内閣総理大臣の一覧
表示
内閣総理大臣 |
---|
現職 第102代 石破茂 |
石破内閣 就任日 2024年 (令和6年) 10月1日 |
歴代の首相と内閣 |
歴代内閣総理大臣 内閣(歴代) |
首相が使用する施設や機材 |
首相官邸 首相公邸 政府専用機 内閣総理大臣専用車 |
首相を補佐する人々 |
内閣官房長官(歴代) 内閣総理大臣補佐官 内閣総理大臣秘書官 (内閣官房) |
内閣を組織する人々 |
副総理 国務大臣、副大臣 内閣官房副長官 大臣政務官 内閣官房副長官補 内閣法制局長官 内閣法制次長 内閣特別顧問 内閣官房参与 |
首相関連の用語 |
首班指名選挙 内閣総理大臣臨時代理 班列と無任所大臣 内閣総理大臣の辞令 内閣総理大臣夫人 (内閣総理大臣配偶者) 内閣総理大臣夫人秘書 |
首相関連の表彰 |
内閣総理大臣杯 内閣総理大臣顕彰 国民栄誉賞 |
カテゴリ |
日本の政治 |
---|
カテゴリ |
内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじんのいちらん)は、日本の行政府の長または内閣の首長である内閣総理大臣を務めた人物の一覧である。基本的に与党の党首から排出され、連立政権などの場合は最大議席数の党の党首が首班に指名されることが多い。また、現職は衆議院議員の石破茂(2024年10月1日就任)。
内閣総理大臣の一覧
[編集]
無所属 憲政党・立憲同志会 立憲政友会 憲政会 立憲民政党 大政翼賛会 日本進歩党 日本自由党 (1945年 - 1948年)・民主自由党・自由党 (1950年 - 1955年) 日本民主党 自由民主党 日本社会党 日本新党 新生党 民主党 (1947年 - 1950年)・民主党 (1998年 - 2016年) |
内閣総理大臣官邸が公表している内閣総理大臣一覧表に基づく[1]。
代 | 内閣総理大臣 | 肖像 | 内閣 | 在任期間 | 備考 | 出典 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
在任日数 | 在任期間 | 通算期間 | ||||||
明治時代(1868年 - 1912年) | ||||||||
1 | 第1次伊藤内閣 | 1885年12月22日- 1888年4月30日 | 861日 | 861日 | ||||
2 | 黑田内閣 | 1888年4月30日- 1889年10月25日 | 544日 | 544日 | [4] | |||
- | 三條暫定内閣 | 1889年10月25日- 1889年12月24日 | (60日) | - | [5] | |||
3 | 第1次山縣内閣 | 1889年12月24日- 1891年5月6日 | 499日 | 499日 | [6] | |||
4 | 第1次松方内閣 | 1891年5月6日- 1892年8月8日 | 461日 | 461日 | [7] | |||
5 | 第2次伊藤内閣 | 1892年8月8日- 1896年8月31日 | 1485日 | 2346日 | [8] | |||
- | 第2次伊藤内閣 | (1896年8月31日- 1896年9月18日) | (18日) | 544日 |
|
|||
6 | 第2次松方内閣 | 1896年9月18日- 1898年1月12日 | 482日 | 943日 | [7] | |||
7 | 第3次伊藤内閣 | 1898年1月12日- 1898年6月30日 | 170日 | 2516日 | [8] | |||
8 | 第1次大隈内閣 | 1898年6月30日- 1898年11月8日 | 132日 | 132日 | [9] | |||
9 | 第2次山縣内閣 | 1898年11月8日- 1900年10月19日 | 711日 | 1210日 |
|
[6] | ||
10 | 第4次伊藤内閣 | 1900年10月19日- 1901年5月10日 | 204日 | 2720日 | [8] | |||
- | 第4次伊藤内閣 | 1901年5月10日- 1901年6月2日 | (23日) | - | 内閣総理大臣臨時兼任(枢密院議長)[注 4]
桂園時代の始まり |
|||
11 | 第1次桂内閣 | 1901年6月2日- 1906年1月7日 | 1681日 | 1681日 | ||||
12 | 第1次西園寺内閣 | 1906年1月7日- 1908年7月14日 | 920日 | 920日 | [12] | |||
13 | 第2次桂内閣 | 1908年7月14日- 1911年8月30日 | 1143日 | 2824日 | [11] | |||
14 | 第2次西園寺内閣 | 1911年8月30日- 1912年12月21日 | 480日 | 1400日 | [12] | |||
大正時代(1912年 - 1926年) | ||||||||
15 | 第3次桂内閣 | 1912年12月21日- 1913年2月20日 | 62日 | 2886日 | [11] | |||
