病院は英軍の兵舎跡でした。町から離れたところで、山が丘のように低くなっていました。昼間、敵機の攻撃から退避するときは、その丘の方へ行ったんです。私は重症病棟だから行けません。いつも小さな小屋の中に隠れていました。
勤務先は121兵站病院、藤原部隊でした。隊長は広島出身のとても立派な方でした。隊長殿の采配によって、きょうの命があるんです。
初めは夜間空襲でしたが、だんだん戦争が激しくなって、昼でも攻撃してくるときがあって。私なんか、忙しくて午後4時ごろ、お昼ごはんのために草原を横断して宿舎に行くんですが、山からダァーと飛行機が来ちゃって。
逃げるところもないし、草むらに本当に頭だけ隠して通り過ぎるのを見ていると、パイロットが手を振っているの。銃を持って。撃たれなかったので良かったですけど。
「たこつぼ」と言って、ところどころに身を隠すための穴が掘ってあるんですが、そこへ飛び込んだところを、ザァーッと(掃射を)やられたこともあります。九死に一生を得て、きょうの命をいただきました。93歳になろうとしていますが、こんな話ができるのも幸せです。
(病棟の患者は)こんなものを食べてたら、良くなる病気も良くならないというものを食べていました。それで隊長にお願いして、患者も少なかったので、私が作って患者にあげる許可をいただきました。それで衛生兵さんに炊事場から現品をもらって、病状に合わせておかゆを作り、スープを作りました。
皆川さんという方がいて、「看護婦さんありがとう。こんなにおいしいおかゆをいただいて。お母さんが作ってくれたのと同じだ」と言って、ぼろぼろ泣いて手を合わせるのです。梅干一つとおかゆだけでしたけど、真心こめて作ったのでおいしかったのでしょう。そう言ってくださったことが忘れられません。
あくる朝亡くなって、もう見えなかったですけど。東北の方で一等兵でした。インパール作戦で骨と皮だけになって。コレラだったので、水分を補給しなきゃだめでしょ。それも十分いかないものだから。
アメーバ赤痢と発疹チフス、そういう患者がほとんどでした。腸チフスとマラリアが重なったらだめやと風評もたっていたほどです。マラリア患者はうわごとを言って、ベッドから飛び出して行くんです。すごい力です。
今まで寝ていたのに、どこへ行ったんだろうと捜して、連れ戻さなければなりません。死者の数は本当に多くて。一晩に多いときは9人も出ました。
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