1964年のゼッケンとスカーフ 東京五輪サイドストーリー

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坂井義則さんの足踏み

 坂井さんは、豊岡さんの早稲田大競走部の後輩。種目こそ違うものの、一緒に練習もした間柄だ。坂井さんが豊岡さんの目の前を通過し、そのまま満員の観客が待つトラックへ―。そう思っていた。しかし、坂井さんは意外にもトーチを掲げたままその場で足踏みを始めた。

 「声を掛けたんです。どうした? と。『早く着きすぎちゃいました』って(笑)。確か1、2分くらいいたんじゃないかな。場内で見ている人は、ずーっとそのまま走ってきたと思っているんだろうけど」

 坂井さんが国立競技場の階段を駆け上がり、聖火台を灯す場面もまた東京五輪の名場面の一つだ。坂井さんは早稲田大卒業後はフジテレビに勤務。東京で再び開かれる五輪を目撃することなく、2014年9月に脳出血のため亡くなった。

 「彼が聖火ランナーに決まったときは大騒ぎで、ずいぶん取材を受けましたよ。どういう人ですか、と。最終ランナーは、彼にとっていい経験になったんじゃないかな」

 そう話す豊岡さんの楽しみは、もう一度東京五輪を観戦することだと言う。「一生のうちに2度も地元で五輪を経験できるのは、貴重ですよね。それまで元気でいたいですよね」

 野原さんは、東京五輪に合わせて買った自宅のテレビを、近所の人たちと見た光景が忘れられない。「なかなかスポーツは見ないけど、東京五輪は行きたいね」と笑う。

 弓削さんの父、章一さんは既に他界したが、和子さんは75歳の今も「日の出グランド」を守り続けている。「お袋もまさか2回も五輪を見られることになるとは、東京五輪までは生きていたいな、と言っていましたね」。さまざまな人々の思いが、東京に再び五輪を迎える。

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