ブルーハイウェイライン
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | BHL、ブルハイ |
本社所在地 |
日本 東京都港区海岸一丁目11番1号 ニューピア竹芝ノースタワー10階[1] |
設立 | 1969年8月18日 |
業種 | 海運業 |
事業内容 |
一般旅客定期航路事業 内航運送業 自動車航走貨物定期航路事業 旅行業 |
代表者 | 代表取締役社長 若杉高俊[1] |
資本金 | 14億1000万円[2] |
売上高 | 246億円(1998年度)[1] |
従業員数 | 375名[1] |
支店舗数 | 8[2] |
主要株主 |
商船三井 商船三井客船 エム・オー・シーウェイズ 三井住友海上火災保険 住友海上火災保険 出光興産[1] |
主要子会社 |
ブルーハイウェイエクスプレス ブルーハイウェイサービス ブルーハイウェイエクスプレス九州 ブルーハイウェイエクスプレス四国 |
株式会社ブルーハイウェイライン(英:Blue Highway Line Co., Ltd.)は、かつて東京都港区に本社を置いていた海運企業。
概要
[編集]1960年代後半に東食とキユーピー系列の食品輸送(現・エスワイプロモーション)が検討したトラックドライバー不足対策を反映した長距離フェリー航路計画を発端として、航路計画の調査に携わった東京汽船・三井近海汽船との共同出資で1969年に「日本沿海フェリー株式会社」として設立され[3]、その後の増資で大阪商船三井船舶グループが経営主体となり[4]、苫小牧-東京航路の運営を担った。
その後1990年には「さんふらわあ」ブランドで長距離フェリー事業を経営していた日本高速フェリーの航路権を取得し、同年11月にCIを導入し「株式会社ブルーハイウェイライン」に社名変更。社名の「沿海」を「遠海」「沿岸」と間違われていた事もあり1989年の設立20周年を機に改称の検討に入り、21世紀に向けて陸海空を組み合わせた総合物流企業のイメージや若者に海への憧れや明るいイメージを抱かせることを念頭に大阪商船三井船舶グループが当時打ち出していた多角経営計画に合わせた形で「フェリー」を外したネーミングとし[5]、名称の「ブルー」は海・「ハイウェイ」は陸で明るく軽快な旅客輸送と海陸一貫の貨物輸送、二つを組み合わせた「ブルーハイウェイ」は海のバイパスと長距離フェリー・「ライン」は定期輸送を表し[6]、そして3本の青い線によるシンボルマークは信頼・安全・確実を表した[7]。またイメージアップを目的に保有船舶を「さんふらわあ」の冠を付けた名称に統一した[8]。
しかし景気低迷や競合航路との競争による運賃低下や燃料費高騰で経営が悪化[9]、2000年には大阪-志布志航路を「ブルーハイウェイ西日本」[10]、2001年には大洗-苫小牧フェリー航路と貨物航路を「商船三井フェリー」に分社化[9][11]。その後は廃止の方針が示されていた東京-那智勝浦-高知航路を2001年10月1日まで運航した後[12]、同年解散となった[13]。
解散後は陸上輸送を手掛ける子会社「ブルーハイウェイエクスプレス北海道」(現存せず)や「ブルーハイウェイエクスプレス九州」(現・さんふらわあエクスプレス)にて同社の三本線のシンボルマークが継続利用され、ブルーハイウェイラインへの変更後の新造船に用いられた青線入りのさんふらわあ塗装は、後身のフェリーさんふらわあでは2代目「さんふらわあ さつま」型の引退まで、商船三井フェリーでは設立後に導入した「ばるな」をリニューアルした2代目「さんふらわあ さっぽろ」を皮切りに引き続き使用された。また、2023年には商船三井フェリーがブルーハイウェイライン西日本の後身となるフェリーさんふらわあを合併し「商船三井さんふらわあ」としてブルーハイウェイライン同様に再度商船三井グループ内でのフェリー事業会社を統合している。
沿革
[編集]- 1965年(昭和40年) - 東食と食品輸送が東京 - 神戸間のカーフェリー事業計画を立案。その後食品輸送が東京湾フェリーに東京 - 神戸航路、東食が三井近海汽船に第2段階の東京 - 北海道航路計画を打診[3]。
- 1968年(昭和43年) - 食品輸送、東京湾フェリーが東京 - 神戸フェリー航路の基礎調査を実施[14]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)2月6日 - 東京 - 苫小牧航路の一般旅客定期航路事業免許を取得[20]。
- 1971年(昭和46年)9月 - 第2次増資(16億円)にて大阪商船三井船舶・商船三井客船・商船三井近海が出資比率各10%を受け持ち商船三井グループが経営主体となる[4]。
