト仝等以上ノ速力ヲ併有スル軍艦ハ世界中英國大艦隊ニ「レパルス」「レナウン」ノ二巡洋戰艦ト「カレッジアス」「グロリアス」ノ二巡洋艦アルノミ(以下略)
  31. ^ 愈々開始された英海軍大演習 ジブラルタルを夾んで最新式立體戰闘の壮觀[112](六日ロンドン發)英國春季海軍演習は 日開始され先づ蒼軍の飛行機隊は赤軍の航空母艦フユリアス號に襲撃し蒐り赤軍飛行機は之を要して追撃する等目醒ましき活躍で始まりたるが航空母艦上で敵機の襲撃を知るや乗組一同毒瓦斯除けの面を被り活動する態狗面人身の乗組員かと見紛はれた、斯くて廣汎なる海上に亘り約三時間の戰闘あり、各種艦船は縦横に馳驅し目醒しき奮闘をなせるが其勝敗其の他は追つて審判さるゝまで判明しない、夜に入りては夜間戰闘が行はれフードレパルスフユリアスの主力艦を初め巡洋艦五隻、驅逐艦隊三隊、潜水艦三隻より成る青軍は東方よりジブラルター海峡に進撃し來る優勢なる赤軍艦隊を邀撃し久しきに亘り盛なる戰闘を演じた(記事おわり)
  32. ^ 本國は御留守の英國艦隊[113](ロンドン十四日)英國本國艦隊は來る十七日スペインのアロサ港に集合し二十二日まで春季大演習を行ひ二十四日ジブラルタル軍港に入ることになつてゐるが多數の艦船が地中海方面に派遣されてゐるため、現在の本國艦隊は主力艦ロドネーネルソンの二隻、航空母艦フユーリアス、巡洋艦カイロの外驅逐艦十五隻、合計十九隻といふ貧弱極まるものである。(記事おわり)
  33. ^ 当時のイギリス軍は、ノルウェーの要所ナルヴィクトロンハイムを占領するR4計画と、沿岸部への機雷敷設を目的としたウィルフレッド作戦を発動しており、本国艦隊がノルウェー沖に展開しつつあった[120]
  34. ^ 本国艦隊司令長官フォーブス提督は、戦艦3隻(ロドニーウォースパイトヴァリアント)、空母フューリアス、重巡3隻(ヨークデヴォンシャーバーウィック)などを直接指揮する[121]
  35. ^ ナルヴィクに潜むドイツ駆逐艦群を葬ったのは、戦艦ウォースパイトと指揮下駆逐艦であった[122]第2次ナルヴィク海戦[123]
  36. ^ ドイツ軍はユーノー作戦を発動し、この過程でノルウェー沖海戦が生起して姉妹艦グローリアスがシャルンホルスト級戦艦に撃沈された[125][126]
  37. ^ 5月24日朝のデンマーク海峡海戦でイギリス巡洋戦艦フッドが轟沈し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズが撃退された[138]。海軍本部はH部隊の輸送船団合流中止と、ビスマルク追撃を命じた[139][140]
  38. ^ 1941年7月、マルタにむかうサブスタンス作戦イタリア空軍の空襲を受け、魚雷が命中して損傷した。
  39. ^ 米英の巨大船團 ジ港に結集 二空母、三戰艦も護衛[145]【バンコク本社特電】(九日發)ラリニア發當地に達した情報によれば現在ジブラルタルー軍港には米英軍の巨大なる一大船團が入港してゐる、即ち港内碇泊中の輸送船は十隻内外の油槽船を含んで大小合せて五十隻、護衛船にはネルソンロドネーリナウンの三戰艦、フォーミダブルフューリアスの二航空母艦、ロンドン級の巡洋艦二隻、驅逐艦廿二隻、砲艦六隻で過般のアイゼンハヴワスゴート會談と關聯このマンモス、コンボイのジブラルター集結は重大視されてゐる(記事おわり)
  40. ^ ウィアムソン『ドイツ海軍の戦艦』(オスプレイ、2005年)42頁では、爆弾99発が投下され、直撃弾と至近弾合計16発とする[46]
  41. ^ ティルピッツは1944年11月12日に沈没した[176]。同艦を撃沈したのは、イギリス空軍ランカスター四発爆撃機が投下したトールボーイであった[177][178]

出典

[編集]
  1. ^ a b 英国軍艦勇者列伝 2012, p. 28.
