人間魚雷「回天」の島

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秘密兵器「マル六」

 人間魚雷「回天」の開発の話が持ち上がったのは、ガダルカナル島などが米軍の手に落ち、戦況が悪化した1943年夏。余っていた九三式酸素魚雷を活用できないかと考えた黒木博司中尉(のちに大尉)が、仁科関夫少尉(のちに中尉)に持ち掛けたのが、端緒だった。しかし、当時の軍令部は、2人の申し入れを「必死の兵器」として認めなかった。

 状況が変わったのは、44年2月。中部太平洋のトラック島が米軍により壊滅的な打撃を受け、2人に極秘での試作が命じられた。2基の試作が完成したのは同年7月で、翌8月には海軍大臣が正式な秘密兵器「マル六」として認めた。

 当時、海軍の秘密兵器は「マル一」から「マル九」まであり、実際に戦場で使用された兵器は「マル六」の回天と「マル四」の「震洋」(ベニヤ板でできた船に250キロの火薬を搭載し、敵艦船に突入する兵器)だけだった。

 回天と名付けたのは、呉の水雷学校の大森仙太郎校長。開発に携わっていた黒木大尉もたびたび、天を回らし戦局を逆転させるという意味の「回天」という言葉を使用していたという。

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