戦地にささげた青春 元日赤従軍看護婦の証言 2

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眠れなかった夜

 やがて稲が育って青々としているのが見え、やれやれと思って山を下りてきたんです。そしたら立派な寺院があり、回廊にばたんと倒れ、もうここまで敵も来ないだろうと寝込んだら、「ザァー」と大きな音がして。「爆撃やー」と声が上がりましたが、爆撃ではなかったんです。

 タイ側から軍用トラックが7台、私たちを迎えに来てくれたんです。第5飛行大隊の隊長さん、岐阜県出身の中佐でした。戦後、県内の郡役所に勤め、私を自宅まで探しに来てくださって。いろいろお話ししました。夢のようでした。「よく帰ってきたねえ」と言って。

 トラックが7台も来て、本当にうれしかったです。それからチェンマイまで行くと、藪の中に竹で組んだその部隊の宿舎がありました。

 病院部隊の本隊は7月21日にバンコクに向け南下しました。私は2人の部下が下痢が激しく歩けないので、看護のために残りましたが、南下する鉄道司令官の少将の配慮で特別列車に乗せていただき、8月27日にチェンマイをたちました。バンコクからは乗用車にも乗せてもらい、3人とも命拾いしました。サイゴンに着いたのが9月5日です。

 8月13日に曹長が私を呼ばれて、「近日中に天皇陛下のお言葉がある」と言われました。しかし、ラジオがあるわけでもなく、本当に終戦を知ったのは、サイゴンで私たちを迎えてくれた本隊からでした。

 何とも言えませんでした。天皇陛下のお心の内を思うと、とてもやるせない気持ちでいっぱいでした。どんなお気持ちでいらっしゃるだろうと。陛下一筋に生きてきた人間です。教育もそのままでしたし、父が軍人でしたから。軍人勅諭を基本とした生活でした。泣けて、泣けて、その夜は、いつまでたっても眠れませんでした。

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