  2. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 25–27.
  3. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 16a-17イギリス/フューリアス FURIOUS
  4. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 105aカレイジャス COURAGEOUS/バルト海侵攻用の特殊艦
  5. ^ 軍艦写帖 1927, p. 73(英國)航空母艦フューリアス
  6. ^ #水雷見聞報告(2) pp.22-24〔 七.飛行機母艦 〕
  7. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 217.
  8. ^ 大内、赤城・加賀 2014, p. 26上より、大型軽巡洋艦フユーリアス、第一次改装後のフユーリアス、全通飛行甲板化後のフユーリアス
  9. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 28–29第4図 巡洋艦改造航空母艦フユーリアス(第1回改造後の姿)
  10. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 30–31第5図 多段式航空母艦に改造されたフユーリアス
  11. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 77(原本136-137頁)航空母艦フューリアス
  12. ^ 航空母艦の話 1938, pp. 49–51(原本76-80頁)十三、航空母艦の艦名の由来
  13. ^ a b 英国軍艦勇者列伝 2012, p. 16.
  14. ^ a b 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 32.
  15. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 140–145フィッシャー元帥の機密作戦の構想
  16. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 134–136軍機の特大型軽巡洋艦
  17. ^ a b 海軍及海事要覧、大正15年 1926, pp. 36–38(原本31-34頁)
  18. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 149–152設計者の回想
  19. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 26aイギリス/大型軽巡洋艦「カレイジャス」級 COURAGEOUS CLASS
  20. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 107aカレイジャス/バルト海侵攻用に造られた特殊艦
  21. ^ 新見、巨砲艦 2014, pp. 327a-331大型軽巡洋艦フューリアス(イギリス・一九一七年)
  22. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 105bフューリアス FURIOUS/45.7センチ単装砲を搭載
  23. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 27aイギリス/大型軽巡洋艦「フューリアス」 FURIOUS
  24. ^ a b 艦艇学入門 2000, pp. 259–262再登場した一五インチ砲艦
  25. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 152–158ハッシュ・ハッシュ巡洋艦の概要
  26. ^ a b c 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 16bフューリアス Furious(1917年)
  27. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 107bフューリアス/搭載された当時最大の四十五.七センチ砲
  28. ^ #T08.07.01グローリアス p.3
  29. ^ a b 航空母艦の話 1938, pp. 35–37原本52-57頁
  30. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 158–164設計者ダインコートによる文献
  31. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 261.
  32. ^ a b 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 17.
  33. ^ 海軍参考年鑑、大正10年版 1921, p. 70(原本100頁)(二)砲熕
  34. ^ a b 艦艇学入門 2000, pp. 262–265一八インチ巨砲を積んだ艦
  35. ^ 新見、巨砲艦 2014, pp. 333–337対地大口径砲モニター ロード・クライブ(イギリス・一九一八年)
  36. ^ 海軍及海事要覧、大正15年 1926, pp. 34–35(原本29-30頁)(二)列國航空母艦
  37. ^ a b 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 27b.
  38. ^ 海事参考年鑑、大正13年 1924, pp. 29–30原本25-26頁
  39. ^ 条約本文(空母の項目) - 国立国会図書館デジタルコレクション
  40. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 218ワシントン条約と航空母艦
  41. ^ a b 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 28a-29イギリス/カレイジャス級 COURAGEOUS CLASS
  42. ^ 軍艦写帖 1930, p. 143(英國)航空母艦カレヱジアス
  43. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 32–35アメリカ/レキシントン級 LEXINGTON CLASS
  44. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 45–53同時代の世界の航空母艦
  45. ^ Manshū Nichinichi Shinbun, 1926.04.07”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月17日閲覧。
  46. ^ a b c d オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, p. 42.
