15年、ハリル氏を監督に招へいしたのは当時技術委員長だった霜田正浩氏であり、当時の協会会長は大仁邦弥氏だった。しかし、16年に行われた会長選では、霜田氏とともに強化を進めていた原博実氏(元技術委員長)を破って田嶋氏が新会長の座に就き、敗れた原氏はJリーグへ転出。田嶋新体制で技術委員長からナショナルチームディレクターへ事実上の格下げとなっていた霜田氏は同年11月に退任。ハリル氏を監督に招き、後ろ盾となっていた人物が次々に要職を離れた。田嶋会長にとってハリル氏は自身が招いた監督ではないため、思い入れが強い指揮官ではなく、解任に踏み切りやすい人物だったということかもしれない。むしろ、そう想像する方が自然であろう。一連の協会幹部の人事が自身の進退に影響を及ぼしたとみられる点で、ハリル氏はあまりに不運だったと言える。
「何も聞かされていなかった」と明かすハリル氏は人間関係でかなり不器用な人物だったように映る。同氏にとって解任はあまりに突然で予期せぬものだった。もっと人間関係の機微に敏感で、いろいろと「忖度できる」タイプの人間なら、田嶋氏が新会長となった後も、うまく立ち回り、解任リスクを軽減するような動きが可能だったかもしれない。でも、実際にはそういう人物でなかった上に、初めて訪れた国でベストを尽くしてきたと自認する外国人である以上、ばっさりと後ろから斬られたと感じる恨み節も無理からぬものだと思える。「事前に何も知らされていなかった」と何度も繰り返す前監督。後味の悪い解任劇になったのは間違いないし、海外への伝わり方次第では、今後の日本代表監督の就任交渉などにも影響が出ないとは限らない。
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