- 1972年(昭和47年)4月27日 - 東京 - 苫小牧航路の運航開始[21]、当初週2便の運航とした[22]。
- 1973年(昭和48年)4月9日 - 東京 - 苫小牧航路のデイリーサービスを開始[23]。
- 1974年(昭和49年)3月22日 - 大洗 - 苫小牧航路の免許を申請[23]。
- 1975年(昭和50年)
- 1977年(昭和52年)9月24日 - 「えりも丸」が岩手県綾里崎沖で漁船第七正寿丸と衝突、第七正寿丸の乗組員5名が行方不明となる[26]。
- 1984年(昭和59年)6月22日 - 大洗 - 苫小牧間一般旅客定期航路事業の免許取得[27]。
- 1985年(昭和60年)3月16日 - 大洗 - 苫小牧航路の運航開始[28][29]、大洗発便から就航し当初週3便とした[30]。
- 1987年(昭和62年)6月 - 新造船「おおあらい丸」就航に伴い新船体塗装デザインの使用を開始。
- 1989年(平成元年)10月12日 - 日本高速フェリーの東京 - 那智勝浦(宇久井港) - 高知航路の営業譲渡に合意[31]。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1993年(平成5年)12月17日 - 「さんふらわあ みと」就航に伴い、大洗 - 苫小牧航路をデイリー運航化する[38][29]。
- 1994年(平成6年)3月 - 大三海運より内航部門の東京 - 博多航路、東京 - 中四国航路、自動車専用船部門を譲受[39]。
- 1997年(平成9年)9月3日 - 東京 - 苫小牧航路を大洗経由に変更し「新東京航路」とする[40][41]。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 1月1日 - 長距離フェリーでは初の燃油価格変動調整金を導入[48]。
- 1月9日 - 東京 - 那智勝浦 - 高知航路廃止を同年6月末まで延期する方針を公表[49]。
- 2月26日 - 東京 - 那智勝浦 - 高知航路の6月末での廃止を表明[50]。会社解散・新会社への分離方針を決定[51]。
- 3月12日 - 大洗〜苫小牧航路などを引き継ぐ新会社「商船三井フェリー」設立[52]。
- 4月18日 - 高知県・和歌山県の支援策表明を受け、東京 - 那智勝浦 - 高知航路の廃止を9月末に延期[53]。
- 7月1日 - 大洗〜苫小牧航路と貨物航路を商船三井フェリーに譲渡[54]。
- 8月31日 - 9月末日をもっての東京 - 那智勝浦 - 高知航路の廃止を国土交通省に申請[55]。
- 10月1日 - 東京 - 那智勝浦 - 高知航路廃止[12]。その後解散・清算[13]。
航路
[編集]フェリー航路
[編集]- 大洗港 - 苫小牧港(大洗航路[56] 1985年3月 - 2001年6月)
- 航路距離758km、所要時間約20時間、日曜除く週6便運航[57]。
- 商船三井フェリーに継承。
- 東京港 - 那智勝浦港 - 高知港(高知航路[56] 1990年 - 2001年9月)
- 航路距離726km、所要時間東京-那智勝浦約12時間・那智勝浦-高知上り7時間10分/下り7時間45分、隔日運航[57]。
- 日本高速フェリーから譲渡。
- 大阪南港 - 志布志港(大阪航路[56] 1990年11月 - 2000年)
- 航路距離584km[57]、所要時間上り13時間55分・下り14時間40分、毎日運航[58]。
- 日本高速フェリーから譲渡、休止中の志布志 - 鹿児島間の航路権も引き継いだが再開せず1991年12月に廃止[59]。その後ブルーハイウェイライン西日本に譲渡。
- 東京港 - 苫小牧港(1972年4月 - 1997年9月)
- 航路距離1,045km、所要時間約30時間、週4便運航[60]。
- 東京港 - 大洗港 - 苫小牧港(1997年9月 - 1999年4月 新東京航路)
- 航路距離1,045km、所要時間苫小牧-大洗約19時間・大洗-東京約9時間、週4便運航[57]。
貨物航路
[編集]- 東京港 - 苫小牧港[56](1975年 - 2001年6月)
- 東京港 - 宇野港 - 博多港[61]
- 航路距離1,129km、所要時間東京-宇野21時間・宇野-博多14時間、週3便運航[58]。
- 東京港 - 大分港 - 博多港[61]
- 航路距離1,110km、所要時間東京-大分上り28時間/下り26時間・大分-博多上り8時間/下り10時間、週3便運航[58]。
計画のみ
[編集]- 東京港 - 神戸港[15]
- 阪神 - 苫小牧港[64]
- 鹿島港 - 仙台港 - 苫小牧港[64][65]