  47. ^ 石川島技報、航空母艦の話 1940, p. 8(原本9頁)第2表 各國の航空母艦一覽表
  48. ^ #T5英国大艦隊作戦大要(2) pp.29-31〔 第七章 各種艦型ノ概要/第三節 特別軽巡洋艦 〕
  49. ^ #諸報告(7) p.8〔 母艦「フューリアス」大型快速巡洋艦ヲ改造セシモノニシテ 排水量 速力三十二節 大型水上飛行機三台 小型陸上飛行機五台 艦上ヨリ出発シ艦上ニ帰着シ得ル 〕
  50. ^ #T08.07.01グローリアス p.3
  51. ^ a b c 次の軍縮会議と日英米の海軍 1934, pp. 44–45.
  52. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 136–140巡洋戦艦か重巡か超大型軽巡か
  53. ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, pp. 155–156(原本196-197頁)航空母艦(水上機母艦を含む)一覧表
  54. ^ 海軍及海事要覧、昭和2年版 1927, p. 4955頁
  55. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 91(原本164-165頁)航空母艦フューリアス
  56. ^ a b c d 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 16c.
  57. ^ a b c d 新見、巨砲艦 2014, p. 329.
  58. ^ 新見、巨砲艦 2014, p. 328.
  59. ^ 艦艇学入門 2000, p. 260.
  60. ^ 『巨砲モニター艦』190ページ
  61. ^ #諸報告(7) p.58〔 第一圖(カンパニア艦型図)〕
  62. ^ #水雷見聞報告(2) p.3
  63. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 262.
  64. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 164–167大型軽巡の技術上の特長と特異性
  65. ^ 新見、巨砲艦 2014, pp. 336–337.
  66. ^ 『巨砲モニター艦』231ページ
  67. ^ a b 新見、巨砲艦 2014, p. 330.
  68. ^ #戦闘報告追補 p.30〔 飛行機大母艦ニ改造セラレタル「フューリアス」側面遠望圖 〕
  69. ^ 艦艇学入門 2000, p. 264.
  70. ^ 『巨砲モニター艦』75、231ページ
  71. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 167.
  72. ^ 艦艇学入門 2000, p. 26.
  73. ^ 艦艇学入門 2000, pp. 271–275大戦間のモニターの境遇
  74. ^ Singapōru Nippō, 1934.03.27”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023年8月17日閲覧。 p.2
  75. ^ #報告書の件 pp.32-33
  76. ^ 海軍参考年鑑、大正10年版 1921, p. 65原本90頁
  77. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 107–108航空巡洋艦(3)陸上機を搭載した巡洋艦
  78. ^ 航空母艦の話 1938, p. 67(原本66-67頁)十、航空巡洋艦
  79. ^ 海軍参考年鑑、大正10年版 1921, p. 68(原本97頁)最新飛行機母艦圖 英母艦フュリアス型
  80. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 228–231第一次大戦終了まで/英国の軽巡洋艦
  81. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 38.
  82. ^ 航空母艦の話 1938, pp. 15–16(原本16-18頁)(リ)艦橋/(ヌ)煙突
  83. ^ 航空母艦の話 1938, pp. 55–56(原本88-90頁)附録(三)航空母艦關係術語英和對照
  84. ^ 石川島技報、航空母艦の話 1940, pp. 7–8(原本6-8頁)VII.航空母艦の形式とその優劣/(ロ)飛行甲板に由る型式
  85. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 43(原本68-69頁)航空母艦 鳳翔
  86. ^ #報告書の件 pp.36-39(第十六、母艦「アーガス」)
  87. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 18イギリス/アーガス ARGUS
  88. ^ 軍艦写帖 1927, p. 72(英國)航空母艦アーガス
  89. ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 37.
