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パット・パターソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パット・パターソン
パット・パターソンの画像
プロフィール
リングネーム パット・パターソン
"プリティ・ボーイ" パット・パターソン
本名 ピエール・クレモント
ニックネーム 金髪の野獣
身長 185cm - 188cm
体重 112kg - 115kg
誕生日 (1941-01-19) 1941年1月19日
死亡日 (2020-12-02) 2020年12月2日(79歳没)[1]
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州の旗 ケベック州
モントリオール
所属 WWE
トレーナー キラー・コワルスキー
デビュー 1958年
引退 1984年
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パット・パターソンPat Patterson、本名:Pierre Clemont1941年1月19日 - 2020年12月2日)は、アメリカ合衆国で活動したプロレスラーブッカーカナダケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人

現役選手時代はNWAAWAWWFの各団体で主要タイトルを獲得し、引退後はWWEのクリエイティブ・コンサルタントを務めていた[2]

来歴

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15歳の頃から地元モントリオールにてプロレス興行の裏方として働き始め、同地区で活躍していたキラー・コワルスキーに師事して1958年に17歳でデビュー。キャリア初期は "プリティ・ボーイ" パット・パターソン"Pretty Boy" Pat Patterson)のリングネームを名乗り、口紅を塗ってピンクのトランクスを穿き、ペットのプードルを連れてリングに登場するなどのギミックで活動した[3]

1960年代からはアメリカ合衆国NWA加盟団体を中心に活動。太平洋岸北西部では1964年から1966年にかけて、NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を通算3回獲得[4]テキサス西部のアマリロでは1968年7月18日にサンダーボルト・パターソンからブラスナックル王座を奪取[5]。10月24日にはトーナメントの決勝でパット・オコーナーを下し、同地区認定のNWA北米ヘビー級王座を獲得している[6]

1975年

カリフォルニア北部のサンフランシスコではレイ・スティーブンスとのブロンド・ボンバーズThe Blond Bombers)で鳴らし、ヒールベビーフェイスの両方のポジションで活躍。同地区のトップスターとなり、フラッグシップ・タイトルであるUSヘビー級王座には1969年から1977年にかけて、ペドロ・モラレスロッキー・ジョンソングレート・メフィストムーンドッグ・ロニー・メインザ・ブルートアンジェロ・モスカアレックス・スミルノフらを破り、通算6回に渡って戴冠した[7]

1977年よりサンフランシスコを離れ、フロリダエディ・グラハム主宰のCWF)やAWAなど各地の主要テリトリーをヒールのポジションで転戦。フロリダでは同年5月20日にマイク・グラハムからNWAフロリダTV王座を、6月20日にはイワン・コロフと組んでジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコからNWAフロリダ・タッグ王座をそれぞれ奪取している[8][9]

AWAではスティーブンスとのコンビを再結成して、1978年9月23日にAWA世界タッグ王座を獲得[10]。以降、マイティ・イゴール&ルーファス・ジョーンズポール・エラリング&スティーブ・オルソノスキーバーン・ガニア&ビル・ロビンソン、前王者チームのハイ・フライヤーズ(グレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル)などを相手に防衛を続け[11][12]1979年6月6日にバーン・ガニア&マッドドッグ・バションに敗れるまで戴冠した[10]

AWA世界タッグ王座陥落後、グラン・ウィザードマネージャーに迎えてWWFに登場[2]。1979年6月19日にテッド・デビアスから北米ヘビー級王座を奪取する[13]。その後、ブラジルリオデジャネイロで行われたという架空のトーナメントに優勝したと称して、同王座を北米と南米との大陸間のインターコンチネンタル・ヘビー級王座と改称[14]。この王座こそが団体の最高位のタイトルであるとアピールし、WWF王者ボブ・バックランドと「王者対王者」の抗争を展開、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンでの定期戦において、7月から9月にかけてバックランドのWWFヘビー級王座に3か月連続で挑戦した[15]

