1964年のゼッケンとスカーフ 東京五輪サイドストーリー

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保管されていた「508」

 倫太郎さんは、東京五輪の後に生まれた。小学生の頃、国語の教科書に「ゼッケン67」という読み物があった。東京五輪の1万メートルで、セイロン(現在のスリランカ)の選手が先頭から大きく離されながらも完走し、国立競技場の観客から温かい拍手を受けた、という実話を基にしている。

 その話を読んだ倫太郎さんに、章一さんは「そのゼッケンを刷ったのは俺だよ」と言った。その時初めて、倫太郎さんは両親が東京五輪のゼッケンに携わったことを知った。

 当時はまだ、ちまたに東京五輪の記憶が鮮明に残っている時期。それでも、章一さんが倫太郎さんに東京五輪の話をしたのはそのくらいで、周囲にも自慢話をしたりはしなかったが、倫太郎さんはある日、家の中に「508」と刷られたゼッケンが2枚、大切に保管されているのを見つけた。

 「相当力入れて刷ってるんですけど、(インクが生地の)裏に抜けていない。けっこういい生地を使っている。50年以上家の中に眠っているわけですから、しっかりしてますよね」。倫太郎さんは話す。

 章一さんは実際に東京五輪を観戦することはなかった。しかし、和子さんは自分たちがつくったゼッケンをひと目見ようと国立競技場を訪れ、男子マラソンを観戦した。金メダルを獲得したアベベ・ビキラ選手(エチオピア)、円谷幸吉選手とベイジル・ヒートリー選手(英国)がトラックで演じた激しい2位争い、そして選手の胸のゼッケンを目に焼き付けたという。

 この東京五輪屈指の名場面を、国立競技場の通路からうかがっていた一人の学生がいた。当時は早稲田大競走部に所属し、現在はブルーミング中西の監査役の豊岡進さん(73)だ。

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