こうした操縦の難しさから、事故は訓練初日の1944年9月6日、発生した。黒木大尉と樋口孝大尉が乗り込んだ回天は午後5時40分、波が高い悪天候の中、訓練を開始。基地に戻る途中の同6時12分、操縦を誤り、海底に突入した。
回天は上昇、下降のほか、前方と左右には進めるが、バックはできない。このため、海底に突き刺さった状態となった。
黒木大尉らは回天内から空気を出し、海面に気泡を発生させる方法で、捜索する船に沈没位置を知らせようとしたが、波が高く、気泡を探すことができなかった。
2人の乗った回天が見つかったのは翌7日午前9時ごろ。両大尉は既に酸素欠乏で死亡していたが、書き残した手帳から、午前6時ごろまでは生存していたことが分かったという。
回天の内壁には「大日本帝国万歳」「天皇陛下万歳」と記されていたほか、黒木大尉はともに開発に携わった仁科中尉に宛てて手帳に「男子やも我が事ならず朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 国を思ひ死ぬに死なれぬ益良雄が 友々よびつ死してゆくらん」と辞世の句を残していた。
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