16 | 第1次山本内閣 | 1913年2月20日- 1914年4月16日 | 421日 | 421日 | [13] | |||
17 | 第2次大隈内閣 | 1914年4月16日- 1916年10月9日 | 908日 | 1040日 | [9] | |||
18 | 寺内内閣 | 1916年10月9日- 1918年9月29日 | 721日 | 721日 |
|
[14] | ||
19 | 原内閣 | 1918年9月29日- 1921年11月4日 | 1133日 | 1133日 | [15] | |||
- | 原内閣 | 1921年11月4日- 1921年11月13日 | (9日) | - |
|
|||
20 | 高橋内閣 | 1921年11月13日- 1922年6月12日 | 212日 | 212日 |
|
[16] | ||
21 | 加藤内閣 | 1922年6月12日- 1923年8月24日 | 439日 | 439日 |
|
[17] | ||
- | 加藤内閣 | 1923年8月24日- 1923年9月2日 | (9日) | - | 加藤の死去に伴う臨時兼任(外務大臣) | |||
22 | 第2次山本内閣 | 1923年9月2日- 1924年1月7日 | 128日 | 549日 | [13] | |||
23 | 清浦内閣 | 1924年1月7日- 1924年6月11日 | 157日 | 157日 | [18] | |||
24 | 加藤内閣 | 1924年6月11日- 1926年1月28日 | 597日 | 597日 | [19] | |||
- | 加藤内閣 | 1926年1月28日- 1926年1月30日 | (2日) | - | 加藤の死去に伴う臨時兼任(内務大臣) | |||
25 | 第1次若槻内閣 | 1926年1月30日- 1927年4月20日 | 446日 | 446日 | [20] | |||
昭和時代(1926年 - 1989年) | ||||||||
26 | 田中内閣 | 1927年4月20日- 1929年7月2日 | 805日 | 805日 | [21] | |||
27 | 濱口内閣 | 1929年7月2日- 1931年4月14日 | 652日 | 652日 | [22] | |||
28 | 第2次若槻内閣 | 1931年4月14日- 1931年12月13日 | 244日 | 690日 |
|
[20] | ||
29 | 犬養内閣 | 1931年12月13日- 1932年5月16日[注 5] | 156日 | 156日 | [23] | |||
- | 犬養内閣 | 1932年5月16日- 1932年5月26日 | (10日) | - | 犬養の死去に伴う臨時兼任(大蔵大臣) | |||
30 | 齋藤内閣 | 1932年5月26日- 1934年7月8日 | 774日 | 774日 | [24] | |||
31 | 岡田内閣 | 1934年7月8日- 1936年3月9日 | 611日 | 611日 | [25] | |||
32 | 廣田内閣 | 1936年3月9日- 1937年2月2日 | 331日 | 331日 | [26] | |||
33 | 林内閣 | 1937年2月2日- 1937年6月4日 | 123日 | 123日 | [27] | |||
34 | 第1次近衞内閣 | 1937年6月4日- 1939年1月5日 | 581日 | 581日 | [28] | |||
35 | 平沼内閣 | 1939年1月5日- 1939年8月30日 | 238日 | 238日 |
|
[29] | ||
36 | 阿部内閣 | 1939年8月30日- 1940年1月16日 | 140日 | 140日 |
|
[30] | ||
37 | 米内内閣 | 1940年1月16日- 1940年7月22日 | 189日 | 189日 |
|
[31] | ||
38 | 第2次近衞内閣 | 1940年7月22日- 1941年7月18日 | 362日 | 943日 | [28] | |||
39 | 第3次近衞内閣 | 1941年7月18日- 1941年10月18日 | 93日 | 1035日 | ||||
40 | 東條内閣 | 1941年10月18日- 1944年7月22日 | 1009日 | 1009日 | ||||
41 | 小磯内閣 | 1944年7月22日- 1945年4月7日 | 260日 | 260日 |
|
[33] | ||
42 | 鈴木内閣 | 1945年4月7日- 1945年8月17日 | 133日 | 133日 | [34] | |||
43 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月17日- 1945年10月9日 | 54日 | 54日 |
|
[35] | ||
44 | 幣原内閣 | 1945年10月9日- 1946年5月22日 | 226日 | 226日 | [36] | |||
