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JR北海道キハ130形気動車

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JR北海道キハ130形気動車
キハ130形「日高ポニー号」ペイント車
苫小牧駅にて)
基本情報
運用者 北海道旅客鉄道
製造所 新潟鐵工所
製造年 1988年 - 1990年
製造数 11両
運用開始 1988年11月3日[注 1]
引退 2000年(定期運用)
2001年6月17日(臨時運用)[JR 1]
廃車 2002年
投入先 日高本線
主要諸元
軌間 1,067 mm狭軌
最高運転速度 95 km/h[新聞 1]
車両定員 100名[新聞 1](座席:46名 + 立席:54名)[2]
自重 25.7 t[1]
車体長 15.8 m[1]
車体幅 2.7m[1]
車体高 4.0m[1]
車体 普通鋼
台車 空気ばね[2]
N-DT130形[1](動台車[2]
N-TR130形(付随台車[2]
車輪径 860 mm[1]
動力伝達方式 液体式[2]
機関 直列6気筒ディーゼル機関
DMF13HS形[2][1]
機関出力 250 ps / 2000 rpm[1]
保安装置 ATS-S[1]
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キハ130形気動車(キハ130がたきどうしゃ)は、1988年昭和63年)から2002年平成14年)まで北海道旅客鉄道(JR北海道)に在籍していた一般形気動車

概要

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北海道内の各路線では、地域輸送の主力として日本国有鉄道(国鉄)時代末期からキハ22形キハ40形100番台などの一般形気動車が使用されてきた[3]。これらの在来形式は1両で運行可能とはいえ、全長 20 m 級の大型車であり、輸送密度の小さい線区を多数有する北海道においては収容力が過大になりがちであった[3]。従って、ローカル線での運用コストを最適化するための方策は国鉄時代から続く重要な課題であった[3]

JR北海道の発足直後、低コスト運用可能な車両メーカー規格型の小型気動車導入が試みられ、新潟鐵工所製のNDCシリーズを基本にワンマン運転可能な合理化車両として製作された形式がキハ130形であり[3] 北海道ちほく高原鉄道CR70形気動車と同型である。

1988年(昭和63年)から1990年(平成2年)にかけて新潟鐵工所で11両が製作され、専ら日高本線で使用されたが、基本構造と使用環境の不適合から老朽化が著しく、2003年(平成15年)までに全車が廃車された。

構造

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車体
普通鋼製で、車体長は15.8 m[3]、両側に運転台を設け、運転台直後の計2か所に幅850 mm の片引き戸を設ける。基本形態は製作元の新潟鐵工所「NDCシリーズ」の標準仕様を適用したもので、製作コストを最適化するための措置である[注 2]。JR北海道向けの仕様として、在来形気動車との併結機能・総括制御機能が付加された。
側窓はユニット式の大型二段一重窓で、出入口と客室を仕切るデッキ扉は装備しない。車内保温のため、客用扉は半自動式である。
外部塗色は白色の地色にラベンダーパープル+萌黄色の帯を配した JR北海道の一般形気動車標準色である。
機関・台車
新潟鐵工所製の直列6気筒ディーゼル機関 DMF13HS形 (250 ps / 2000 rpm) を1基搭載し、前位側台車の2軸を駆動する[2]台車は NDC の空気ばね式標準台車に若干の仕様変更を加え、車輪径をJR標準の860 mm としたN-DT130形(動台車)・N-TR130形(付随台車)である[2][4]
車内設備
中央部に8組のボックスシート、出入口付近をロングシートとしたセミクロスシートで、定員は座席46名、立席54名の計100名である[2]。使用線区の気候条件に鑑み、冷房装置は搭載しない。
長距離運用[注 3]に備え、トイレを装備する。汚物処理はタンク式であるが、貯留された汚物は車両基地で直接バキュームカーで抜き取る方式[2]として、地上設備への投資を抑制した。

運用の変遷

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札幌市内に放置されている
キハ130-5とライトレールカー・パンダ号 の廃車体
(公道上から撮影)

本形式は1988年(昭和63年)度に5両[5]、1990年(平成2年)度に6両[6]が日高本線に投入された。これによって、日高線列車の所要時間短縮と運行の合理化に貢献した。

しかし利用者からの不満の声が多く、1990年(平成2年)ごろ高等学校教職員組合浦河高校班によって行われたアンケート調査では、「車内が狭い」といった意見が多数上がった[新聞 2]

そして、軽量車ゆえの脆弱さが早々と問題になっていく。1991年(平成3年)1月8日に発生した勇払付近での踏切事故で事故車は脱線転覆、特に低運転台の前頭部が大破し、運転士は両脚切断という重傷を負った[注 4]。さらに1996年(平成8年)1月12日にはまたしても踏切事故が発生。この事故でキハ130-5がまたもや脱線転覆して罹災。原形をとどめないほど大破し、修理不可能だったため、同年2月付で廃車されることになった[7][注 5]