  90. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 92(原本166-167頁)航空母艦イーグル
  91. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 19イギリス/イーグル EAGLE
  92. ^ 軍艦写帖 1927, p. 71(英國)航空母艦イーグル
  93. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 79(原本140-141頁)航空母艦ハーミーズ
  94. ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 26–27イギリス/ハーミーズ HERMES
  95. ^ 軍艦写帖 1927, pp. 69–70(英國)航空母艦ハームス
  96. ^ a b 航空母艦の話 1938, pp. 19–23(原本25-30頁)三、航空母艦の型式とその優劣/(ロ)飛行甲板による型式
  97. ^ 軍艦写帖 1930, p. 145(英國)航空母艦フューリアス
  98. ^ 『BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR』では第2次改装後は重油3950トン、16ノットで5610浬。
  99. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 20(原本22-23頁)航空母艦 赤城
  100. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 21(原本24-25頁)航空母艦 加賀
  101. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 78–89多段式飛行甲板型航空母艦の誕生とその功罪
  102. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 128–133多段式飛行甲板型航空母艦の衰退
  103. ^ 海事参考年鑑、大正13年 1924, pp. 32–33(原本29-30頁)英國航空母艦ハーミス
  104. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 98–102(ハ)艦橋構造物
  105. ^ Rickard, J. "HMS Furious". (17 August 2010) 英語。
  106. ^ #諸報告(7) p.52
  107. ^ #諸報告(7) pp.20-24〔 (2)飛行機母艦「フューリアス」(第四図) 〕
  108. ^ #諸報告(7) p.55〔 第四圖(フューリアス艦型図)〕
  109. ^ #水雷見聞報告(2) pp.9-10
  110. ^ #戦闘報告追補 pp.21-22〔 飛行機大母艦「フューリアス」〕
  111. ^ #報告書の件 pp.30-31
  112. ^ Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1927.03.09”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023年8月17日閲覧。 p.2
  113. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun, 1936.01.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023年8月17日閲覧。 p.1
  114. ^ a b Jenkins, p. 277
  115. ^ Sturtivant, p. 228
  116. ^ Sturtivant, p. 237
  117. ^ ポープ、ラプラタ沖海戦 1978, pp. 162–163.
  118. ^ Jenkins, p. 279
  119. ^ オスプレイ、ドイツ重巡 2006, pp. 13–15.
  120. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 66–71ノルウェイ作戦始まる
  121. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 71–74ナルヴィクをめぐる激戦
  122. ^ 英国軍艦勇者列伝 2012, p. 117.
  123. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 74.
  124. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 75.
  125. ^ オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, pp. 11, 18.
  126. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 76–79ノルウェイ作戦おわる
  127. ^ a b オスプレイ、ドイツ重巡 2006, p. 16.
  128. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 87.
  129. ^ a b 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 88.
  130. ^ ビスマルクの最期 1982, p. 271.
  131. ^ ビスマルクの最期 1982, p. 274.
  132. ^ ビスマルクの最期 1982, p. 275.
  133. ^ ビスマルクの最期 1982, pp. 12–13(ライン演習作戦各部隊行動図)
  134. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 106–110「ビスマルク」出撃
  135. ^ オスプレイ、ドイツ重巡 2006, pp. 41–42.
  136. ^ a b c ビスマルクの最期 1982, pp. 113–114.
  137. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 234.
  138. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 115–118巡洋戦艦「フッド」轟沈
  139. ^ オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, p. 35.
  140. ^ ビスマルクの最期 1982, p. 216.
  141. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 121–128英雷撃機の殊勲
  142. ^ a b ビスマルクの最期 1982, p. 398.
  143. ^ a b 戦艦ワシントン 1988, p. 40.
  144. ^ Manshū Nichinichi Shinbun, 1942.08.17”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023年8月17日閲覧。 p.1〔 満身創痍の英艦隊 若干辛くもジ港へ遁入す 西地中海海空戰終る 〕
  145. ^ Singapōru Nippō, 1934.03.27”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023年8月17日閲覧。 p.2
  146. ^ Jenkins, pp. 284–85
  147. ^ a b Burt, p. 272
  148. ^ Rohwer, p. 307
  149. ^ Brown, p. 24
  150. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 365.
