公武合体と尊攘運動: 桜田門外の変のあと、幕
公武合体と尊攘運動: 桜田門外の変のあと、幕政の中心にあった老中安藤信正(1819~1871)は、朝廷との融和を図り、反幕府勢力を抑えるために、朝廷(公)と幕府(武)が合体して政局を安定させようと公武合体運動を進め、孝明天皇の妹和宮(1846~1877)を将軍家茂の夫人に迎えた。この政略結婚は尊王攘夷論者から非難され、安藤は1862年、坂下門外で水戸脱藩士らに傷つけられて失脚した(坂下門外の変)。この事態の中で、朝廷?幕府の双方につながりの深い外様の薩摩藩では、独自の公武合体の立場から、中心人物の島津久光(1817~1887)が1862年、勅使を奉じて江戸にくだり、幕政改革を要求した。幕府は薩摩藩の意向を入れて、松平慶永を政治総裁職に、徳川慶喜を将軍後見職に任命し、また京都守護職をおいて会津藩主松平容保(1835~1893)をこれに任命するなど、幕府を改めた。
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