1980年初頭より、ウィザードとの仲間割れを機にベビーフェイスに転向、以降はWWFの主力選手として、ケン・パテラボビー・ダンカンサージェント・スローターらと抗争を展開、フランス出身のアンドレ・ザ・ジャイアントともタッグを組んだ[16][17]。1980年8月9日にシェイ・スタジアムにて開催された "Showdown at Shea" ではトーア・カマタから反則勝ちを収めている[18]。同年10月20日のMSG定期戦ではダスティ・ローデスと組み、ワイルド・サモアンズアファ・アノアイ&シカ・アノアイ)が保持していたWWFタッグ王座に3本勝負で挑戦。1本目を先取していたが、23時以降の夜間の興行を禁止するニューヨーク州の条例により時間切れで試合終了となり、スコアの上では1-0で勝利を収めたものの、タイトルは移動しなかった[19]

WWFでの活動と並行して、古巣のサンフランシスコでは1981年1月24日にハーリー・レイスNWA世界ヘビー級王座に挑戦[20]。同年7月30日と8月20日にはオークランドにてニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した[21][22]。地元モントリオールの団体(ジノ・ブリットディノ・ブラボーが参画していたインターナショナル・レスリング)にも出場し、AWAでの旧敵バションやリック・マーテルなどと対戦していたが[23]、WWFが全米侵攻を開始した1984年に現役を引退した[2]

引退後はWWFのロード・エージェントに就任、ブッカーとして試合の構成やストーリー立案を手掛け[24]1988年から現在まで開催されているロイヤルランブルも彼が考案した[1][25]1996年にはWWF殿堂に迎えられている[3]WCWとのマンデー・ナイト・ウォーズにおいては、当時のWWFのアティテュード路線における主要なプロデューサーの一人となり[26]、悪のオーナーを演じていたミスター・マクマホンの側近として時折ストーリーにも絡んだ[24]2000年6月19日にはハードコア王座にも戴冠している[27]

2003年RAW10周年記念特番では、ミーン・ジーン・オーカーランドと共に『放送に問題あり賞』のプレゼンターを務めた(受賞したのは、自身も関わったマーク・ヘンリーメイ・ヤングのラブストーリーであった)。

2004年トリプルHの起用法を巡りビンス・マクマホンと対立、同年10月にWWEを退団したが、翌2005年5月に復職している[3]

2020年12月2日、79歳で死去[1]

日本での活躍

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1968年4月、日本プロレスに初来日。師匠格のコワルスキー、ジェス・オルテガフレッド・ブラッシーターザン・タイラードン・デヌーチアンジェロ・ポッフォらと共に『第10回ワールド・リーグ戦』に出場。対日本陣営ではジャイアント馬場アントニオ猪木大木金太郎吉村道明には敗退したものの、山本小鉄星野勘太郎ミツ・ヒライデューク・ケオムカからは勝利を収めた[28]。5月7日の熊本大会ではオルテガのパートナーに起用され、大木&吉村が保持していたアジアタッグ王座に挑戦している[28]

1973年12月にはジョニー・パワーズとのコンビで北米タッグ王者として新日本プロレスに来日。12月7日に大阪府立体育館において、猪木&坂口征二を相手に防衛戦を行った[29]。以降も新日本プロレスに度々参戦し、1976年の再来日時には、12月8日に横浜文化体育館にてラリー・ヘニングと組み、坂口&ストロング小林北米タッグ王座に挑戦[30]1977年の3度目の参戦時には、12月1日に大阪府立体育館にて猪木のNWFヘビー級王座に挑み、12月8日には蔵前国技館にてスティーブ・ライトをパートナーに、坂口&小林の北米タッグ王座に再挑戦した[31]

WWF定着後は、1979年11月に北米ヘビー級王者として来日し、11月8日に小樽市総合体育館にて坂口の挑戦を受けたが敗退[32]、タイトルを明け渡した(後述)。1981年11月には『第2回MSGタッグ・リーグ戦』にバッドニュース・アレンと組んで参戦、優勝候補チームのスタン・ハンセン&ディック・マードックと引き分けるなどの戦績を残したが、リーグ戦を消化することなく途中帰国している[33]。これが選手としての最後の来日となった。

その後は2002年3月1日、WWF初の単独日本興行『スマックダウン・ツアー・ジャパン』にロード・エージェントとして同行、20年ぶりの来日を果たした。

得意技

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獲得タイトル

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パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座 : 3回[4]
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座 : 2回(w / トニー・ボーン、ザ・ハングマン)[34]
アメリカン・レスリング・アライアンス / NWAサンフランシスコ
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWA北米ヘビー級王座(アマリロ版) : 1回[6]
  • NWAテキサス・ブラスナックル王座(アマリロ版) : 1回[5]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座 : 1回[36]
NWAハリウッド・レスリング / 新日本プロレス
アメリカン・レスリング・アソシエーション
ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント
インターナショナル・レスリング