  151. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 196–198戦艦「ティルピッツ」
  152. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 198–202封じこめ作戦
  153. ^ オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, pp. 40–41.
  154. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, pp. 462a-464海軍航空隊およびイギリス空軍によるティルピッツ攻撃(1942年1月より1944年11月まで)
  155. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 368タングステン作戦(1944年3月30日~4月3日)
  156. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 366.
  157. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 462aティルピッツ攻撃/1944年4月3日〈ヴィクトリアス〉〈ヒュリアス〉ほか
  158. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 370.
  159. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, pp. 374–375.
  160. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 373(4月3日、ティルピッツ命中弾図)
  161. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 375.
  162. ^ Brown, pp. 25, 27
  163. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 377.
  164. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 462bティルピッツ攻撃/1944年4月24日〈ヴィクトリアス〉〈ヒュリアス〉ほか
  165. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 462cティルピッツ攻撃/1944年5月15日〈ヴィクトリアス〉〈ヒュリアス〉
  166. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 462dティルピッツ攻撃/1944年5月28日〈ヴィクトリアス〉〈ヒュリアス〉
  167. ^ Rohwer, pp. 320, 322
  168. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 462eティルピッツ攻撃/1944年7月17日〈フォーミダブル〉〈ヒュリアス〉〈インディファティダブル〉
  169. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 463aティルピッツ攻撃/1944年8月22日~朝〈フォーミダブル〉〈ヒュリアス〉〈インディファティガブル〉〈ナホブ〉〈トランプラー〉
  170. ^ Brown, pp. 24, 28
  171. ^ Rohwer, p. 350
  172. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 463bティルピッツ攻撃/1944年8月24日〈インディファティガブル〉〈ヒュリアス〉〈フォーミダブル〉
  173. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 380.
  174. ^ Brown, p. 28
  175. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 463dティルピッツ攻撃/1944年8月29日〈インディファティガブル〉〈フォーミダブル〉
  176. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 203–205ついに爆撃で転覆
  177. ^ オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, pp. 43–44.
  178. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 464ティルピッツ攻撃/1944年11月12日〈空軍〉

参考文献

[編集]
  • 石橋孝夫『艦艇学入門 軍艦のルーツ徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2000年7月。ISBN 4-7698-2277-4 
  • ゴードン・ウィリアムソン〔著〕、イアン・パルマ―〔カラー・イラスト〕『世界の軍艦イラストレイテッド1 German Battleships 1939-45 ドイツ海軍の戦艦 1939 ― 1945』手島尚〔訳〕、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ Osprey New Vanguard〉、2005年11月。ISBN 4-499-22898-0 
  • ゴードン・ウィリアムソン〔著〕、イアン・パルマ―〔カラー・イラスト〕『世界の軍艦イラストレイテッド4 German Heavy Cruisers 1939-45 ドイツ海軍の重巡洋艦 1939 ― 1945』手島尚〔訳〕、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ Osprey New Vanguard〉、2006年5月。ISBN 4-499-22909-X 
  • 大内健二『航空母艦「赤城」「加賀」 大艦巨砲からの変身』光人社〈光人社NF文庫〉、2014年2月。ISBN 978-4-7698-2818-1 
  • 岡部, いさく 著、小川 光二 編『英国軍艦勇者列伝 Legend of British Fighting Ships』(初版)大日本絵画、東京都,千代田区、2012年6月。ISBN 9784499230865 
  • ルードヴィック・ケネディ『戦艦ビスマルクの最期』内藤一郎 訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1982年9月。ISBN 4-15-050082-7 
  • 世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史(海人社)
  • 世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史(海人社)
  • 世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史(海人社)