45 | 第1次吉田内閣 | 1946年5月22日- 1947年5月24日 | 368日 | 368日 | [37] | |||
46 | 片山内閣 | 1947年5月24日- 1948年3月10日 | 292日 | 292日 | [38] | |||
47 | 芦田内閣 | 1948年3月10日- 1948年10月15日 | 220日 | 220日 |
|
|||
48 | 第2次吉田内閣 | 1948年10月15日- 1949年2月16日 | 125日 | 493日 | [37] | |||
49 | 第3次吉田内閣 |
1949年2月16日- 1952年10月30日 | 1353日 | 1845日 | ||||
50 | 第4次吉田内閣 | 1952年10月30日- 1953年5月21日 | 204日 | 2048日 |
| |||
51 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日- 1954年12月10日 | 569日 | 2616日 |
| |||
52 | 第1次鳩山内閣 | 1954年12月10日- 1955年3月19日 | 100日 | 100日 | [41] | |||
53 | 第2次鳩山内閣 | 1955年3月19日- 1955年11月22日 | 249日 | 348日 | ||||
54 | 第3次鳩山内閣 | 1955年11月22日- 1956年12月23日 | 398日 | 745日 |
| |||
55 | 石橋内閣 | 1956年12月23日- 1957年2月25日 | 65日 | 65日 |
|
[42] | ||
- | 石橋内閣 | 1957年1月31日- 1957年2月25日 | 25日 | 25日 |
|
|||
56 | 第1次岸内閣 |
1957年2月25日- 1958年6月12日 | 473日 | 473日 |
|
[43] | ||
57 | 第2次岸内閣 |
1958年6月12日- 1960年7月19日 | 769日 | 1241日 |
| |||
58 | 第1次池田内閣 | 1960年7月19日- 1960年12月8日 | 143日 | 143日 |
|
[44] | ||
59 | 第2次池田内閣 |
1960年12月8日- 1963年12月9日 | 1097日 | 1239日 |
| |||
60 | 第3次池田内閣 |
1963年12月9日- 1964年11月9日 | 337日 | 1575日 |
| |||
61 | 第1次佐藤内閣 |
1964年11月9日- 1967年2月17日 | 831日 | 831日 |
|
|||
62 | 第2次佐藤内閣 |
1967年2月17日- 1970年1月14日 | 1063日 | 1893日 |
| |||
63 | 第3次佐藤内閣 |
1970年1月14日- 1972年7月7日 | 906日 | 2798日 |
| |||
64 | 第1次田中内閣 | 1972年7月7日- 1972年12月22日 | 169日 | 169日 |
|
[47] | ||
65 | 第2次田中内閣 |
1972年12月22日- 1974年12月9日 | 718日 | 886日 |
| |||
66 | 三木内閣 |
1974年12月9日- 1976年12月24日 | 747日 | 747日 |
|
[48] | ||
67 | 福田内閣 |
1976年12月24日- 1978年12月7日 | 714日 | 714日 |
|
[49] | ||
68 | 第1次大平内閣 | 1978年12月7日- 1979年11月9日 | 338日 | 338日 |
|
[50] | ||
69 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日- 1980年6月12日 | 217日 | 554日 |
| |||
- | 第2次大平内閣 | 1980年6月12日- 1980年7月17日 | (35日) | - |
|
|||
70 | 鈴木内閣 |
1980年7月17日- 1982年11月27日 | 864日 | 864日 |
|
[51] | ||
71 | 第1次中曾根内閣 | 1982年11月27日- 1983年12月27日 | 396日 | 396日 |
|
|||
72 | 第2次中曾根内閣 |
1983年12月27日- 1986年7月22日 | 939日 | 1334日 | ||||
73 | 第3次中曾根内閣 | 1986年7月22日- 1987年11月6日 | 473日 | 1806日 |
| |||
74 | 竹下内閣 |
1987年11月6日- 1989年6月3日 | 576日 | 576日 |
|
[54] | ||
平成時代(1989年 - 2019年) | ||||||||
75 | 宇野内閣 | 1989年6月3日- 1989年8月10日 | 69日 | 69日 |
|
[55] | ||