さらに、サッシ露出の一重2段窓やデッキなし構造といった、本州以南向けの汎用車と大差ない仕様のため、冬期の車内保温能力が低く、更には海岸沿いの区間が多い日高本線の路線環境から、鋼板の薄い軽量車体が早期に塩害腐食するなど、短期間のうちに問題点が顕在化し、早期の置き換えを余儀なくされたのである。

老朽による淘汰は1998年(平成10年)10月4日から開始され[新聞 1]2000年(平成12年)度までに一般の運用を終了した。イベント用に「日高ポニー」色とされた キハ130-8 のみ残存したが、2001年(平成13年)6月17日の「さよなら日高ポニー号」(鵡川駅 - 静内駅間、苫小牧駅 - 鵡川駅間は定期列車に併結して運転)をもって完全に営業運転を終了した[JR 1]。同車が2002年(平成14年)度に廃車され、全車が除籍された(後述)。JR発足後に製作された旅客車の新形式では初の廃車による形式消滅である。本形式淘汰後の日高本線の運用は、本形式時代のダイヤを維持するため大出力機関を搭載したキハ40形(350番台)を再び投入することで賄っている。コストダウンのために投入された本形式が、かつて日高本線から転出させた車両と同型の車両に置き換えられるという皮肉な結果となった。

上記事故の当該車であるキハ130-5は、札幌市手稲区の雪捨て場に放置されていたが、その後解体された。同所にはキハ28やキハ58などの廃車体も保存されていたが、結局全て解体されており現在は更地になっている。

本系列の保存車両(定期運用離脱後に残存していたもの)は130-5、130-8のみ。130-8は営業運転終了後に車庫内に放置されていたが、その後2両とも解体されている為、本系列で現存する車両は無い。

車歴表

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改造歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトアリル」1989年5月臨時増刊号新車年鑑1989年版34P記事。
  2. ^ 同時期に新製された北海道ちほく高原鉄道 CR70形気動車に類似する仕様である。
  3. ^ 日高本線は閑散路線でありながら全長(苫小牧駅 - 様似駅間)は146.5 km もあり、トイレ装備は必須であった。
  4. ^ この踏切事故は、JR北海道が以後の車両において高運転台方式や衝撃吸収構造を先頭車に採用する契機となった。罹災車はこの時は修理・復旧され、その他のキハ130形も車体が補強された。
  5. ^ 代替として、1997年(平成9年)にキハ160形気動車が新製された。

出典

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JR北海道

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  1. ^ a b さよなら日高ポニー号運転』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2001年5月28日。オリジナルの2002年6月13日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20020613024821/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2001/hidakapony.html2002年6月13日閲覧 

新聞

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  1. ^ a b c “キハ130 1号、来月引退”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1998年9月25日) 
  2. ^ “日高線の経営分離 JR北海道 苫小牧に新営業所 住民「廃止への一歩」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年6月28日).

参考文献

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  • 柿沼博彦「新車ガイド JR北海道の地方交通線作戦 キハ130形軽気動車登場」『鉄道ファン』第28巻第12号(通巻332号)、交友社、1988年12月1日、pp.56-59。 
  • 編集部「JRグループ車両のデータ・バンク 88/89」『鉄道ファン』第29巻第7号(通巻339号)、交友社、1989年7月1日、pp.56-65。 
  • 編集部「JRグループ車両のデータ・バンク 90/91」『鉄道ファン』第31巻第8号(通巻364号)、交友社、1991年8月1日、pp.59-70。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク92/93」『鉄道ファン』第33巻第8号(通巻388号)、交友社、1993年8月1日、pp.80-90。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク93/94」『鉄道ファン』第34巻第9号(通巻401号)、交友社、1994年9月1日、pp.80-90。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク94/95」『鉄道ファン』第35巻第7号(通巻411号)、交友社、1995年7月1日、pp.80-90。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク95/96」『鉄道ファン』第36巻第7号(通巻423号)、交友社、1996年7月1日、pp.79-89。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク98/99」『鉄道ファン』第39巻第7号(通巻459号)、交友社、1999年7月1日、pp.70-89。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク1999/2000」『鉄道ファン』第40巻第7号(通巻471号)、交友社、2000年7月1日、pp.70-93。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク2000/2001」『鉄道ファン』第41巻第8号(通巻484号)、交友社、2001年8月1日、pp.86-97。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータ・バンク2002/2003」『鉄道ファン』第43巻第8号(通巻507号)、交友社、2003年8月1日、pp.84-98。