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門「第1部 揺籃期の空母 AIRCRAFT CARRIERS THE CRADLE」『世界の艦船 2008.No.685 航空母艦全史 HISTORY OF AIRCRAFT CARRIERS』株式会社海人社〈2008年1月号増刊(通算第685号)〉、2008年1月。 
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門「<第1部> 近代巡洋艦の成長」『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • 太平洋戦争研究会、岡田幸和、瀬名堯彦、谷井建三(イラストレーション)『ビッグマンスペシャル 世界の戦艦 〔 弩級戦艦編 〕 BATTLESHIPS OF DREADNOUGHTS AGE世界文化社、1999年3月。ISBN 4-418-99101-8 
  • 新見志郎『巨砲艦 世界各国の戦艦にあらざるもの』光人社〈光人社NF文庫〉、2014年5月。ISBN 978-4-7698-2830-3 
  • イアン・バクストン、橋本若路(訳)、本吉隆(監修)『巨砲モニター艦 設計・建造・運用 1914~1945』イカロス出版、2019年、ISBN 978-4-8022-0707-2
  • リチャード・ハンブル『壮烈!ドイツ艦隊 悲劇の戦艦「ビスマルク」』実松譲 訳、サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫(26)〉、1985年12月。ISBN 4-383-02445-9 
  • 福井静夫 著「“ハッシュ・ハッシュ”巡洋艦の話」、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想 第八巻 世界巡洋艦物語』光人社、1994年6月。ISBN 4-7698-0656-6 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』光人社、2009年3月。ISBN 978-4-7698-1426-9 
  • レオンス・ペイヤール『戦艦ティルピッツを撃沈せよ』長塚隆二 訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1980年2月。ISBN 4-15-050055-X 
  • ダドリー・ポープ『ラプラタ沖海戦 グラフ・シュペー号の最期』内藤一郎(第5版)、早川書房〈ハヤカワ文庫ノンフィクション〉、1978年8月。ISBN 4-15-050031-2 
  • イヴァン・ミュージカント『戦艦ワシントン 米主力戦艦から見た太平洋戦争』中村定 訳、光人社、1988年12月。ISBN 4-7698-0418-0 
  • Jenkins, C. A., Commander (1972). HMS Furious/Aircraft Carrier 1917–1948: Part II: 1925–1948. Warship Profile. 24. Windsor, Berkshire: Profile Publications. OCLC 10154565 
  • Burt, R. A. (1993). British Battleships, 1919-1939. London: Arms and Armour Press. ISBN 1-85409-068-2 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939-1945: The Naval History of World War Two (Third Revised Edition ed.). Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2 
  • Brown, J. D. (2009). Carrier Operations in World War II. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-108-2 
  • Sturtivant, Ray (1984). The Squadrons of the Fleet Air Arm. Tonbridge, Kent: Air-Britain (Historians). ISBN 0-85130-120-7 
  • BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『「諸報告(6)」、大正6年 公文書考 巻16 学事3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C08020918800。 
    • 『「諸報告(7)」、大正6年 公文書考 巻16 学事3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C08020918900。 
    • 『「6年11月30日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の1(1)」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792400。 
    • 『「6年11月30日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の1(2)」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792500。 
    • 『「6年12月1日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の2」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792600。 
    • 『「6年11月15日 英海軍視察報告」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100819600。 
    • 『7年4月15日 大正6年11月17日「ヘリゴランド・バイト」に於ける英独前進部隊の戦闘報告の追補』。Ref.C10100829100。 
    • 『「7年3月28日「水雷に関する見聞報告」其の2」、大正6年 外国駐在員報告 巻6(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100829400。 
    • 『「水雷に関する報告其の3付図」、大正6年 外国駐在員報告 巻6(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100829500。 
    • 『8年3月10日 報告書の件 英国大艦隊の航空施設説明付写真帳1冊提出の件、大正6年 外国駐在員報告 巻6(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100829700。 
    • 『8年7月1日 任務遂行及び予定報告の件 英国巡洋艦「グローリアス」に就いて 英国大型軽巡洋艦「フロービシャ」に就いて/大正6年 外国駐在員報告 巻7(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100831600。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]