76 | 第1次海部内閣 | 1989年8月10日- 1990年2月28日 | 203日 | 203日 |
|
[56] | ||
77 | 第2次海部内閣 |
1990年2月28日- 1991年11月5日 | 616日 | 818日 |
| |||
78 | 宮澤内閣 |
1991年11月5日- 1993年8月9日 | 644日 | 644日 |
|
|||
79 | 細川内閣 | 1993年8月9日- 1994年4月28日 | 263日 | 263日 | [59] | |||
80 | 羽田内閣 | 1994年4月28日- 1994年6月30日 | 64日 | 64日 | [60] | |||
81 | 村山内閣 |
1994年6月30日- 1996年1月11日 | 561日 | 561日 | [61] | |||
82 | 第1次橋本内閣 | 1996年1月11日- 1996年11月7日 | 302日 | 302日 | [62] | |||
83 | 第2次橋本内閣 |
1996年11月7日- 1998年7月30日 | 631日 | 932日 | ||||
84 | 小渕内閣 |
1998年7月30日- 2000年4月5日 | 616日 | 616日 | [63] | |||
- | 小渕第2次改造内閣 | 2000年4月3日- 2000年4月5日 | (3日) | - | [63] | |||
85 | 第1次森内閣 | 2000年4月5日- 2000年7月4日 | 91日 | 91日 | [64] | |||
86 | 第2次森内閣 |
2000年7月4日- 2001年4月26日 | 297日 | 387日 |
| |||
87 | 第1次小泉内閣 |
2001年4月26日- 2003年11月19日 | 938日 | 938日 | ||||
88 | 第2次小泉内閣 |
2003年11月19日- 2005年9月21日 | 673日 | 1610日 | ||||
89 | 第3次小泉内閣 |
2005年9月21日- 2006年9月26日 | 371日 | 1980日 |
| |||
90 | 第1次安倍内閣 |
2006年9月26日- 2007年9月26日 | 366日 | 366日 | [67] | |||
91 | 福田内閣 |
2007年9月26日- 2008年9月24日 | 365日 | 365日 |
|
[68] | ||
92 | 麻生内閣 | 2008年9月24日- 2009年9月16日 | 358日 | 358日 | [69] | |||
93 | 鳩山内閣 | 2009年9月16日- 2010年6月8日 | 266日 | 266日 | [70] | |||
94 | 菅内閣 |
2010年6月8日- 2011年9月2日 | 452日 | 452日 |
|
|||
95 | 野田内閣 |
2011年9月2日- 2012年12月26日 | 482日 | 482日 | ||||
96 | 第2次安倍内閣 |
2012年12月26日- 2014年12月24日 | 729日 | 1095日 | ||||
97 | 第3次安倍内閣 |
2014年12月24日- 2017年11月1日 | 1044日 | 2138日 | ||||
98 | 第4次安倍内閣 |
2017年11月1日 - 2020年9月16日 |
1051日 | 3188日 |
| |||
令和時代(2019年 - 現在) | ||||||||
99 | 菅内閣 | 2020年9月16日- 2021年10月4日 | 384日 | 384日 |
|
|||
100 | 第1次岸田内閣 | 2021年10月4日- 2021年11月10日 | 38日 | 38日 | ||||
101 | 第2次岸田内閣 |
2021年11月10日- 2024年10月1日 | 1057日 | 1094日 |
|
|||
102 | 石破内閣 | 2024年10月1日- 在任中 | 41日 | 41日 |
- 代は、内閣(内閣総理大臣)の代数を表す。
- 期間、日数は、在職期間と在職日数を表す。ただし、在職期間が連続していない場合は、各次の在職日数を挙げ、最終次の在職日数の後に通算の在職日数を記載した。
- 内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣臨時兼任等も含める。
内閣総理大臣の年表
[編集]存命中の内閣総理大臣経験者
[編集]2019年(令和元年)11月29日に中曽根康弘が死去したことで、存命中の総理大臣経験者は全員平成以降に就任した人物のみとなった。1924年(大正13年)生まれの村山富市以外、全員昭和生まれである。
2024年(令和6年)11月7日現在、現職者の石破茂を除く存命中の内閣総理大臣経験者は、以下の11名である。
氏名 | 在任期間 | 生年月日 | 現所属政党 | 現在の政治活動 | 写真 |
---|---|---|---|---|---|