- 東京港 - 鹿島港 - 苫小牧港[66]
- 北九州港 - 敦賀港 - 新潟港 - 苫小牧港[64](または博多港 - 敦賀港 - 新潟港 - 苫小牧港[65])
船舶
[編集]ファンネルマークは大阪商船三井船舶同様の橙一色。ただし1987年から1991年の日本沿海フェリー時代末期のみ社旗に準じた橙を基調に左上に白色のNと中段に白色で縁取られた青い波線の入ったカラーリングとしていた。
フェリー
[編集]- 日本沿海フェリー
- しれとこ丸
- えりも丸(初代)
- ぺがさす
- いせ丸
- 1973年竣工、7月10日から翌年8月2日のさっぽろ丸就航までフジフェリーから用船[23]。7,050総トン、全長140.8m。林兼造船下関工場建造。
- 1974年の東京 - 松阪航路営業開始まで使用。
- しま丸
- 1973年竣工、えりも丸機関故障に伴い11月27日から翌年9月15日までフジフェリーから用船[23]。7,075総トン、全長140.8m。林兼造船下関工場建造。
- 1974年の東京 - 松阪航路営業開始まで使用。
- さっぽろ丸→さんふらわあ さっぽろ(初代)
- おおあらい丸→さんふらわあ おおあらい
- えりも丸(2代目)→さんふらわあ えりも
- さんふらわあ8→さんふらわあ とさ
- ブルーハイウェイライン
- さんふらわあ5→さんふらわあ おおさか
- さんふらわあ11→さんふらわあ さつま(初代)
- さんふらわあ さつま (2代)
- 1993年3月15日竣工[67]、同月24日就航[72]。12,415総トン、全長186m、幅25.5m。三菱重工業下関造船所建造。
- 航海速力23.5ノット(最大25.5ノット)、旅客定員782名、車両積載数トラック175台・乗用車140台。
- 大阪 - 志布志航路に就航、1997年から1999年には東京 - 苫小牧・東京 - 大洗 - 苫小牧航路で運航。ブルーハイウェイライン西日本に継承。
- さんふらわあ きりしま (初代)
- さんふらわあ みと
- さんふらわあ くろしお
- 1997年7月就航。9,723総トン、全長160m、幅25.0m。三菱重工業下関造船所建造。
- 航海速力22.7ノット、車両積載数トラック150台・乗用車70台、旅客定員530名。
- 東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航。2001年9月航路廃止で引退、2001年10月から12月までダイヤモンドフェリーにて「スターダイヤモンド」の機関故障に伴う代替船として神戸 - 別府航路に就航したのち韓国パンスターラインに売却され「PANSTER DREAM」として就航。
- さんふらわあ つくば
- 1998年1月就航。12,325総トン、全長192.0m、幅27.0m。三菱重工業下関造船所建造。
- 航海速力23.0ノット、車両積載数8.5mトラック216台・乗用車111台、旅客定員342名。
- 大洗 - 苫小牧航路に就航、商船三井フェリーに継承。
RO-RO船
[編集]- とまこまい丸
- とうきょう丸
- 第二有明丸
- 1990年竣工、1994年大三海運からブルーハイウェイラインに転属。1997年に引退しプリンス海運に転属。
- 2,938総トン。北日本造船建造。
- 東京 - 岡山 - 広島 - 松山航路に就航。
- 第三有明丸
- 1987年竣工、1994年大三海運からブルーハイウェイラインに転属。商船三井フェリーに継承。
- 2,646総トン、航海速力18.5ノット。南日本造船建造。
- 積載数シャーシ45台・12フィートコンテナ90個・商品乗用車120台。東京 - 宇野 - 博多航路に就航。
- 第八有明丸
- 1991年竣工、1994年大三海運からブルーハイウェイラインに転属。
- 2,722総トン、航海速力20.0ノット。北日本造船建造。
- 積載数シャーシ45台・12フィートコンテナ90個・商品乗用車120台。商船三井フェリーに継承。東京 - 宇野 - 博多航路に就航。
- 春青丸
- 1995年竣工。1997年中野海運からブルーハイウェイラインに転属。商船三井フェリーに継承。
- 5,930総トン、航海速力20.0ノット。旭洋造船建造。
- 積載数シャーシ76台・商品乗用車250台。東京 - 大分 - 博多航路に就航。商船三井フェリーに継承。
- 雄徳丸
- 1995年竣工。1997年中野海運からブルーハイウェイラインに転属。
- 5,929総トン、航海速力20.0ノット。旭洋造船建造。商船三井フェリーに継承。
- 積載数シャーシ76台・商品乗用車250台。東京 - 大分 - 博多航路に就航。
- さんふらわあ とまこまい
