1964年のゼッケンとスカーフ 東京五輪サイドストーリー

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「とにかく売れた」スカーフ

 豊岡さんは、学生アルバイトとして東京五輪の期間中、国立競技場の通路でブルーミング中西が出した売店の販売員をしていた。同社の社長が慶応大陸上部出身だった縁などもあり、同社が東京五輪記念のスカーフ、ハンカチーフを製造販売することになった。

 「スカーフが1枚1000円だったかな…。とにかく売れてね。競技の合間にお客さんがワーッと来る。お客さんがお金を払う頻度があまりに多くて、デパートの松坂屋さんの女性店員さんがレジを担当したんだけど、レジを通す暇もない。それくらい混んでいましたね」

 それでも、やはり現役の学生陸上選手。背後のトラックで繰り広げられる競技が気にならないはずはない。

 「フィールド競技はじっと見ていないといけないから、アルバイトでは無理。1万メートルとか100メートルの時は、ちょろちょろっと見たりね(笑)。やっぱり男子マラソンですね。トラックで、円谷にヒートリーが追いついてきた時の、ワーッという歓声はすごかったですね」

 同社の倉庫には、東京五輪当時につくったスカーフ、ハンカチーフが保存されている。デザイナーの故亀倉雄策氏が手掛けた東京五輪のポスターや、国立競技場の絵柄を刷り込んだスカーフを始め、月桂樹と五輪マーク、動物などをあしらったハンカチーフなどが収められている。

 「こんなにいっぱい柄があったんですね。今でも斬新な物もあります」

 同社の取締役商品部長、野原至さん(58)は、当時のデザイナー陣が工夫を凝らした商品群にこう驚く。

 1964年10月10日、東京五輪開会式の日。豊岡さんは国立競技場の裏口にある売店の事務所にいた。その目の前に、聖火リレーの最終ランナー、坂井義則さん(故人)がトーチを手に走り込んできた。

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