追記

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脚注

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  1. ^ a b c d WWE Hall of Famer Pat Patterson passes away”. WWE.com. 2020年12月2日閲覧。
  2. ^ a b c Pat Patterson”. Online World of Wrestling. 2020年7月5日閲覧。
  3. ^ a b c Pat Patterson”. Oklafan.com. 2016年3月9日閲覧。
  4. ^ a b NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  5. ^ a b NWA Texas Brass Knuckles Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  6. ^ a b NWA North American Heavyweight Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  7. ^ a b NWA United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  8. ^ a b NWA Florida Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  9. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  10. ^ a b c AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月27日閲覧。
  11. ^ The AWA matches fought by Pat Patterson in 1978”. Wrestlingdata.com. 2015年2月26日閲覧。
  12. ^ The AWA matches fought by Pat Patterson in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年2月26日閲覧。
  13. ^ a b c WWF North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  14. ^ a b WWF/WWE Intercontinental Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  15. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979”. The History of WWE. 2010年4月27日閲覧。
  16. ^ The WWE matches fought by Pat Patterson in 1980”. Wrestlingdata.com. 2016年3月6日閲覧。
  17. ^ The WWE matches fought by Pat Patterson in 1981”. Wrestlingdata.com. 2016年3月6日閲覧。
  18. ^ WWF Showdown at Shea 1980”. Cagematch.net. 2016年3月6日閲覧。
  19. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1980-1989”. The History of WWE. 2020年12月15日閲覧。
  20. ^ NWA Big Time Wrestling: Event”. Cagematch.net. 2024年3月16日閲覧。
  21. ^ AWA: Event”. Cagematch.net. 2024年3月16日閲覧。
  22. ^ AWA: Event”. Cagematch.net. 2024年3月16日閲覧。
  23. ^ The IW matches fought by Pat Patterson in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年2月26日閲覧。
  24. ^ a b c Singing new rush for Pat Patterson”. Slam Wrestling (2009年5月14日). 2016年3月9日閲覧。
  25. ^ a b Expect tears at tonight's Montreal ceremony, warns Pat Patterson”. Slam Wrestling (2012年9月10日). 2016年3月9日閲覧。
  26. ^ 『Gスピリッツ Vol.42』P64(2016年、辰巳出版ISBN 4777818128
  27. ^ a b WWF/WWE Hardcore Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  28. ^ a b JWA 1968 The 10th Annual World Big League”. Puroresu.com. 2016年3月6日閲覧。
  29. ^ NJPW 1973 Toukon Series II & World Title Challenge Series”. Puroresu.com. 2016年3月6日閲覧。
  30. ^ NJPW 1976 Toukon Series II”. Puroresu.com. 2016年3月6日閲覧。
  31. ^ NJPW 1977 Toukon Series II”. Puroresu.com. 2016年3月6日閲覧。
  32. ^ NJPW 1979 Toukon Series”. Puroresu.com. 2018年11月4日閲覧。
  33. ^ NJPW 1981 The 2nd Madison Square Garden Tag Team League”. Puroresu.com. 2016年3月6日閲覧。
  34. ^ NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  35. ^ NWA World Tag Team Title [San Francisco]”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月6日閲覧。
  36. ^ NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  37. ^ NWA North American Tag Team Title [Los Angeles / Japan]”. Wrestling-Titles.com. 2014年8月8日閲覧。
  38. ^ WWE 24/7 Championship”. WWE.com. 2020年12月15日閲覧。
  39. ^ International Tag Team Title [Quebec]”. Wrestling-Titles.com. 2016年3月6日閲覧。
  40. ^ NJPW 1979 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016年3月6日閲覧。
  41. ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P160-161(1986年、ベースボール・マガジン社
  42. ^ a b ミスター高橋『悪役レスラーのやさしい素顔』P34(2015年、双葉社ISBN 4575308420
  43. ^ 『Gスピリッツ Vol.32』P44(2014年、辰巳出版、ISBN 4777813304

関連項目

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外部リンク

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