- 1999年8月就航。12,520総トン、全長199.0m、幅24.5m。三菱重工業下関造船所建造。
- 航海速力30.0ノット、車両積載数8.5mトラック200台・乗用車80台。商船三井フェリーに継承。
その他貨物船
[編集]- コンテナ船[75]
- 大雪山丸
- 1988年4月竣工。2,894総トン、9,900馬力、航海速力17.5ノット、積載量197TEU。春山海運所有[76]。東京 - 苫小牧航路に就航。
- 自動車専用船[77]
- 四日市を起点に本田技研工業の商品乗用車を輸送。
- 第十五有明丸(699総トン、速力14ノット、積載量乗用車約300台)
- 第十八有明丸(3,471総トン、速力16ノット、積載量乗用車約450台)
- 一般貨物船[78]
- 三高丸(1996年3月竣工、積載量1,500トン)
- 日誠丸(1995年12月竣工、積載量1,550トン)
- 第2紀芳丸(1994年2月竣工、積載量1,600トン)
- 第15鐡運丸(1994年2月竣工、積載量1,600トン)
- 新旭洋丸(1995年2月竣工、積載量700トン)
- あいりゅう(1995年4月竣工、積載量670トン)
登場作品
[編集]- 日本沿海フェリー時代
- 1974年 東芝日曜劇場『りんりんと』
- 1974年 TBS・円谷プロダクション制作の特撮テレビ番組『ウルトラマンレオ』第19・21話
- 『がんばれ!!ロボコン』第88話 - フェリーターミナルや「さっぽろ丸」船内にて撮影が行われた。
- 1982年・1984年 テレビ朝日系『西部警察』シリーズ
- 1989年 テレビ朝日系『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(第32話「洞爺湖の女」、第35話「美奈子、君の瞳に乾杯!」)北海道ロケにおいて、「東京―苫小牧航路」の船内やフェリーターミナルなどで撮影が行われ、同番組のロケ車両も輸送された。
- ブルーハイウェイライン時代
- 1990年 テレビ朝日系『代表取締役刑事』(第12話「慕情」、第13話「哀愁」)の北海道ロケにおいて「東京―苫小牧航路」の船内やフェリーターミナルなどで撮影が行われ、同番組のロケ車両も輸送された。
- 1997年 テレビ朝日系『電磁戦隊メガレンジャー』(第46話「阻むぞ!地獄への船出」)において、「東京―大洗―苫小牧航路」の「さんふらわあ さつま」(2代目)船内などで撮影が行われた。
- 1999年 テレビ朝日系土曜ワイド劇場『高橋英樹の船長シリーズ』第11作「狙われた密会航路」において、「東京―那智勝浦―高知航路」の「さんふらわあ くろしお」船内やフェリーターミナルなどで撮影が行われた。
- 2000年 テレビ朝日系『仮面ライダークウガ』(EPISODE 41「抑制」、EPISODE 42「戦場」)において、「大洗―苫小牧航路」の「さんふらわあ えりも」船内などで撮影が行われた。
参考文献
[編集]- 『創業二十五年史』ブルーハイウェイライン、1995年5月1日。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 株式会社ブルーハイウェイライン会社概要 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive)
- ^ a b 2000年度 求人票 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive)
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、6-7頁
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、17頁。
- ^ トップインタビュー 全国ネット確保しこれから勝負MO本体をバックに新戦略打出す 村中圭三ブルーハイウェイライン社長 - 内航近海海運1990年12月号(内航ジャーナル)
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、132頁。
- ^ 中間採点CI通信簿 ブルーハイウェイライン――「総合海運」へ着々と - 1992年12月11日 日経産業新聞 11面
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、133頁。
- ^ a b 苫小牧航路、新会社に ブルーハイウェイ社清算 商船三井 - 北海道新聞2001年2月27日朝刊11面
- ^ a b c ブルーハイウェイライン NEWS - Internet Archive(2000年6月21日付保存キャッシュ)
