悪質タックル問題 関東学生アメフット連盟による調査結果

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「白い物も、内田さんが黒と言えば黒」

日本大アメリカンフットボール部の選手による悪質タックル問題で、関係者の処分が記された資料文書=2018年5月29日、東京都中央区【時事通信社】

日本大アメリカンフットボール部の選手による悪質タックル問題で、関係者の処分が記された資料文書=2018年5月29日、東京都中央区【時事通信社】

【調査により規律委が認定した事実】
 当該選手は高校でアメフットを始めた。高2の時に日大でディフェンスラインの選手だった井上コーチが同校アメフット部の監督となり、アメフットの楽しさを教えてもらった。井上氏は厳しい中にも親しみやすさがあり、当時の選手たちから人気があった。当該選手も尊敬していた。高校時代はアメフットがとても楽しかったと言っている。当該選手が高校を卒業して大学生となった2016年、井上氏は高校の監督をやめ、フェニックス(日大アメフット部)のコーチとなった。

 内田氏は03年から15年までフェニックスの監督を務め、一度退いたが、16年シーズンの成績が日大にとって不本意(関東1部リーグトップ8の4位)であったため、てこ入れのために17年に再登板することになった。ここでチームの雰囲気ががらりと変わった。内田監督の指導はとても厳しく、16年に比べて練習時間は長くなり、走る量は格段に増えた。コーチたちの厳しさや態度も変わった。コーチたちは皆、内田監督を恐れ、自分の指導者信念を曲げてでも監督に従った。「白い物も、内田さんが黒と言えば黒なんだ」と公言するコーチもいた。フェニックス監督であるばかりか、日大常務理事・人事担当でもある内田氏の言うことは絶対であり、誰も何も言えない状況だった。

 内田監督の気に障ることがあると、コーチでも選手でもある日突然辞めさせられてしまうことがあるからだ。このようにコーチですら何も言えないのであるから、選手が内田監督に物申すとか、指示、指導に従わないというのはあり得ないことだった。どんな理不尽であっても「はい」と返事して実行するのが内田フェニックスの当然のおきてだった。それに嫌気がさして17年春には約20人の選手が自ら部を去っていったそうだ。

 高校時代にアメフットが好きになった当該選手は、サイズもありセンスの良いプレーヤーで、日大フェニックス1年時からも試合出場機会があった。ただ、荒っぽい言葉を発したり、闘志を前面に出してプレーしたりするタイプの選手でなく、内田監督が好むタイプではなかったのかもしれない。内田監督になってからの日大フェニックスは練習が半端なく厳しく、コーチ陣の指導も厳しくなり、選手は常に肉体的にも精神的にも追い込まれていた。

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