細川護熙 | 1993年 ー 1994年 | 1938年1月14日(86歳) | 新進党 | (1998年に議員を辞職し、政界引退。) (2014年東京都知事選挙に出馬、結果は落選。) |
|
村山富市 | 1994年 ー 1996年 | 1924年3月3日(100歳) | 日本社会党 | (2000年の衆議院解散により議員を退任、政界引退。) | |
森喜朗 | 2000年 ー 2001年 | 1937年7月14日(87歳) | 自由民主党 | (2012年の衆議院解散により議員を退任、政界引退。) | |
小泉純一郎 | 2001年 ー 2006年 | 1942年1月8日(82歳) | 自由民主党 | (2009年の衆議院解散により議員を退任、政界引退。) | |
福田康夫 | 2007年 ー 2008年 | 1936年7月16日(88歳) | 自由民主党 | (2012年の衆議院解散により議員を退任、政界引退。) | |
麻生太郎 | 2008年 ー 2009年 | 1940年9月20日(84歳) | 自由民主党 | 衆議院議員 自由民主党最高顧問 |
|
鳩山由紀夫 | 2009年 ー 2010年 | 1947年2月11日(77歳) | 共和党 | (2012年の衆議院解散により議員を退任、政界引退。) | |
菅直人 | 2010年 ー 2011年 | 1946年10月10日(78歳) | 立憲民主党 | (2024年の衆議院解散により議員を退任、政界引退。) | |
野田佳彦 | 2011年 ー 2012年 | 1957年5月20日(67歳) | 立憲民主党 | 衆議院議員 立憲民主党代表 |
|
菅義偉 | 2020年 ー 2021年 | 1948年12月6日(75歳) | 自由民主党 | 衆議院議員 自由民主党副総裁 |
|
岸田文雄 | 2021年 ー 2024年 | 1957年7月29日(67歳) | 自由民主党 | 衆議院議員 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 憲法制定に専念するため。
- ^ 現在の政府解釈では三條實美は代数に含まれない。
- ^ 伊藤が単独で総理を辞任したため。
- ^ 伊藤が単独で総理を辞任したため。
- ^ 犬養は5月15日に死去。
- ^ しかし、政党からの閣僚が少数で政党との繋がりが弱く、陸軍の支持を中心とする
- ^ 日独同盟と近衞新体制運動を巡り。
- ^ 外相松岡洋右更迭のため。
- ^ 東條英機陸相の日米交渉打切り要求を巡る。
- ^ 中国和平工作を巡る閣内不一致。
- ^ 日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合の7党と、参院会派の民主改革連合による連立政権。
- ^ 新生党、公明党、日本新党、民社党、自由党の5党と、衆院会派の改革の会、参院会派の民主改革連合による閣内与党と、新党さきがけ、新党みらい、社会民主連合が閣外協力。
- ^ 日本社会党、自由民主党、新党さきがけによる連立政権。
- ^ 自由民主党、日本社会党(1996年に社会民主党に改称)、新党さきがけによる連立政権。
- ^ 社会民主党、新党さきがけが閣外協力、第18回参院選前に閣外協力解消。
- ^ 自由民主党、自由党による連立政権。
- ^ 自由民主党、自由党、公明党による連立政権。
- ^ a b c d 自由民主党、公明党、保守党による連立政権。
- ^ 脳梗塞発症により、2000年4月3日より執務不能。
- ^ a b 自由民主党、公明党、保守党(保守新党に改称)による連立政権。
- ^ a b c d e f g h i j k l 自由民主党、公明党による連立政権。
- ^ 民主党、国民新党、社会民主党による連立政権。
- ^ a b c 民主党、国民新党による連立政権。
出典
[編集]- ^ “歴代内閣 | 首相官邸ホームページ”. 首相官邸. 2022年1月14日閲覧。
- ^ コトバンク「伊藤博文」
- ^ 三訂版, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,旺文社日本史事典. “伊藤博文内閣とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ コトバンク「黑田清隆」
- ^ 「内大臣公爵三条実美内閣総理大臣ニ兼任シ内閣総理大臣伯爵黒田清隆枢密顧問官ニ任セラル」 アジア歴史資料センター Ref.A15111667700
- ^ a b コトバンク「山縣有朋内閣」
- ^ a b コトバンク「松方正義内閣」
- ^ a b c コトバンク 「伊藤博文内閣」
- ^ a b コトバンク 「大隈重信内閣」
- ^ コトバンク 「桂太郎」
- ^ a b c コトバンク 「桂太郎内閣」
- ^ a b コトバンク 「西園寺公望内閣」
- ^ a b コトバンク 「山本権兵衛内閣」
- ^ コトバンク 「寺内正毅内閣」
- ^ a b コトバンク 「原敬内閣」
- ^ コトバンク 「高橋是清内閣」