- ^ ブルーハイウェイ、鋼材や自動車輸送も新会社で事業継続 - 海事プレス 2001年2月28日
- ^ a b ブルーハイウェイライン/東京-那智勝浦-高知航路、9月末で廃止へ - 日本海事新聞2001年9月5日
- ^ a b 新時代への生き残り戦略・長距離フェリー】2:商船三井フェリー/現体制維持し可能性探る。「フェリー事業は絶対やめない」 - 日本海事新聞2001年10月29日
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、8頁。
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、9頁
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、10頁。
- ^ 日本沿海フェリー株式会社 - 海運業者要覧1986(日本海運集会所)
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、7頁。
- ^ a b カナマルトモヨシ「http://web.archive.org/web/20210412220621/https://www.mol.co.jp/casualcruise-sunflower/article/know/konjaku_03/ さんふらわあ今昔物語 Vol.3「さんふらわあ」北へ!#1]」 - カジュアルクルーズさんふらわあ(商船三井)(Internet Archive)
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、14頁。
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、22頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、23頁。
- ^ a b c d e f ブルーハイウェイライン(1995年)、231頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、58-59頁。
- ^ a b c d ブルーハイウェイライン(1995年)、232頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、76-77頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、103頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、107頁。
- ^ a b c 記念式典 - 大洗町議会議員 今村かずあき 活動報告ブログ(2015年3月23日)
- ^ 室蘭苫小牧-大洗間フェリー歓声背に第一船出港 - 北海道新聞1985年3月17日朝刊
- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、127頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、129頁。
- ^ 11月から大阪~志布志 日本高速F、日本沿海Fの譲受認可 - 内航近海海運1990年11月号(内航ジャーナル)
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、131-132頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、156-157頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、135頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、237頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、238頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、137頁。
- ^ 今月のニュース 新東京航路(東京〜大洗〜苫小牧)平成9年9月3日(水)誕生 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive)
- ^ 苫小牧-大洗-東京フェリー航路3日新設ブルーハイウェイライン-北海道新聞1997年8月29日朝刊3面
- ^ ブルーハイウェイライン - Internet Archive(1999年4月24日付キャッシュ)
- ^ ブルーハイウェイライン/大洗-苫小牧航路、6日から増便・拡充。関東運輸局が認可 - 日本海事新聞1999年4月5日
- ^ 「超高速貨物フェリー」による海上輸送サービスが99年日経優秀製品・サービス賞「最優秀賞 日本経済新聞賞」を受賞 - ブルーハイウェイライン
- ^ 第4章 海上輸送網を活用した物流効率化の先進事例 1.東京~苫小牧航路における超高速フェリーの導入事例 - 宮崎県下の物流効率化に対応した拠点整備構想に関する調査研究報告書(日本財団図書館)
- ^ a b ブルーハイウェイライン西日本 会社概要 - Internet Archive(2005年3月8日付保存キャッシュ)
- ^ 予算の質的転換へ 将来の財源不足に対応 - 朝日新聞2000年12月12日朝刊高知版
- ^ ブルーハイウェイライン/バンカーサーチャージを1月導入。長距離フェリー業界で初 - 日本海事新聞2000年12月14日
- ^ フェリー「さんふらわあ」の航路廃止を6月に延期 高知 - 朝日新聞2001年1月10日朝刊高知版
- ^ ブルーハイウェイライン/東京-那智勝浦-高知航路休止へ。関係自治体に動揺広がる - 日本海事新聞2001年2月28日
- ^ 苫小牧航路、新会社に ブルーハイウェイ社清算 商船三井 - 北海道新聞2001年2月27日朝刊11面
- ^ 商船三井フェリー/設立登記を完了。6月1日営業開始 - 日本海事新聞2001年3月19日
- ^ ブルーハイウェイライン/東京-那智勝浦-高知航路、9月末まで運航継続。10月以降は未定 - 日本海事新聞2001年4月19日
- ^ 商船三井フェリー/東京本社で業務開始。新会社として船出 - 日本海事新聞2001年7月4日
- ^ 国土交通省に廃止届け出す フェリー「さんふらわあ」和歌山 - 朝日新聞2001年9月1日朝刊和歌山版
- ^ a b c d フェリー部門 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive
- ^ a b c d 内航近海海運 海上定期便ガイド98年版 - 内航ジャーナル
- ^ a b c d e 内航近海海運 海上定期便ガイド00年版 - 内航ジャーナル
- ^ 鹿児島~志布志を廃止ブルーハイウェイライン - 内航近海海運1992年1月号
- ^ 内航近海海運 海上定期便ガイド97年版 - 内航ジャーナル
- ^ a b RORO船部門 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive)
- ^ 木村繁「中核五社の経営するフェリー事業とその諸問題」 - 海運1973年11月号
- ^ 長距離フェリーの進路をさぐる - 運輸と経済1972年5月号(交通経済研究所)
- ^ a b c 再編必死のカーフェリー業界 早くも合併第一号が出る始末・・・ - 月刊経済1972年6月号
- ^ a b 長距離フェリー拡充 商船三井が構想来春まず苫小牧-東京就航日本海側は九州と結ぶ-北海道新聞1971年12月18日夕刊
- ^ 40航路(中・長距離)就航中さらに15航路の開設準備(50・1・31) - 日本海事年鑑昭和51年版(日本海事新聞社1975年)280頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r ブルーハイウェイライン(1995年)、202-203頁。
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- ^ a b ブルーハイウェイライン(1995年)、237頁。
- ^ ブルーハイウェイライン(1995年)、236頁。
- ^ a b c d e f g 貨物フェリー共同営業センター - 海上定期便ガイド'92(内航ジャーナル)
- ^ コンテナ船部門 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive
- ^ 気になる船名あれこれ 24- 海と安全平成8年度(日本海難防止協会 日本財団図書館)
- ^ 自動車専用船部門 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive)
- ^ 不定期船部門 - ブルーハイウェイライン(Internet Archive)
関連項目
[編集]- さんふらわあ
- フェリーさんふらわあ
- 日本のフェリー会社一覧
- 日本長距離フェリー協会
- 一路真輝 - 日本沿海フェリー時代の1987年からブルーハイウェイラインに改称後の1990年代前半にかけてマスコットガールとして起用された。
外部リンク
[編集]- ブルーハイウェイライン(Internet Archive)