- ^ コトバンク 「加藤友三郎内閣」
- ^ コトバンク 「清浦奎吾内閣」
- ^ コトバンク 「加藤高明内閣」
- ^ a b コトバンク 「若槻礼次郎内閣」
- ^ コトバンク 「田中義一内閣」
- ^ コトバンク 「浜口雄幸内閣」
- ^ コトバンク 「犬養毅内閣」
- ^ コトバンク 「斎藤実内閣」
- ^ コトバンク 「岡田啓介内閣」
- ^ コトバンク 「広田弘毅内閣」
- ^ コトバンク 「林銑十郎内閣」
- ^ a b コトバンク 「近衛文麿内閣」
- ^ コトバンク 「平沼騏一郎内閣」
- ^ a b コトバンク 「阿部信行内閣」
- ^ コトバンク 「米内光政内閣」
- ^ コトバンク 「東条英機内閣」
- ^ コトバンク 「小磯国昭内閣」
- ^ コトバンク 「鈴木貫太郎内閣」
- ^ コトバンク 「東久邇稔彦内閣」
- ^ 三訂版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,旺文社日本史事典. “幣原喜重郎内閣とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ a b コトバンク 「吉田茂内閣」
- ^ 三訂版,百科事典マイペディア,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社日本史事典. “片山哲内閣とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,旺文社日本史事典 三訂版,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “芦田均とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,世界大百科事典内言及. “芦田均内閣とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ コトバンク 「鳩山一郎内閣」
- ^ コトバンク 「石橋湛山内閣」
- ^ コトバンク 「岸信介内閣」
- ^ コトバンク 「池田勇人内閣」
- ^ コトバンク 「佐藤栄作内閣」
- ^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “佐藤栄作とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ コトバンク 「田中角栄内閣」
- ^ コトバンク 三木武夫内閣
- ^ コトバンク 「福田赳夫内閣」
- ^ コトバンク 「大平正芳内閣」
- ^ コトバンク 「鈴木善幸内閣」
- ^ コトバンク 「中曽根康弘内閣」
- ^ 日本人名大辞典+Plus, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,デジタル版. “中曽根康弘とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ コトバンク 「竹下登内閣」
- ^ コトバンク 「宇野宗佑内閣」
- ^ コトバンク 「海部俊樹内閣」
- ^ コトバンク 「宮沢喜一内閣」
- ^ コトバンク「河野談話」
- ^ コトバンク 「細川護熙内閣」
- ^ コトバンク 「羽田孜内閣」
- ^ コトバンク 「村山富市内閣」
- ^ コトバンク 「橋本龍太郎内閣」
- ^ a b コトバンク 「小渕恵三内閣」
- ^ コトバンク 「森喜朗内閣」
- ^ コトバンク 「小泉純一郎内閣」
- ^ a b コトバンク「安倍談話」
- ^ a b コトバンク 「安倍晋三内閣」
- ^ コトバンク 「福田康夫内閣」
- ^ コトバンク 「麻生太郎内閣」
- ^ コトバンク 「鳩山由紀夫内閣」
- ^ a b コトバンク 「菅直人内閣」
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア. “菅直人内閣とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ コトバンク 「野田佳彦内閣」
- ^ コトバンク「伊勢志摩サミット」
- ^ 日本放送協会. “政治学者が見た菅内閣の“功罪””. NHK政治マガジン. 2022年2月3日閲覧。
- ^ “菅政権、携帯料金引き下げ実現 大手も月2000円台プラン:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年2月3日閲覧。
- ^ “22年度予算案、社保・国債費が6割 成長支出の余地狭く”. 日本経済新聞 (2021年12月25日). 2022年2月3日閲覧。
- ^ “改正国民投票法が成立 改憲手続き整備、論議環境整う”. 日本経済新聞 (2021年6月11日). 2022年2月3日閲覧。
- ^ 「菅首相、自民党総裁選に不出馬 月末に退任へ」『BBCニュース』。2022年2月3日閲覧。